中学三年生 今村京香

「新しい朝がきた。希望の朝だ」

小学生の夏休みの朝、神社の境内に集まって何度も聞いたラジオ体操の歌いだし。

後に続く歌詞をどうしても思い出せずにいる。

時々気になる小さく指先ほどの頭を出している引っ掛かり。

調べればすぐ出てくる。でも、些細なことだし他に優先順位が高い項目が目白押しだから後回し。

階段を降りればほら、最優先事項がむこうからやってきた。

「はな、散歩」

首を傾げて尻尾を振って、理解しているのか喜んでいるのか不思議な動作。

少し早起きして、花子の散歩。冬毛を撒き散らしながら走る花子と引き摺られる私。

 食卓には私ひとり。

お母さんが用意してくれたご飯と味噌汁。お祖母ちゃんの畑で採れた野菜のサラダ。ご馳走さまでした。

 寂しそうに見つめる花子に後ろ髪を引かれながら玄関を出る。

相変わらず突き抜ける青空と肌寒さ。

通学路に私だけ。

同級生たちは、部活の朝練でもう三十分前にここを通ったのだろう。

クラスメイトが夏までもう半年ないって話してるの、聞こえたし。追い込みの時期なんだな。

 校門にたどり着くと、グランドから「ファイトー!」と互いに掛け合う声。

弓道場から矢が的に刺さる音。

私にとって別世界の音だ。

 三つに分かれた校舎の右端。

一階の一年生。先月までいた二階の二年生を上がって三階は三年生。

階段を踏みしめて、私ももう最終学年かとため息が出た。

先生達は受験や進学の言葉を口にする。

もう残り一年を切っているから。

将来を見据えて、希望する学校へ進めるように。

なんて急かされても、特に夢がなければ目標が立たない。

じりじりと迫る時間に背を押され、真っ暗闇を前だと思っている方を向いて歩くイメージ。

 談笑する同級生達が行く手を阻む廊下を縫うように歩いて抜ける。

この情景、皆の外見が好き勝手だったらヒノコムだな。

現実でもヒノコムでも代わり映えしない私。

あぁ、また溜息をついてしまう。

 教室に入ると誰が来たのかと視線を投げられる。各々のにとって目的の人物でないと分かれば特段の変化は起きずに会話は続く。

朝イチ、私に用がある人なんて皆無だろうけど。

まだ朝礼まで時間がある。

せめてものテストへの抵抗で教科書を広げる。

この一年の成績次第で私の将来が決まるんだ。

小さくガッツポーズして肘が机に当たった。

痛いし結構な音がでて恥ずかしい。

転がっていく丸い消しゴムは左隣の机の脚にぶつかって止まった。

拾おうと座ったまま屈むと、眼の前に降りてきた長い指が掴んで渡してくれた。

「あっ……りがと…」

彼女の容姿に圧倒されてお礼の言葉を出し切れなかった。

涼やかな目元と小さく尖った鼻が小さな顔に均等に収まっている。今時珍しい長いお下げ髪。

それよりなにより真っ先に気になるのが前髪で隠れた左目。

髪で目を隠すのって校則違反じゃなかったっけ?

理由があって許可されてるのかな?

……あれ?先月、クラスの自己紹介があったのに?こんな特徴的な人なのに?隣の席なのに?

「神谷さや」

きっと私は、顔中に疑問符を大量に貼り付けた面白い顔になっていただろう。 

名前が出て来ないのを察してくれた。

「あり……がとう。神谷さん」

神谷さんは窓の外を眺めていた。

「人としてやっただけ」の態度が返事の狼のように孤高の人。

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