僕、あるいは私について

ものの書き始めということで、ものを書くということについて筆を走らせたが、そもそも僕が何者かということを明かしていないままだった。


とは言っても、この文章は誰かに読んでもらおうと思って書いている訳でもない。

執筆者の素性など明かさぬとも誰も困りはしない。


しかしながら、誰かに読ませるつもりがなくとも、ここで人格をはっきりとさせておくことは、まさに僕が何者として文章を書いているかというところに直結するから、僕にとって非常に重要である。


というのも、僕は、これから僕が生み出す文章において、「本当」の話しかしたくない。

しかし、ものごとの真偽というのはある主体にとっての主観の範疇を超えない。であれば、「本当」の話をするときには、誰にとっての「本当」の話であるかがクリティカルな問題になる。


僕は個人の多面性を信ずるたちであるから、僕のなかにも複数の主体があることを認めなければならない。そこで「本当」の話を紡ぎたいという僕の欲求に厳密に従うべく、文章を書く主体をひとつここに定義したい。定義なんて大仰なことを言ったが、むしろ複数ある僕の主体の最大公約数を示すといったほうが正確か。


以下、僕のベーシックな情報を並べる。


2005年生まれ、16歳。

東京に生まれ、東京に育つ。

性自認は男性。性的指向は女性。(現在のところ)

父母ともに健在で、4つ上の姉がいる。それから猫が1匹。


と、ここまで書いて、指が止まった。

何だが薄っぺらい内容しか並べられない。この情報だけで僕の文章の真実性を担保できるのだろうか。

東京の16歳の男にとっての「本当」の話が、中国の52歳の女にとって「嘘」の話になることがあり得るかよ、と自分で突っ込んでみたが、しかし、これが意外にもあり得そうだ。


十分かはさておいて、これらの情報も無駄ではないようである。


同時に、話の内容によって、僕が何者であるか重要であるときとないときと大きく左右されそうなことにも気づいた。

今日の天気の話をするときに、僕が何歳で男か女かなんて情報は不要であり、僕がどこに居るかが必要な情報である。そして僕がトイレの待ち時間について話すときには、むしろ僕が男か女かどうかが必要な情報になる。


まぁこんな具合に、何を書くかによって必要な情報が変わってくることが判明したので、とりあえずは上にあげた役立つのか役立たないのかわからない情報だけをここに示しておく。で、これから書く文章において、都度、必要と思われる情報を付け加えていければ支障ないだろう。


そしてこれが、なぜ僕が唐突に文章を書き始めたのかという疑問への回答に繋がる。


近頃、僕は自分自身の存在を理解しようにもできない状態が続いている。

ならば、僕の主観に帰する「本当」の話を書けば、逆に「本当」の話から僕自身の主観を辿ることができるのではないか、そしてそれは僕自身を理解することに繋がるのではないか、そんな淡い期待を抱いた実験的な試みが今回のエッセイ執筆である。


ということで、前提情報はおおむね出揃ったのではないだろうか。


ここからは思う存分、僕の「本当」の話を書いていきたいと思う。




あ、


そういえば


僕が


元少年D


であることを


書き忘れていましたね(笑)


(続く)

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