ヒノコムの世界 3ー1

日が高いうちに活動し、落ちた夜に休息する。

例外もあるが多くの人間の規則の柱。

 夕暮れ時は、活動を振り返り今に享受しうる休息への渇望を促進させる。

 刻々と姿を変える不安定な空の移ろい。

道草をくっていたら、直に烏が姿を恐ろしい夜に変えるよ。埋め尽くしていくよ。

 漂う料理の匂い。人の気配を醸す声と足音は遠く。それでも確かにいる。

 線路の側にあって、途切れ途切れの電車の影を落とす年季がいった木造アパートがある。

 台所に立つ薄化粧の女はこの時間が好きだ。

千切りにした牛蒡ごぼうと人参をごま油をひいて熱したフライパンに投入。

鼻歌交じりに、菜箸で手際よくかき混ぜる。透き通り始めた野菜に醤油と砂糖を回しかける。

たちのぼった芳香は換気扇が道行く人々へと。

ひと嗅ぎしたサラリーマンは故郷を思い出して、週末は実家に顔を出した。

偶然にも幼馴染と再会して……。

世界は小さな波紋が幾重にも繋がっている。

一つとして無駄も無意味もない。

 本筋に戻ろう。

女はじきに一人娘が帰ってくるこの時間が好きだ。

玄関の扉を開ければ台所まで見通せるワンルーム。

「ただいま」と沈んだ声もよく聞こえた。 

 後に薄幸の美女と呼ばれる片鱗が伺える娘は、帰ってくるや否や、ランドセルを投げ捨てた。

常はものを大切に扱わない行いをきつく叱りつける女も異変を察して、飛び込んできた娘を抱き上げた。

「おぉ、よしよし。どうしたの?」

外見の見て取れる傷とは異なり、心の痛む所は「さあ、ここですよ」と表れていない。

優しく声をかけて血を洗い流し、傷口を探る

 ブラウスに点々とできた染みが繋がっていく。

あの脂ぎった馴染みの客が目敏めざとく見つけて「どうしたのあさひちゃん?またはかりちゃん?」など娘の名前を口にされる度に虫酸が走る。

「髪触らせて」

要求してきたのがあいつならぶん殴る事も、秤なら言ってくれるだけで嬉しい。

 なにせ自分の欲求を滅多に口にしない子なのだ。

目一杯溜め込み、溢れたところで初めて感情や行動となって現れる。

 溜め込める容量は見通せていない。

一度発散させたら、どこまで減ったか検討もつかない。

 翠のインナーカラーを入れたショートボブを耳に掻き上げさせると落ち着いてくれる。

曰く、イヤータブの流れ星をモチーフにした銀のピアスが好きなのだと。

「ねえ、秤は流れ星になにをお願いするの?」

「私ね、いっぱいあるよ。でもね、一番はね」


「……さっきから何してんの?」

不意に寸劇を見せつけられて慌てふためいた前回。

ログインする前、京華は今からヒノコムで夢を見ると強く意識して眠りについた。

 色が抜けきって擦れた畳の部屋。

親子で生活している設定にしては、生活感がどうも乏しい。

見て分かる範囲で、あるのは一人分の衣類一式や、書店のロゴがプリントされたカバーの掛かった文庫本。

 清貧とも言える。

多種多様な娯楽が溢れる現代社会と照らし合わせると、最低限の生活を営む監獄と言い表したら流石に失礼か。

 ちんちくりんな寸劇を演じる双子の言葉を少女は待った。

「あら、京香」

「お久しぶり」

慣例のとおりなら、母親役がムノ。秤と呼ばれた娘がレン。

「いつまでその格好で続ける気?」

ムノが母親のままで、レンが子供のままで。

親子は向き合い、冷ややかに目配せして。

「いつまでって言われてもね」

「全てはあなたが望んだ事よ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る