そのようにあるだけの

(ああ、まずったな)

それが彼の最期の思考。迫り来る大型トラックのライトの輝きが彼が最期に見た景色。

そして彼の人生は終わった。

なので、終わりの続きがあった時、彼は大変混乱した。

自分が死んだ事故現場の近くの電信柱。そこに寄りかかるようにして彼は立っていた。五体は満足で意識は明瞭だった。

「…は?」

何故、自分がここにいるのか分からない。彼は何とか状況を把握しようと周りを見回す。すると彼のすぐ隣に子供が1人蹲っているのに気が付いた。

傍から見てかなり異様な子供だった。雰囲気が陰鬱で目に生気が一切感じられない。何をしてるのかと様子を伺ってみれば事故現場に備えてあったであろう煙草の箱をオモチャのように片手で弄びながら、もう片方の手で執拗に地面の蟻を潰している。

(…魔法使い)

その上、子供は魔法使いだった。渦巻くような魔力の流れが子供に注がれているのが分かる。相当に力のある魔法使いだ。この性質ならば大変苦労するだろうと彼は思った。

「こんなところにいたの!!」

自分が置かれた状況の把握が出来ないまま、子供を観察していた彼の耳に金切り声としか表現できない女の声が響いた。見れば、目を吊り上げた女がこちらに向かってくる。どうやら子供の関係者の様だった。

「貴方、またそんな気味の悪い遊びを…!貴方のせいで私たちがどれだけ迷惑してると思ってるの?!ほら、早く帰るわよ!」

女は子供の腕を乱暴に引っ張った。その瞬間、傍観していた彼の口はひとりでに動いていた。

『待ってください』

「…?誰、貴方?」

訝しげに女は彼に尋ねる。彼の方も驚いていた。何故、自分はこの女性を引き留めたのだ?そんなつもりは欠片もなかったのに。

『私は彼の養父です。彼は私が引き取ります。あなた達が引き取らなくても大丈夫です』

機械の定型文の様な言葉が口から勝手に溢れ出す。それは彼の言葉ではなかった。彼はそんなこと、ひとつも考えてないのだから。

ならば、誰の言葉なのか?決まっている。目の前の子供が彼に言わせている。魔法を使って。

「あら、そうよね。この子のことは貴方が引き取ってくれるのよね。私たちはもう何も悩まなくていいのよね。ああ、そうだったわ!」

女が歓喜の声をあげる。まるで心からこの状況を歓迎すべきことだと思っているかのように。彼は理解した。何故、自分に終わりの続きがあるのかを。

自分はこの子供の魔法で存在を縛られたのだ。


養父。それが子供が彼に求めた役割。

察するにこの子供は親戚中で厄介者扱いされていたらしい。それを打破するためにこの哀れな子供は無意識の魔法行使で養父という存在を造り上げたのだ。彼はその材料。事故で死んだ彼の魂の一部が存在を確立するために使われたのだろう。

初めは何にも出来なかった。頭では物事を考えられるのだが、自分で思ったように体を動かすことが出来ない。ただ、そこにいて、そのようにあるだけの木偶。それが彼。子供が魔法で暗示をかけて奪った家の中で養父というパーツとして存在している。自発的に子供に話しかけることすら出来なかった。

子供は現状の異常さを理解していないようだった。彼のことを養父として認識しているようだが、何かを求めたり、話しかけたりしてくることはない。ただ、養父という存在がそこにいるのだから金や食べ物が発生するのは当たり前だと思っているようだった。彼が持ってきていると勘違いしているのだ。実際は子供が魔法で奪ってきたものなのに。

その上、彼の存在は弾かれることがある。世界中の誰にも彼の存在が分からなくなるのだ。死んだ身なのでそれが当たり前なのだが、その状況を作り出しているのも子供のようだった。子供が彼を認識しないと決めた時、彼は世界に認識されなくなる。何にも触れず、誰にも気付かれない幽霊に逆戻りする。


とりあえずの現状と自分を縛るルールを確認し終えた彼は子供と会話をすることを第一目標とした。それには大分時間が必要だった。彼は毎日毎日音にならない声で子供に話しかけた。

(おい、野菜を残すな。ニンジンもしっかり食べろ)

(起きろ、寝汚過ぎるだろ。学校はどうした)

(なんだその箸の持ち方は!?前衛的な現代アートか?)

