行いの美しさについて

ある人が、ただそれだけに集中している、没頭している行いというのは、儚げな美しさをそこに見る。


例えば、大事な予定に集合に遅刻しそうな人はただ急ぎ走るのである。履き物がヒールであろうと走るし、車が通らない赤信号は無視してしまう。もちろんそれで足を挫いてしまうかもしれないし、履き物を駄目にしてしまうかもしれないし、事故に遭う確率は高まる。そういう意味でこの行いが称賛されるべきとは思わない。そもそも遅刻しないように行動するのが一番である。しかし、現実に遅刻してしまいそうな状況が生まれてしまった以上、間に合おうとする足掻きにも似たこの行いは美しいのである。


この美しさはどこからくるのか。もっと他に手段があっただろうと幼子を見るような目で見てしまうこの行いのどこに美しさを見出すのだろう。


それは目的に忠実であろうとする姿ではないか。遅刻しそうな状況に置かれたその人の脳内は、ただ「間に合うこと」のためにすべての意識を持っていく。常に頭にちらつく恋人の存在もこの時ばかりはいなくなり、それどころか自分を大切にしようとする自己愛も、社会的規範もかなりの程度捨象できてしまう。そういった鈍感さ、ただ目の前の目的に頭を囚われ、その時間をただ精一杯にある目的に捧げる姿に儚げな美しさを見るのである。


しかしここで、行いの美しさとその行いの帰結の美しさを混同してはいけない。

国に命を捧げた特攻部隊の青年の行いの美しさと特攻攻撃の帰結の評価は全く以て別に考えなければならない。

その行いの美しさは行為という範囲のみで美しいのである。

なにかに没頭するという美しさの帰結が、当人または他者の不幸であったり、または死であったりすることは耐え難い痛みである。


4歳の弟と2人でおつかいに出た弱冠6歳の姉が、突然の大雨から弟を守るためにはどうしようかと考えた挙句、頭にビニール袋を被せた行いは美しいが、これにより弟が窒息してしまえばその行いは悲劇と化す。


人々の精一杯の行いの美しさは、その美しさゆえに痛むのである。

同じ美しさを放つ行いであるならば、その目的を達するために最低限、自己及び他者を傷つけないものであってほしい。


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意思能力いしのうりょく

―法律上、自分の行為の意味や結果を判断することのできる精神能力。一般にだいたい10歳になれば意思能力を備えるものと考えられるが、現行民法には年齢についての画一的な規定がないので、行為の種類に応じて個別的に意思能力の有無を判断するほかない。

(日本大百科全書)


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「いかに重要な目的があったとしても、どれほど目的と手段とが関連するとしても、いかなる手段をも正当化するものではない」

松尾陽「女性専用車両は男性差別か?」(瀧川裕英編『問いかける法哲学』法律文化社、2016、112頁)

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