遭遇

家を出て暫く、田んぼに挟まれた町の境目になる片側二車線を自転車で渡りきったコンビニの駐車場から、家の方を振り返ってみた。

 排気ガスが混じった風が吹いている。

この風に少し昔は田んぼの匂いもあった。

用水路のちょっとした坂の姉ちゃん達と土筆つくしを採ったあぜ道も今や立派なアスファルトになった。

夏になれば、少しだけ蛍の光を楽しめた。

秋は穂を垂れた稲が一面に吹き抜ける風に揺れて。

ブランコと滑り台しかなかった小さな公園も今は。

 再開発はおばあちゃんの畑の側まで進んでいる。

土を耕して、出てきたミミズを蛙に与えたりした。

大好きな茄子をおばあちゃんと一緒にもいだ。

荷車に乗って地面のでこぼこ振動と草の匂いを嗅いだ。

 昔の風景を思い返して、盛土に踏みつけらた今と重ねると少しだけ悲しくて泣けてきた。

不思議と横断歩道の向こうから小さい時の自分が笑顔いっぱいに駆けてくる気がした。

そんなわけないのに。

 気を取り直して用水路に沿って走って田んぼの匂いをいっぱい吸い込んで。左折して朋ちゃんの家に着いた。

 いつ来てもお洒落な家だと思う。

古民家を改築した家で、白い漆喰の壁に窓がふちが青色に塗装された縦長の格子。しかも玄関横の窓だけ瓢箪の形をしていてユニーク!

端で茂る蔦がアクセントになっているというのか。

私には難しいけど漠然と整っていると感じる。

それに大きい。

正確な広さを表す単位や敷地面積とかは知らないけど、とにかく大きい!

将来こんな家に皆で住めたらなぁ。花子が家中を駆け回っても怒られないような。

 通りに朋ちゃんの家を見上げる怪しい人がいる。

確かに見惚れてしまう外観だけど。

二階の窓の方を見上げて微動だにしない。

 長髪の男性。

身長は百八十センチ位。

細身。髪は黒色で波ウェーブの長髪で顔の前半分を隠している。どこに忘れてきたのか眉毛がなくて、すっと鋭い細い目。

えーと……服装は花柄の長袖シャツに黒のパンツで。

跳ね上がる心拍数に呼吸を乱しながらも、本当に泥棒だったら特徴を覚えなきゃと暗唱する。

どうしようどうしよう。

心の中の天秤が勇気と恐怖で揺れ動いている。

ついでに私の足も震えている。

 そうだ!!不審者を見かけたら声かけが有効だって。

怖いけど、でも私がやらなくちゃ!

「こっ……!こんにちはっ!」

緊張から硬直した喉から思った以上の声量と高音がぽんっと飛び出した。

 泥棒らしき男の人は、私がいる事なんて重々承知だったようで。

ゆっくり顔を私の方に向け、ゆっくりと体も。

私は泥棒さんの頭の天辺から爪先、服の皺の動きまで見据えた。

「はい、こんにちは」

細身の体そのままな細くて掠れた声!

喋った!あっ、それは失礼だ!無視されると思っていたから、まさか挨拶されるとは!あっ!私が挨拶したからだ!

落ち着け私!まだ相手が善良な人と決まってないし。

 とりあえず言葉遣いは丁寧だけど無表情だ。

それなりに場数を踏んだ泥棒さんだから声掛けに慣れていたのかも?

でも、悪い人とも思えないし…。

 あっ!なんで悪い人と思えないか解った!

擬洋風の建築物の解説をしていたテレビ番組でやってたあれだ!

「オフィーリアだ……」

ケシの「死」ひな菊の「無邪気」薔薇の「愛」勿忘草の「私を忘れないで」花々の間に散りばめられているのは…確か、いらくさの「後悔」

美術品の解説を行う番組を見終わった後、インターネットで調べた大好きな絵画。

ミレイが描いたオフィーリアに登場する殆どの草花をデザインに用いたシャツなんだ。

 私の独り言が聞こえたのか、怪しい人は瞼が若干開いて半分驚いたような顔をして、無表情に戻った。

そのままゆっくり歩いて横を通り過ぎて行った。

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