第30話。装備調達。

 ザルス帝国前線作戦司令室は絶望的な雰囲気に包まれていた。重苦しいコールタールが居合わせている将校らの心を押し潰している。

円卓を囲むようにして集っている殆どが中佐や大佐という司令室にいる将校にしては低い階級章を身に着けている。幹部候補として純粋培養された若年将校たちの中で少し年齢が上と思われる大佐に一同の視線が集中している。誰もが不安そうに瞳を揺らし、唇を舐めたり腕をさすったり、落ち着かない様子だ。

重苦しい沈黙を破ったのは、以外にもその大佐の右後ろに控えている書記官だった。


「大佐殿、もはや考えた所で状況は変わるとは思えません。皇帝陛下からの勅令は絶対であります。我々だけで反攻作戦を敢行し、せめて数キロ程度は前進した後に友軍に救援を求める、それしか残されている道はありません」


書記官の言葉を皮切りにその場にいた軍人たちが一斉に口を開いた。


「なぜ、ハドマイ帝国は援軍を送り出してこないのでしょうか。皇帝陛下が約束を自ら取り付けられたと言うのに…まさか、裏切っ…」

「ガレーモン中佐!滅多な事を口になさらないで頂きたい。それを言ってしまえば、前線司令官らは首都へ招集されたという名目で帰還された。ハドマイ帝国よりも我々の司令官の方が…」

「貴殿こそ何を言う!司令官は我々を信用してくださったのだぞ!?ならば我々はこの身を捧げ、偉大なる祖国を守護する者となろうでは…」

「静かにしてくれ」


白熱する議論を目を閉じ、腕組みをしている大佐が断ち切る。

軍大学を卒業し数年程度の実勢未経験な将官らが、大佐が醸し出す異様な雰囲気に呑まれる。


「まず、皇帝陛下からの勅令は絶対であることを確かにしておきたい。我々一士官の分際で御方の御言葉に意見するなど、身の程知らずにも程がある」

「ちょ、直接意見した訳ではご、ございません」

「では、貴官らは反攻作戦に関してなぜ及び腰なのだ…」

「お、及び腰なのではなく、たとえ一点突破を敢行したとしましても奴等は我々の二倍以上の兵力を前線全てに貼り付けているのですぞ。皇帝陛下より賜りし軍隊を無謀な突撃より失うのは愚の骨頂というもの。策を練り、敵の前線に風穴を空ければ…」


刹那、凄まじい音と共に木製円卓の一部が弾け飛び、先程まで発言していた将校の足元まで転がった。あまりにも非現実的な事に誰もが唖然とし、脳の思考回路が機能しない。

普段は温厚で、上官下士官問わずに好かれ、信頼されているあの大佐が声を荒らげるならまだしも、机を拳で破壊するなんて。

誰が信じられようか。


「すまない、取り乱した。将校諸君、我々は皇帝陛下からの勅令に記されている通り、1200より前線司令室付き南方配備全軍をもって反攻作戦を開始する。各部より意見を聞きたいのだが、問題はあるまいな」


普段通りの大佐に戻り誰もが安堵する。

だが、大佐の書記官を長いことを努めていた男だけが、後ろで状況を静観していながら一番肝を冷やしていた。


彼の直属の上司に当たるこの大佐、ファイデルヒ・サモナ大佐は皇帝陛下の事を”愛”している軍人なのだ。敬愛なのではなく、”愛”している。親友や家族に向けられるような愛ではなく、神やそれに類するものに対する信仰的な愛である。

よって、大佐が愛して止まない皇帝陛下に対して少しでも反逆心を向けた兵を許すはずがなく、サモナ大佐の怒りは限界点を突破し、冷静な思考を取り戻したのだった。

それを知っているからこそ、書記官は震える指先を袖で隠し、冷や汗を手の甲で拭っているのであった。


「機械班からの報告でありますが、越冬を想定してませんでしたので燃料が枯渇しかけているそうであります。全ての燃料を使い切れば我々は大半の移動手段が制限されます、戦闘機、爆撃機、偵察機などもです。更には兵らが暖を取れなくなってしまいます。それにより病なども…」

