第4話 紫陽花

 住む場所によって性格も想う人も変えられるなら良かった……。



 土によってその色を変える紫陽花あじさいのように

 いっそ移り気な女になれたらどんなに楽だろう。


 光る君から受け取った女郎花を袂に隠し、案内された寝所で帝を待ちながらそんなことを考えていた。



 ゆっくりと衣擦れの音が近づいてくるのに気づいて背筋が伸びた。



 帝が寝所に入って来るのが見えて、恭しく三つ指をついて迎えた。



「久しぶりだね、尚侍の君。少しは慣れた?」



 にっこりと笑う帝の顔を見ていると胸の内に苦い思いがこみ上げてくる。



 帝は私を求めてくれるのか

 そもそも望まれての入内だったのか



 意を決して聞くことにした。




「帝……私を一人の女として見て、入内を 受けてくださいましたか……?」




 帝は目を見開いてひどく驚いた顔をした。




 その顔……光る君に似てる───。




 ふっ……と笑って見せた帝は少し照れくさそうに話し出した。



「君からそんな風に聞かれるとは思わなかったな……。

 実はね……入内のことは君の父上に私が頼んだんだよ。」




 ――――……頼んだ?




「以前宮中での宴に君も来たことがあったよね……?」




 ある。

 青海波を舞う光る君を初めて目にした宴……。



「あの日君の所に女房が出入りする時に偶然、つむじ風で御簾が舞い上がってね。

 君の姿が私から見えて……つまり……その……私は、君に一目惚れしたんだ。」





 今度は私が驚く番だった。



 父上が出世のために仕組んだことだと、ずっと思っていた。


 望まれてもいない入内だと、屋敷を飛び出すほど嫌だった。



 帝が私を見初めての入内だったなんて



 馬鹿な私……。



 父上に抗って飛び出したばっかりに、いらぬ罪を犯したんだわ……。




 もう遅い。




 この罪も光る君への想いも、もうなかったことにはできない。




 涙が一筋、頬を伝う。




 これは私への罰だ。



 まだ身体の中心に光る君の温もりがある。



 私がこのまま帝の寵愛を受けるようになれば、あの人をこれ以上危険に晒さずに済む……。





 今は移り気な紫陽花になろうと決めた。





 光る君を受け入れるための言葉を今度は帝に告げる。




『私を……欲しいと思ってくださるの……?』



 頷いた帝が私を抱きしめる。


「大切にするよ……尚侍の君……」



 愛情の滲むような囁き。


 けれど身体の奥を震わせるような響きは感じられなかった。



 優しい愛撫で身体は少しずつ熱を帯びる。


 先程睦みあった光る君の姿を思い浮かべながら帝を受け入れる。

 きつく瞼を閉じたまま、触れるその手を光る君の手と思えるように。


 もたらされる熱に吐息は漏らしても

 誤って名を呼んでしまわぬように手の甲で唇をふさいだ。






 私は帝の寵愛を一身に受けるようになった。



 ほぼ毎日帝はお見えになる。


「──あぁ……っ尚侍の君」


 甘く囁く帝の声は、私の中で光る君の声に都合良く入れ換えられている。

 宵闇のかき乱される快楽の中であっても想う人はやはり光る君。今宵も目を閉じた。




 次の満月の夜があと二日後に迫っていた。




 光る君が来ても、今度は追い返さなくては……


 冷たい女と思われてもいい。


 ただでさえ敵を作り易い光る君には平穏に過ごして欲しいもの……。




 事が済んだあとも、帝の腕枕で眠りながら光る君のことをずっと考えていた。






 二日間私は悶々とした想いでいた。



 どんなに激しく帝に愛されても、心の奥の物足りなさが埋められないままでいる。

 光る君を拒まなくてはと心に決めても、一目その姿を目にしたら心の奥と身体の底から欲してしまうのではと思われたからだ。


 自分の浅ましさを恨めしく思いながら過ごすうちに満月の夜になった。





 前回と同じように光る君は帝の到着少し前に私の部屋にやって来た。



 月あかりに照らし出された光る君の美しさに目を背け、私を抱きしめようとする腕を振り払う。


「───…来ないで……!

 私はもう、朧月夜の君ではいられない。

 忍んで来ても貴方に心を動かされることなど無いの。

 だからっ……早く帰って………!」



 ―――っ……!



 突き放す指先を反対に握り込まれて深く唇を奪われる。否の言葉は出させないとばかりに、隙間なく離さず 絡ませて 執拗に

 急くように露にされた身体ををたまらない魅力で蹂躙しながら、



「───兄上にもっ………そんな切ない声を聞かせているの……っ」



 妖しい色香を伴う吐息混じりに、そうつぶやくのを耳にして胸の内が締め上げられた。


 寂しさと嫉妬を眼差しに宿して私を熱く追い詰める。



 この人が 愛おしい。


 ―――本当はこのままこの腕の中にいたい




 突き上げる甘い痺れに絆されて私はそのまま意識を手放した。






 気を失っていたのは僅かな時間だったようで目を覚ました時には私は元のようにしっかりと衣を身につけていて、光る君の姿はなかった。




 文机に文がおいてあった。



『また来るよ。君のもとへ何度でも』






 それからも結局抗うことができずに、満月の夜には帝と寝所に入る前に光る君との逢瀬を楽しむようになってしまった。




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