ありふれた初夏のこと

まだ夜になると肌寒いなと思っていたら、あっという間に暖かいに変わり、空の青が日を増して濃度を増す。

初夏が近づいている。

つまり、大っ嫌いなプールの授業がすぐに始まる。

 さんぽを早朝寄りにしないと花子の肉球が火傷する。

早起きを強いられる季節がやってきた。

冷房を効かせた部屋から一歩ふみ出せば汗が吹き出る朝。

「だるい…」

これから始まる毎朝の独り言。

渇ききった口を洗面台でゆすぐ。ついでに少し飲む。渇ききった体に鮮烈な冷えと目覚めをよこす。

人間でもこんなに暑いと思うのなら、毛皮を被っている犬はどうなってしまうのか。

 風が通り抜ける廊下で横たわる花子。

「はーな」

ちらりと目を向けて尻尾をぱたぱた。

全身を撫でながら毛を抜いてやる。あたりには毛の塊が山積さんせきする。

白くなってきた顎先を擦る。

「花子なら散歩したぞ」

リビングからお父さんの声がした。

「ナイス!」と心の中でガッツポーズ。


「始まっちゃうんだよね……」

教室の壁に貼られた時間割を見ているだけでため息が出る。

 水泳の授業が始まる。

球技に次いで嫌いな授業だ。

そもそも体育は大嫌いだ。

いつもひとりになるから。

 ねー。嫌だよねー。と、周りの女の子も賛同する。

男子は炎天下の校庭を走らずに済むからマシとか、体育館を冷房完備にしてバスケにしろ等など叶わぬ欲望を口にしていた。

 あー、水が生ぬるい。

あー、なんていうか、あれだ。

きっと、あれだよ。

ほら、暑すぎて秒速で水が蒸発しているんだ。

呼吸のたびに揮発した塩素を吸い込むからこんなにもだるいんだ。

目隠しのブロック塀を挟んだ車道の排気ガスが送り込まれてくるし。

「ちゃんと泳がないと駄目でしょ」

制服のままでプールサイドから声を掛けてきたのは神谷さんだ。

「神谷さんは泳がないの?」

「充分に浸っていたから。それに、入れないから」

あっ…。と声が漏れていた。周囲から切り取られた世界。

あるのは肌を貫く水の冷たさ、低空飛する飛行機が残した震音。

 雲一つない快晴の深い海のような青い夏空。

前髪で隠された左目の眼帯は神谷さんの肌と同化する白で、プールの中から見上げる形になった私には、そびえる純白の雲と映った。

なんてことはないと平坦な様子。

「ごめんなさい…私、知らなくて…」

「京香ならどうしてこうなったか知ってて当然でしょ?」

神経が鋭利になっていたせいか、突然肩を叩かれて自分でも驚いてしまう悲鳴をあげた。

「ねえねえねーえ、京香ちゃ〜あん?カーブミラーなんて見上げてどうしたのぉ?」

きょとんとした顔の朋ちゃん。

 ホイッスルの音。

手本に指名されたレディが単独で泳ぐレーン。

左右から眺めるキャップ帽の黒い群れ。

水の中を自由自在に。

私もああだったらと胸の底のおりが舞う。








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