「誰が越冬すると言った」

「はっ?」


誰もが大佐が何を言わんとしているのか理解できなかった。


「我々は戦端を切り開き、敵軍の前線指令室を撃滅する必要がある。そしてそれだけが我々に与えられた任務である」

「ま、まさか……」

「ああ、その通りだ。玉砕覚悟、全兵力をもって一点突破をすべきだと私は考えている。認めたくはないが、王国軍北方兵力のみで我々が宣戦布告直後に仕掛けた大規模侵攻を弾き返してみせたのは事実だ。既に西方軍や東方軍の一部、中央からも兵力がここに集結している。上からの的確な情報のお陰で敵からの奇襲攻撃を避け、ゲリラ戦を展開しているが奴等が本気になったら我等など道端にある小石程度にあしらわれてしまう。だからこそ、ここで反攻作戦を仕掛けるというのが私の作戦だ。敵が混乱している間に本隊が合流することができ、尚且つハドマイ帝国からの援軍さえあれば、我々は希望を見いだせる」


室内にはただ静寂のみがあり、鼓膜が無くなってしまったのかと勘違いするほどだ。


「で、ですが、大佐。本当に我々だけで可能なのでしょうか。残存部隊は旅団程度の歩兵と機械化部隊、それに魔装大隊が一つだけです。敵の一点を突破するとしても砲撃や地雷の中を進み、幾多の塹壕を乗り越えなければならいません。例え突破に成功したとしても、然るべき援護がなければ敵に挟撃され、潰されてしまいます!」


外が少し騒がしくなり、兵の怒号が聞こえるが、それを認知できたのは書記官だけであった。


「その通りです。我々が電撃戦を敢行した所で敵の混乱は一時的なものでしょう。電撃戦が行るほどの余力があればの話ではありますが。ましてや敵が我々の最後の足掻きを想定していないとは思えません。やはり、総司令室と密に連絡し、勝率を一桁でも上げるほうが…」

「貴様、先程大佐殿が仰られていたことをもう忘れたのか!?この作戦は皇帝陛下からの勅令だぞ。貴様、それに意見するとは…恥を知れ、恥を!」

「冷静になれ、何も作戦を中断するとは一言も言っていない。しっかりと考え抜いたうえで行動を決めて…」


再び外が騒がしくなったが、誰も気づいていない事を知った書記官がしょうがなく、司令室を出て、状況を確認することにする。


「騒がしいぞ、中では大切な会議をしていると……」

「き、緊急事態です!今すぐ司令官殿にご報告させて下さい!」


常日頃から焦るな、冷静であれと言われ続け、前線の緊張感に晒され続けているベテラン兵士が声を荒らげる事など、緊急爆撃警報が鳴ったとしてもあり得ない。

それが意味すること、それはつまり。


「分かりました。ですが、概要を私に説明してください。大佐殿の耳に入れ…」

「生き残りがいたのです!ぜ、前侵攻指令室の…生き残りがいたのです!」


心臓が止まりかけた。


「なんだって」

「ですから、奇襲を受け壊滅したはずの侵攻指令室からの生還者がいるのです!」


絶叫に近い声だ。

前侵攻司令室は敵爆撃機の絨毯爆撃により木っ端微塵となり、生存者は絶望的。

それが帝国情報部がまだ機能していた頃に下した判断だった。


「そ、それは本当なのですか?わ、私の兄があの司令室にいたのです!生存者は…生存者はどこにいるのですか!?今すぐ会わせてください、お願いします、兄さんは帝国では珍しい服装をしています!」


書記官シャメル・イヴァン准佐は報告を聞き、衝撃のあまり膝から崩れ落ちた。

彼の兄ガレラ・イヴァン少将は将来有望な帝国軍幹部であった。だが、侵攻軍総司令副官として従軍し、あえなく戦死した。

それを聞いたシャメルは元から兄を尊敬していた所があり、激情のあまり知人であったサモナ大佐に嘆願し、彼の書記官として入隊を果たしたのだった。

兄の生存が絶望的であったと知った時、命を断とうと思った程だ。

仕事や地位を捨て、兄の足跡を辿るのは本望であった。


「お、落ち着いて下さい!まずは大佐殿に報告しなくては」


報告にきたベテラン兵がシャメルを助け起こし、司令室へと引きずり始める。


「し、失礼しました……もう、大丈夫です。取り乱してしまい、申し訳ございません。私が大まかな説明をしますので、その後、詳細情報をお願いしても宜しいでしょうか」

「ああ、任せてくれ」


二人は白目を剥いている上官を無視し、司令室へ走っていった。

運命の歯車が大きく狂い始めた。

だが、それを悟れる者など、ただの一人もいる訳がなかった。

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