第32話。英雄魂。
誉れ高きハッサー王国機械兵団の一員であるローリエ三等兵はその夜、身を蝕む寒さに耐えながら警戒任務に当たっていた。
与えられた警戒区間に一定間隔おきにサーチライトを移動させるというとてもシンプルな作業だ。配属当初は緊張していたせいで風で揺れる草や枝を敵兵と間違えそうになる事もしばしあったが、今では人と動植物の区別ぐらいつくようになっていた。
「今日の夕ご飯は何だろうな」
「冷や飯な事は間違いないさ。最前線は火気厳禁だからな」
「って言ってもよ、帝国軍は敗走中だぜ。今更反転して攻めてくるかね、普通。上の連中も何で追撃しないんだろうな」
「さぁ、俺に聞かれてもな。それよりちゃんとサーチライトを動かせ。また罰として皿洗いをさせられたら、お前が助けを求めても絶対に助けないからな」
ローリエのすぐ隣でアサルトライフルを手に警戒に当っているのが彼の戦友であるケリア三等兵である。ローリエより一ヶ月最前線に配属された事もあり、前線での生き方を教えて貰ったローリエはケリアに感謝している節があるはずなのだが、何かと面倒事を引き起こし上官からセットで叱責されているのは申し訳ないのだが。
「ん、なぁ。俺の見間違いかもしれないけどよ…今、スポットしてる所。たまに何か光ってねーか」
スポットライトが照らし出しているのは茂みが集中しているエリア。警戒の邪魔になるため、明日にでも切り払われる予定となっていた場所だ。
「そうか、俺には何も見え……ローリエ、直ぐに班長に無線を入れろ!」
「ど、どうしたっていうだよ。少し説明してくれな…」
「時間がないんだッ!俺は警報を鳴らす!…早くしないと、俺たち死んじまう!奴等が、帝国軍が本当にきやがった!」
光源の正体は兵士が装備しているゴーグルや銃が強烈なスポットライトを反射させたため、時よりチカチカと光っているのだ。
だが、ケリアの報告をローリエが理解するよりも早く、茂みに潜んでいたそれらは一斉にこちらに向かって銃撃を始めた。統制の取れた掃射はケリアたちりも前にいた兵士たち数名の命を一瞬のうちに刈り取った。
「こちらB-14地区のローリエ!班長、すぐに部隊長に伝達をお願いします!一刻を争う緊急事態です!」
「銃声はこちらでも確認した、全警戒部隊を一時的に混成部隊として編成し直ちに反撃してくれ。応援部隊を直ちに送る。彼らが到着するまで持ちこたえてくれ!」
だが、班長の命令は地面に転がった通信機から虚しく響いたのみで、当の本人に伝わることはなかった。
八割以上の警戒部隊員は半年以内に士官学校或いは短期強化訓練を受けた者たち、新兵である。ローリエやケリアもその例外に漏れず、実戦に参加しているものの敵との交戦はまだ未経験であった。何故そんな新兵らが重要である最前線の警戒任務に当たっていたのか。それはローリエが担当している区画が戦略的に見て最も襲撃率が低くなっていると上層部が判断したからであった。
主戦場より少し南にあるこの区画を抑えた所で帝国側に有利になることはない。むしろ、流れの激しい川があるため兵士は愚か戦車すらまともに移動できず、機動戦へと持ち込めないのだ。川を渡りきった所で発見されれば後方で待機している即応部隊や左右に展開している部隊に挟撃されてしまう。愚かしくも少人数で侵攻してこない限り、発見は容易であるとの結論が下され、新兵が起用されているのだ。
そこへ現れたのが中隊規模の敵兵力。
この地区を襲撃できるほどの浸透戦術を保有している帝国軍なぞ限られている。数々の修羅場を潜り抜けてきた歴戦部隊に他ならない。
指揮官から下された命令を聞く間もなく、新兵が壊走し始めたのは当たり前なのだ。
だが軍隊においてそれが許されるはずがない。
