私の母が幼少期にセキセイインコで同じような体験をしたことがあるようです。
大切にされ人慣れした鳥とてなお、野性の本能は外の世界を求めるのでしょうか、人の子のように……「大きくなったから巣立った」とのお母様のお言葉、お母様はその時、何れやってくる娘の巣立ちを思っただろうか、などと考え乍ら拝読しました。人と鳥獣との間に成立する信頼の在り方は「親の心子知らず」に類同するようで、寓話としても考えさせられるお話でした。
巣立ち、鳥籠の中、自由の翼、鶯遷鶯谷……人界の営みを鳥に擬えた比喩的語彙の豊かさは、人が鳥達に向ける眼差し、例えば御歌からも感じられる、若葉の季節に母が子の遊びを眼を細めて眺めるような温かな眼差しによって支えられ、生み出されて来たのでしょうね。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます!
ピイコのことは庭で遊ばせる習慣があったので、外の世界を知っていたし、もっと高く飛んでみたかったのでしょうね。なので、今になって思い返すと自然のなりゆきでもあったように思いました。でもその頃は「あんなに可愛がっていたのにどうして!?」という思いが強かったです。でもそれだけ可愛がっていたのでいつしか優しい思い出になりました。
鳥の世界もよく調べてみるとさまざまですが、古来から培われてきた自然との共存の意識は大切にしていきたいですよね。
びっしりと隙間なく書かれた文章に、不穏なものを感じて読み進めていったら、やはり。
文鳥さんは、飛び上がった先でパートナーと出会ってしまったんでしょうね。
幸せになったんだと思います。
中澤さんが、幸せにしてあげたんです。
いつの日か父母の元から離れる身として、文鳥さんの立場で読みました。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます!
いなくなった文鳥が飛び上がった先でパートナーと出会った!?と言われたことがなかったので、なんだか新鮮な気持ちになりました。
まだ小学生の頃の思い出ですが、肩に乗せて歩いていた時は何気に自慢していたんだなと今更ながら思います。笑