第4話


「そういえばさ、病院ここの敷地に景色良いところあるんだけど知ってた?」


 ベンチに近づいてくるなりウズメさんがそう言う。逆光で顔がよく見えない。目の上に手のひらをかざして影を作る。


「へぇ、そうなんですか」


 この病院なら色んな所にありそうだな、と思いながら適当に相槌を打つ。

 そんな私に気づきもしない彼女は、ぱぁっと顔を輝かす。


「ねぇねぇ、一緒に行こうよー! ぼっちで行くのやだからさ」


 ほら、と私の右手を握って立ち上がらせようとする。まだ返事してないんですけど。


「まぁ、いいですけど……」

「やったー! あ、体調は平気?危険そうだったらちゃんと断ってほしい」

「や、全然元気です」


 あれ、ウズメさんに病気だって言ってたっけ。

 でも、着古して色褪せたこのパジャマ姿はどっからどう見ても病人だ。言っていなかったとしてもわかるか。ふと浮かんだ疑問は自分の手によって心の隅へ追いやる。

 ウズメさんの左手を握り返して立ち上がった。



「ふふん、ちゃんと天気予報確認してきたんだからね! 」

 右手を引っ張られたまま、簡単に造られた木の階段をを登って行く。それでも土や砂利が多く、その上を歩く似非クロックスの足元は覚束ない。

 ベンチで話してからそんなに経っていないはずなのに、辺りはいつの間にか薄暗くなっていた。


「もう少しで着くけど、アマちゃん、大丈夫?」

「だいっ、じょーぶ、です……」


 ウズメさんの声に顔を少し上げると、もう少しの所に開けた場所が見えた。

 軽く息切れがする。完全な運動不足だ。

 でもあと少しだと思えば……大丈夫だろう。

 屋外に出てはいるけど、ベンチは病棟のすぐ近くにあるから、そこまでの運動にはなっていない。というか、死に際にこんな動くとは思わないじゃんね。これでもクラスの中で、1.2番目の俊足の持ち主だったはずなんだけどな。


「ここを登ればとーちゃく! はい! 」


 一足先に、足場がしっかりとした所に着いたウズメさんから、繋いでいなかった右手の方を差し出される。取れということか。


「……はい」

「よいしょっと」

「ありがとうござ、ふぁっ」


 両手で引っ張り上げられたのに、私がバランスを崩したせいで抱き締められる形になる。至近距離で視線が絡んだ。


「おぉっと、危ないなー」

「……っ」


 なんだこのベタな感じは。某CMのふぁいといっぱつ的な何かを言おうとしたのに、そんな雰囲気じゃなくなってしまった。


「す、すみません」

「んふふ」


 そして先に目を逸らすのは私の方だ。なんだかなぁ、もう。


「それより、さ」


 ひとりで戸惑っている私を置いて、ウズメさんはそう言い私の隣に並ぶようにする。

 ウズメさんの体で隠れていた目の前が開けて、小ぢんまりとしたスペースに、鉄のポールで出来た手すりが現になる。

 その先に、見えたのは。そこに広がっていたのは、海に沈んでいく夕日。

 この敷地で一番標高が高い所なのだろうか。目下に木が覆い茂っているけれど、正面を遮るものは何もない。

 この景色の全貌が、ここから全て望むことができた。

 状況を言葉で表すのは簡単だけど、この感動を言葉で表すのは、きっと一生懸かってもできない。

 昼間は青が広がるだけのそこは、赤く、紅く染まっている。

 こんなに綺麗な、文句無しの絶景。言葉が出てこないくらい、感動しているのに。

 それなのに。

 頭が条件反射のように自然と吐き出した言葉は、『終わり』だった。

 そりゃ、今日という日が終わることは確かなんだけど、なんだか少し、ほんの少しだけ鳥肌が立つ。


「何度か来たことあるんだけど、いつも誰もいないから穴場なんだよね。……好きなんだ、この景色。この星に自分達しかいなくなったみたいで」


 隣でぽつぽつと話す、夕日に照らされたウズメさんの横顔は。目の前の景色より綺麗だと、素直に思えた。


「ウズメさんと二人は嫌ですね」


「まったく、素直じゃないなー。この子反抗期なの?……でもさ、私とまた、ここに来てくれる?」


「またって……」


 私はあと何回この景色を見られるのだろう。あと何回、ウズメさんと話すことができるのだろう……。

 明日生きているかもわからない私には、簡単に未来の約束なんかできなかった。

 言葉に詰まる。慌てて別の話題を探した。


「……というかウズメさん、ひとりで行きたくないって言ってたのに、何度も来てるんですね。前は誰と来たんですか」


「アマちゃんは、他人ひとのことを知る前に自分のことを知った方がいいんじゃないかな」


「ウズメさん……?」


 ウズメさんの声色が低くなる。

 なんなんですか、急に。その子どもに諭すような声は。大人みたいに落ち着いた目は。全てを知っているような、その顔は。


「アマちゃんが死んだら、この星は滅亡する」


 それだけ言ったウズメさんは、私が知ってい

る彼女とはまるで違っていた。

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