「ローリエ!銃を持て!班長が来られるまでここを死守するんだ」
「む、む、無理だ!お、おれ…には」
「ここを突破されたら最後、混乱に乗じて敵本隊がくるぞ!当たらなくてもいい、弾幕をはって敵を怯ませろおおおお!」
ケリアの怒気を孕んだ絶叫にローリエは正気を取り戻した同時に、自分の無様な体を激しく恥じた。父母兄弟姉妹に送り出され、勇敢で誉ある王国軍人の末席に加わったと言うのに。
「すまなかった」
支給されているアサルトライフルを手に取り応戦し始める。
両目からは涙が零れ落ち、鼻水は啜っても流れ出て、とても悲惨な事になっているローリエの顔面であるが、同じ状況にいて、逃走しようとしていた面々に対しては効果的であった。
例え恐怖心が打ち勝ち、人として情けない姿を晒そうとも、王国軍人としての矜持を忘れなかったローリエの姿はまるで英雄のように軍人の雛たちの瞳に写った。
そして英雄魂は伝染した。
我先にと投げ捨てた銃を拾い上げ、雄叫びを上げながら引き金を乱暴に引く。
狙いが甘く見当違いな所を撃っている者、反動で身体を痛める者もいた。だが彼らは祖国のために立ち上がり、希望を見出そうとしのだった。
「おい、ケリア!」
弾倉を再装填している間にローリエはチラリと戦友を見て愕然とする。
極力、遮蔽物の後ろに隠れるように士官学校時代、教官から教わった。ケリアも同様のはずだ。だが、ケリラが上半身を遮蔽物である鉄板から曝け出し、何かを凝視している。
「しゃっがめっ!」
ローリエがケリアの両肩を乱暴に掴んで遮蔽物の中へ引き戻した時、弾丸が先程までケリアのいた場所を通り抜ける。
「何してんだ!死にたいのか!?」
すんでの所で戦友を助けられた安堵と、自ら命を危険に晒していたケリアに対してロ
ーリエ激高する。
「……なぁ、ローリエ。人間ってのは、撃たれたら死ぬよな」
ワンマガジン分撃ち終わった時、未だに無気力状態なケリアがローリエに問うた。
「場所によるだろ!脳と心臓なら一撃!他の部位なら良くて欠損、最悪失血死だ」
再びケリアが立ち上がろうとしたので、ローリエが顔面を殴り飛ばした。。
痛みでケリアの目が覚める事を期待していたのだが、その目はどこか遠くを見つめていた。
「違うんだ、僕らは…違うんだ」
「お前も少しは手伝え!怖さでイカれちまったのか!」
「ほら、見てみろ」
何をコイツは言っているんだ、と内心叫びつつ、普段は落ち着いているケリアがここまで変貌してしまうとはそれなりの理由があるはずだ。
銃声がやんだ瞬間、顔だけを出し辺りを確認してみる。
先程までは茂み付近にいた敵兵が既に半分以上も塹壕内になだれ込んでおり、王国軍兵士との近接戦闘へもつれ込んでいる。
自分らがいる監視塔へ来るのも時間の問題だろう。
その時、おもむろにケリアが手榴弾のピンを抜き、自軍が撤退もしくは掃討された所に投げ込む。放物線を描き飛翔していった手榴弾が丁度良く敵への中へと落ち、爆ぜた。
鼓膜を穿つ轟音が辺りを支配した。
「ナイス!やっぱお前はやるじゃねーか」
あれは確定撃破と数えても良いのだろう。
手榴弾の有効範囲内で尚且つ塹壕という狭い空間なのだ。細かい鉄礫が敵兵の身体を引き裂き、即死させる。
「まだだ。まだ、目を離すな」
ケリアの丸太のような腕で無理矢理首を回され、痛みのあまり思わず声が出る。抗議しようと思い振り返ると、そこにいたのは無気力状態のケリアではなく、一人の使命を持った王国兵だった。
「見ろ」
有無を言わさない口調。反射的に先程、手榴弾が投擲された辺りを見つめる。
爆発の影響か砂塵が舞い上がり、よく見えない。だが一面に飛び散った血の量が敵兵の死を物語っている。
