再びヒノコムの世界へ

家の台所で、お婆ちゃんが畑で収穫してきた野菜をお母さんが洗っている。

 シンクに転がる春キャベツは所々に虫が食べた跡があった。

虫が食べるくらい美味しいとお婆ちゃんはいつも自慢げに言っている。

 あの青虫も生きようと一生懸命なんだ。収穫を手伝う時に見つけたら食べている葉をちぎって、そっと隅に置く。鳥に見つからないように祈る。

豚のバラ肉と一緒に野菜炒めに。

 新玉ねぎは透けるほど薄くスライスして、その上に鰹節を振りかけ醤油を掛け回したサラダになった。

食べきれない分はビニール紐で縛って、お爺ちゃんの工場の軒下に架かる物干し竿にぶら下げておく。

合理的な保存方法であり、この季節の我が家の風物詩でもある。家の中が玉ねぎ臭くならずに済むのだ。

 家族各々が食卓についた。今日一日の中で起きてるかおるねえを初めて見た。

「かおるねぇはさぁ、新学期のテストとかないの?」

ぽーんと気の抜けた顔を向けてきた。

口をぽかーんと開けて、力の抜けたふざけた顔をしていても美人と言われる容姿は春ねえと一緒だ。

あっ、ヘアアイロンかけてストレートになってる。

どっか出掛けたんだな。

「京ちゃんにいい事を教えてあげよう。テストはクソ。勉強は最後に本気を出せばいい」

よくもまあそんな事が言えるものだと感心する。

受験勉強の時はあんなに「もっと勉強していればよかった!」って嘆いていて短期の塾にも通わせてもらってたくせに。

「なあにあんた。やっぱりテストあるの?」

お母さんの呆れ顔から読み取るに、黙っていたな?

お父さんの様子を横目で見ると、我関せずと黙々とおかずに箸を伸ばしている。

「後で苦労するのは自分だからな」

その一言に応えるように、小さく舌打ちをしたかおるねえが怖くてもう横顔すら見れない。

 お婆ちゃんが育ててくれた野菜たちが急に味気も彩りもなくなった。

野菜の形をした固体を咀嚼そしゃくして、食事が皆で囲って楽しいものから栄養補給の手段に変わる瞬間。

 お父さんの説教が始まる空気が両肩にのしかかって居ても立ってもいられない。

「ご馳走さま」と呟いて、そそくさと食器を洗って廊下で横になってる花子のお腹を撫でた。

 よしよしと声は掛けない。それでも花子は尻尾を振って喜んでくれる。

無条件に花子は可愛い。

 お風呂から出て自分の部屋へ行く前に、空いたことをおじいちゃんに伝える。

 おじいちゃんは部屋でテレビを正座して観ていた。

座布団も敷かずに。畳、痛くないのかな?

そんなに寒くないのに手の平を足の上に置いて、手で擦っている。

殆ど身体にお肉ないから寒いんだよね。

入った後のお風呂、とんでもなく熱いもん。

「お風呂空いたよお」

いつもの事だけど返事はない。

「ほっか」

隣に座るお婆ちゃんが代わりに応えた。

 振り返る廊下の先のリビングが気になる。そのうち言い争いが始まるかも知れない。

花子が廊下を根城としているのは、私が部屋に籠もるのと同じ感覚かも知れない。

 自分だけの絶対的な安全領域。

今の私にとってきっとそれはヒノコムの世界で。

イヤホンを着けてアプリを起動すると、波の音が聴こえる。

 少しずつ意識が小分けにされて、波間に拐われていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る