人と霊。

きぃつね

その時。

 これは私が引っ越して、数日たったある日のことでした。


いつものようにサービス残業を済ませた後、私は終電に揺られて家路についていました。

普段より少ない乗客を見て、今日が日曜日であることを思い出した私は思わず苦笑いを浮かべ、家の冷蔵庫に入っている物を思い出しながら夕食を考えていました。


――豆腐と…刻みネギ。ローンソでPチキでも買おう。でも、ポン酢がないや。


自炊する体力もなく、ご飯を作ってくれる人もいません。


身体を壊せば…そう壊してしまえば今の状況から抜け出せるかもしれませんが、高校生の弟をギャンブル中毒の母親から守るため、給料の良い今の仕事を手放す選択肢は私にはありませんでした。


「次は終点○○~、○○~。ご乗車ありがとうございましたぁ~」




やる気のない車掌さんの声が聞こえ、私を現実に連れ戻しました。


○○市の郊外にある私の家。

いつか中心部にある賃貸料が今の二倍以上するマンションの一室を借りようと夢見ていた日々が懐かしいです。


定期の残高が二桁になっているのを確認し、まだ有人駅のため、駅員室にいる定年間近のおじいさんに会釈しました。

おじいさんはニッコリと笑みを浮かべると電気を落とした、駅の一日は終わりを迎えたようです。


時折、点滅している街灯がぼんやりと照らす夜道。


最初は幽霊やお化けを恐れていた私ですが、本当に恐いのは営業目標に届いていない月末に苛立っている上司と分かってからは何も恐くなくなりました。

Pチキの袋を片手に持って、私は人気の無い住宅街を通り越し、良く言えば閑静、悪く言えば人気のない私のアパートにたどり着きました。


アパートの階段を軋ませて重い足取りで上っているとき、アパートのちょうど裏にある物置の横で、赤い光が三つ、揺れているのが見えました。

目を凝らしてよく見てみると、自分の弟と同じほどの年齢と思われる少年たちが、タバコを吸っていたのです。


元々、家を出ていった父親が吸っていたタバコの臭いが嫌いな私は、その日最後の力を振り絞って声を上げて注意しようとした時、少年の一人が着ているジャケットに私は見覚えがありました。


「え……裕くん?」


昨年のクリスマス、私が弟にプレゼントした物でした。

私の声を聞いて驚いたのか、三人の少年たちは急いでタバコの火を消すと、塀をよじ登って夜に消えていきました。


「裕くん!」


私はご近所さんに気を使うこともなく、大きな声を張り上げて弟を呼びました。

すると、最後に塀を上ろうとしていた、あのジャケットを着た少年が止まり、ゆっくりと後ろを振り返りました。


そして、私に言いました。


「姉……さんなの?」


顔がフードの闇に覆われているせいで、顔が見えませんでしたが、声は確かに弟のものでした。


「お母さんにまた嫌なことをされたの?」

「え……だって」


動揺しているのか弟はそれ以上、何も言おうとしません。


「だからって、タバコはしない約束でしょ」

「タバコはもうやめたよ…」

「私にだけは嘘をつかない約束でしょう」


その時、一陣の風が吹き抜け、弟のフードを払いのけました。

それは確かに私の弟でした。

しかし、顔面は蒼白で、まるでお化けをみているかのように瞳には恐怖が刻まれていました。


「ど、どうしたの……」



まだ言い終わらないうちに、弟も夜へ溶けていってしまいました。

なぜか、もう二度と弟に合えないような気がした私は、あらん限りの声で弟を呼びましたが、返答は何もありませんでした。

その時、私は風に乗ってこちらまで運ばれてきた臭いがタバコのものではないことに気が付きました。干し草のような甘い香り...これは線香?




 「速報です。先日、○○○○銀行に勤めていた○○○○さん(26歳)がパワハラや過度な残業によって自殺した事件の判決が今日、東京裁判所から出されました。判事長である○○○は『会社側に責任がある。事態を把握していながらも改善せず、放置した責任は大きい』との表明があり、賠償金387万円の支払いを命じました。判決を受け、○○○○さんの弟で原告は代理弁護士を通じて、「お金で命は戻ってこない。だが、社会がこの事件をきっかけに社会が良くなれば、姉さんも休めるはずだ」とコメントしました。次のニュースです」

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人と霊。 きぃつね @ki1tsune

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