「あれは即死だよ。俺の全財産を賭けても…」
その時、一陣の風が砂塵を吹き飛ばすと、そこには信じがたい光景が広がっていた。
確かに手榴弾の直撃を受けたはずの敵兵が、装備類に欠損はあるものの、五体満足の状況で生きていたのだ。
敵兵はまだ使える銃を拾い、再びこちらに襲いかかっているのである。
「ま、魔装兵か!?手榴弾の直撃を防ぐなんて、化け物め!」
「周りに飛び散った血糊が見えないのか!俺はさっき、あの中央にいる奴が胸部を撃たれるのを見たんだぞ!だが数秒後、奴は何事も無かったかのように立ち上がり、再び歩き始めたんだ!こ、こんな事が、あっていいのか!?」
「……」
「お、俺達は何と戦っているんだ!?」
ケリアの絶叫がローリエの耳朶を打ち、脳内へ神経信号として伝達され、意味を理解する。
はずだ。
だが、脳は、ローリエの常識がそれを拒否する。
「ローリエ、しっかりしろ!今は奴等の、あの化け物どもから逃げることだけ考えよう。俺らが志願したのは帝国兵と戦うためで、煉獄から這い出てきた化物とではない!」
ケリアは放心状態となってしまったローリエを背中に担ぎ、高さ二メートル程の監視塔から地上へダイブする。右足首に痛みを感じたが、アドレナリンのお陰か歩行困難になるほどでもない。そのままケリアは塹壕や遮蔽物を駆使し、後方へと独断撤退した。
混乱は徐々に、だが確実に王国軍内に広がっていった。
ローリエやケリアのように逃走した者、現実と信じれず正気を失った者、勇猛果敢に戦い死んでいった者などで混声警戒部隊の指揮統率能力は既に消失し、混沌のみが彼らを支配した。
そこへ援軍として駆けつけたのが、機械兵団の部隊である。
今戦では常に最前線にいたこの部隊の面々は優秀なベテラン兵として名を挙げており、彼らの多くが勲章を受賞している。
そんな戦争というのを良く知っている彼らが、前線より逃走してきた新兵が喚き立てている事を信じられるはずがなかった。
「ケリア三等兵!貴官は何を言っているのだ。擲弾を喰らって生きている魔装兵だと?そんな者どもが本当に実在するならば、出し惜しみできる余裕のない帝国は既に前線に投入している!愚か者が!」
「班長!ただの魔装兵ではありません!不死…不死の兵士であります!」
「…狂ったか」
「い、いえ、私は正常です!ですがあの光景を見てしまえば、狂うのも当然。射殺したと思った敵兵がいきなり立ち上がり、サバイバルナイフで友軍兵士をめった刺しにしているのですよ!?狂わないはずがないでしょう!精神鑑定を受けさせて下さい!そうすれば私の話していることが事実であると証明できます!」
班長はケリアという人物をよく知っている。
「お前を信じるか、信じないかは別として我々が前へ出なければここを突破される。ハドマイ帝国に関するきな臭い噂もあるというのに、タイミングが悪すぎる!」
秘密というのは例えそれが国家重要機密に指定されたとしても、噂という形で尾ひれがつき出回ってしまうもの。
だからこそ、班長もとい第三五八小隊小隊長は自分の部隊が後に引くことを許されないことを知っている。
ここを突破されれば王国軍の前線に風穴が空いてしまい、穴を埋めるために他の場所から兵員が割かれる。そこへ別国からの宣戦布告があれば最悪の場合、主力部隊は包囲され、孤立無援の状況に置かされてしまう。
「各員、警戒しつつ前進を開始せよ!ケリア三等兵、貴官はローリエ三等兵の手当を終えた後、本隊に合流するように」
こうしてベテラン部隊として重宝されていた機械兵団第三五八小隊は王国軍が撒いた種の最初の犠牲者となったのである。
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