第2話

 

 それは半年前のテニスコート。

 意識はほとんどなかったはずなのに、やけに鮮明な記憶として映し出されるのが怖い。

 ドサッ、と地面に身体が叩きつけられる鈍い音。

 周りで上がる微かな悲鳴。

「大丈夫!?」と呼びかけてくれる先輩の声。

 それに何も応えられない私。

「誰か、救急車を!」という声を聞いた先の記憶は、途絶えていた。

 次の記憶は、病院の真っ白いベッドの上から。


 運ばれた先の病院で見つかったのは全身に散らばる腫瘍。

 そんなのもう手遅れで、なんと生まれつきなんてのもあるらしい。特に頭にある大きなものは、いつ急激な悪化が起こるかわからないという話を聞きながら、時限爆弾みたいだなんて思った。

 この状態では気持ち程度の延命治療しか望めない、とも遠回しに伝えられた。技術の進歩が唱われている今、もう少しどうにかならなかったのかと流石の私でも思う。だけどその反面、そういうこともあるよな、とすんなり受け入れている自分もいた。

 まぁ生きていてもやりたいことは特にないし、あったとしてもどうせこんな体じゃ大したことはできないだろうし、と治療をしないことは即日決定。担当の先生の方が動揺していたけど、隣の困ったように眉を下げた父と顔を見合わせて、そのまま貫き通した。

 担当の先生があまりにもあっさりしている私に少々面食らいつつも、それじゃあ、と勧められたのが今いる病院兼ホスピス。

 病棟を囲むように広い人工芝がひかれていて、さらにその周りには木々が茂っている。しかも小高い所に立地している為、見晴らしもなかなか良かったりする。因みに私の個室からは遠くに海が見えた。

 そんな広大な敷地を利用してか、一般の人が使えるように運動公園としても運営しているとかなんとか。

 よくわからないけど、そんなことも聞いた。確かに元気そうな子どもや、その保護者らしき人を多く見かける。もしかしたらさっき見かけた子どもも、公園の利用者だったのかもしれない。

 とまぁそんな感じの、少し変わった医療施設だ。

 そのおかげなのか、今の私は闘病しながらも死期が早まる気配もなく、穏やかに生きていた。症状が表に出てこない日は、病院の敷地内ではあるけど外に出て、ぼんやりと景色を眺めたりスケッチしたり読書したり。

 病室にいてもいいんだけど、テレビを点けても、ニュースは新型ウイルスとか異常気象とか聞き飽きたようなことばっかりだし、アニメやバラエティーには面白みを感じられなくなってしまった。

 だから現に今だって初夏の日射しを浴びながらぼーっとベンチに座っている。

 ハタから見れば到底一週間後にこの世を去っているような人間には見えないだろう。これが技術の進歩した恩恵なのだろうか。

 それだったら私の他にその恩恵を受けるべき人達はたくさんいて、こんなぼんやり生きている中学生が享受するべきじゃないと思う。なんて、自分のひねくれた思考を嘲笑う。

 異常気象の一環か、未だ梅雨の気配を見せない7月目前の空は、やけに爽やかだった。



「ねぇ、君一人?」


 急に頭上から降ってきた、ナンパの誘い文句のごとく、ややトーンの低い声に反射的にぎゅ、と体が強ばる。と同時に、こんな隅っこで惚けているやつに話しかけるなんてどんな人だろうかと顔をあげた。

 なんとそこにいたは、一見パッとしないけどよく見れば顔立ちが整っている茶髪の青年……とかではなく。

 さっき小学生達と一緒にいた女子大生っぽい人。残念ながら先の短いJCに甘いラブコメ的展開は降ってこない。いや別に残念って程でもないんだけど。

 隣いい?の言葉に目を合わせてどうぞ、と体を横に動かす。ありがとー、の言葉と香水の甘い香りが鼻を掠めた。


「君、名前は?私はウズメ。よろしくね」


 隣に座ってくるや否や、にこやかな顔を向けてくる。

 ナンパか?いや、違うんだろうけど、全然そんなつもりはないんだろうけど。キザっぽい言葉のせいか、どうしてもさっきからそれがちらつく。そして私はよろしくするつもりはない。今後会う可能性も低いし。


「怪しい大人に個人情報なんて渡せませんよ」

「え~、お堅いなぁ。でも、"君"って呼び続けるのもなんか違うしー…」


 そう言うと頭を捻らせてうんうん唸り始めた。いやもう、そんなに呼ぶ機会無いでしょ。あまりにも真剣に悩んでいる様子のこの人に、思わずツッコミを入れたくなる。でも流石に、初対面の人にいきなりツッコミを入れるほどデリカシーがない訳ではない。このもどかしさは見なかったことにしておくことにした。


「勝手に呼んで下さい」

「じゃあ、アマちゃん」

「……へ?」


 即答されて思わず間抜けた声が出る。


「だってアマガエル好きそうだし」

「ピンポイント」

「あ、私が好きなのはクランウェルツノガエルね?」

「聞いてないですから」

「アルビノ種だと尚よし」

「そーですか」


 ……なんなんだこの人は。無意識に溜め息が出る。もうこの人に持ち合わせるデリカシーなんぞ捨てた。


 ロングストレートの綺麗な黒髪に真っ白なワンピース。

 すっと整った顔に、しっかり手入れされた白い肌。

 一般的にここから導かれるイメージは、清楚。

 麦わら帽子かなんか被って、ひまわり畑にでもいればそれだけで画になるだろう。

 現にその整った容姿からか、周りの視線を集めているような気もした。

 もう一度私の隣を見る。


 「ねぇ見てアマちゃん! 蝉の抜け殻! あ、こっちにもあるじゃん! 」


 もうダメだった。

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