子供には社会性が致命的に欠けていたので彼はまるで本当の父親の様に毎日小言を言う羽目になり、それは当たり前のように子供に届かなかった。


「お前、なんて名前なんだ」

いつも通りだった。彼はその時も一方的なお喋りに興じようと子供に話しかけた。その質問は彼が前々から子供に聞きたかったことだった。何せ、養父になってから今まで一度も子供の名前を知る機会がなかったのだ。まあ、答えは返ってこないだろうといつも通りに彼が諦めた時、子供が彼を見た。

「…名前?ないよ」

それは明確な答え。子供からの初めての返答だった。

「…な、まえがない?」

「そう。親からはオイとかコラとか呼ばれてた。親戚からはあの子とかこの子とかなんとか。ちゃんとした名前、あるにはあるんだろうけど俺は知らない」

「知らないって…」

混乱したまま、会話をなんとか続けようと言葉を繋ぐ彼を知らずか子供は淡々と答えて黙り込んでしまう。彼は慌てた。ようやく会話が出来たのに聞けたのがこれだけじゃ悲しすぎる。

「じゃあ、俺がつけるよ」

「え?」

「俺はお前の養父なんだから。父親が子供に名前を贈るのはおかしいことじゃないだろ?」

彼の提案に子供はぽかんと口を開けて固まった。考えもしなかったという顔だ。その顔を見て、彼はとびきり美しい名前をつけてやろうと決意した。

少しの間、彼は考えて自分の一番好きな言葉を子供の名前として贈ることにした。

「黎明。今日からお前は黎明だ」

子供───黎明はぽかんとしたままだったが、確かに彼を見ていた。

それが二人の本当の始まりになった。



子供に黎明と名付けてから、彼は生前と遜色なく物事が行えるようになった。自分の思い通りに体は動くし、物に触れるし、人と話せるし、料理も出来るし、仕事も出来た。ぼんやりとしていた自分という存在が世界にピッタリとはまったようだった。出来なかったことが出来るって素晴らしい。彼は遠慮容赦なく黎明にニンジンを食べさせたし、朝寝坊しないように叩き起したし、前衛的な箸の持ち方を矯正した。仕事が出来るようになったため、黎明が魔法を使ってお金や食べ物を奪ってこなくても養えるようになった。黎明がハッキリと彼を認知しているので、世界から弾かれることもなくなった。

何もかもが順調だった。親子関係も中々上手くやれていた。黎明が自分に懐いているようだと気付いた時、彼は笑みを隠せなかった。自分を親父と呼んでくれた時には飛び上がって喜んだ。

そのまま時が経ち、全てを絶望して嫌っていた黎明の瞳に光が瞬くようになった時には10年が経っていた。素直でないけれど寂しがりの息子を彼は心から愛していた。

だから、油断した。この日々がずっと続くと勘違いしてしまった。

だって、彼は死んでいる。本当はこの世には居てはいけない存在だ。この歪な幸せは黎明の異能まほうで成り立っていたものなのに。



その日は黎明の誕生日の前日で日曜日だった。フライング気味だが、彼はお祝いのために遊園地に黎明を連れてきた。

「もう15になるのに遊園地なんて…」

入る前はぶつくさ文句を言っていた黎明も、1つ目のアトラクションの後には一転して瞳をキラキラと輝かせていた。次はあれ、その次はこれと地図を指さして興奮する黎明を眺めながら彼は微笑む。黎明は随分と大きくなった。初めて出会った頃よりずっとずっと。

「…親父?どうかしたのか?」

「んー?いや、黎明にはもう俺なんていらないなーって思ってた。だってもう15歳だよ?でっかくなったなあ」

黎明はいつも通り素直じゃなかった。ふんと鼻を鳴らして彼に答えた。

「当たり前じゃん!もう親父なんていなくても1人で生きていけるし!」

「あはは!はいはい、じゃあ一人前の黎明くんは明日は何が欲しいのかな?」

「…いつもと同じ」

「いつも通り、大きなバースデーケーキね。了解了解」

「わざわざ言い直すなよ!」

ぎゃいぎゃいと喚く黎明の手を引き、次のアトラクションに向かう。明日は最高の誕生日にしてやろうと、大きくて美味しいバースデーケーキと15本のロウソクを準備して、学校から帰ってきた黎明を出迎えるのだと、彼はそう決めていた。


次の日、彼は世界から弾かれた。もう何にも触れられないし、誰にも気付かれないし、もちろん黎明の誕生日を祝えなかった。

がらんどうの部屋に戸惑う黎明を見た。探し回って喚き散らしてそれでも居なくなってしまった彼を呼ぶ黎明を見た。前日に用意していたバースデーケーキが入っている冷蔵庫を見て絶望する黎明を見た。全てを諦めて、瞳から光が失われる瞬間を見た。見ることしかできなかった。

(俺が、俺なんていらないって言ったから)

彼は黎明が魔法で無意識に創り出した存在だ。黎明が自分に保護者が必要だと思っていたからこそ存在が許されていた。そんな黎明に自身の不必要性を説いてしまったのは彼だった。彼の一言が黎明の無意識を変えてしまった。という無意識に。

自分の愚かさに吐き気がした。今まで築いてきたものを自分の手で台無しにしてしまった。

そもそも、何故自分は黎明に自分の存在がまやかしであると、お前が魔法で創り出した存在だと伝えなかった?そうと言っておけば黎明を裏切るような別れにはならなかったのに。

(言わないことが…幸せだと思ってた?変化がない、ずっと続く平穏が自分だけじゃなくてあの子のためだと思い込んでずっと───)

その結果が今の黎明だ。世界に絶望して、全てを嫌って、楽しげに笑っていた時の面影は欠片もない。

それを彼はもうどうすることもできなかった。

黎明が世界を滅ぼすと決めた時も、初めて人を殺した時も、何もかもを呪って傷つけた時も、黒い魔法使いと呼ばれ始めた時も。ボロボロに傷つき、その傷を見て喜ぶ愛しい子にただそのようにあるだけの彼には何もしてあげられなかった。

でも、そんなことを繰り返しても黎明が幸せになれないことは分かっている。それだけは黎明に伝えたかった。彼は息子の幸せを独りよがりで歪めてしまったけれど、本当に黎明が求めているのが滅んだ世界なんてものじゃないことは分かる。

(黎明、そんなことをしてもお前は幸せになれないよ)

きっと黎明は幸せを求めている。養父と過ごした日々をもう一度取り戻したいと思っている。だけど、裏切られたと思っているから、置いていかれたと思っているから、何もかも嫌いになって自暴自棄になっているに違いなかった。彼はそのことがよくよく分かっていた。曲がりなりにも、彼は黒い魔法使いの養父であるので。


ずっとずっと呼びかけていた。昔と同じように一方的に。黎明が誰を傷つけた時、黎明が深く傷ついた時、何度となく呼びかけた。

(お前はそんなことをしても幸せになれないんだよ)

届いて欲しいとずっと祈っていた。それが何故だかまだ消えずに未練がましくこの世に残っている自分の最後の役目なのだと。

言葉は最後まで届かなかった。黒い魔法使いが白い魔法使いに敗れても。黎明は本当の幸せが分からないまま奈落に堕ちていった。


彼は奈落の底でまだ世界を呪う黎明を見た。自分の身体を犠牲にして、毒虫に全身蝕まれながら嗤うその姿はあまりに哀れで悲しかった。

(自分がこの子から幸せを奪ってしまった。そして、独りのままで死なせてしまう)

削れて削れてどんどん小さくなる黎明に彼はいつも通りに呼びかけた。

「黎明─── 黎明…馬鹿だな、こんなことしてもお前は幸せになれないよ」

黎明が彼を見た。しっかりと目が合った。

次の瞬間、魔力が渦巻き、彼に罵倒と共に全力を持ってぶつけられる。極彩色の輝きが煌めくのを自分が生きていたら即死だろうなと考えながら、彼は確かに歓喜していた。

最後の最後に祈りは届いた。彼はもう一度、黎明と語り合う機会を得たのだ。

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