第18話。過去。

 私、ガルー・デンギュラントスは貧しい農村で生まれた。

8人兄弟の三女として生まれた私は幼き時から地に種をまき、それを刈り取る仕事をしていた。

貧しいが家族で仲良く暮らしていた時の私は、どこでもいるただの村娘だった。

だが、悲劇は突然訪れる。そうどこにでもある物語のように。

ある年の、私がまだ6つだった時、ある日の夕方、私は一人で小川に水浴びに行き、農作業で汚れた身体を川の清流で流していた。日が落ちる前までには家に帰ろうと思い、小走りで家に帰って行ったのを、地平線の彼方へ沈みかけている太陽やそこから差した陽光が雲を薄紫色染め上げているのを、今でも鮮明に覚えている。


そして、家から漂ってくるあの形容詞し難い黒い雰囲気も脳裏の奥底に深く刻まれている。私は嫌な予感を覚えて走り出したのだが、恐怖を感じ足を止めた。季節は秋になりかけているというのに、まるで秋風を歓迎するかのように扉が広く開け放たれていた。母の性格からして扉を開けっ放しにするはずがない。それにいつもは窓から零れ落ちている、優しい洋灯の光がない。


私が立っている場所だけ重力が何倍にもなっているかのような気分だ。私の半分が早く行け、と叫んでいるのに対して、もう半分は行くなと懇願してくる。

その時、太陽が完全に沈み、闇が辺りを満たした。

足を縛っていた呪縛が突然消え私は家へ向かって踏み出した。足元では砂利が粉々に砕け、雑草が擦れて出た緑色の汁が葉脈を伝い地面に落ち、染みが広がる。


結論からいうと私の家族全員は盗賊によって惨殺されている最中だった。

父親は玄関で脳天を二分にされ、脳漿が辺り一面に飛び散り、印象派が描いた画のようだ。

一番の上の兄と二番目の兄は胸を数カ所刺され、虫の息。既に目は濁り始めており、口元から垂れている唾液は乾燥し始めていた。

弟たちの胸には大きな足跡が残り、その部分が陥没していた。

家の中から母と姉妹の叫び声が聞こえた。だが、私は立ち尽くしたまま何もできなかった。


当然だろう。


私は齢6才程度で相手は脂の乗った男たちだ。

母の断末魔が聞こえたが、目の前で起こっている事を、私の幼い脳では現実とは認識できない。

だが、その時、右目を貫かれた姉が扉から這い出てきて私の方に手を伸ばし、事切れた。

それ以降の事はよく覚えていない。

気がついたら、両腕を誰かに抑えられていた。

目の前には斧で滅多刺しにされた盗賊たち。

本当に何もできなかったのが、当然なのだろうか。もう少し早く私が”人”を捨てていたら、母も姉も妹も助かったかもしれない。


その後、私は数十回に及ぶ精神鑑定とカウンセリングを精神病院で受けた。

私が成した行為は正当防衛が認められたため処罰がなかった、というのは後に知った。

だが、考えてほしい。

6歳の少女が30代前後の男三人を殺したのだ。

しかも飛び道具によるのではなく、己の手で。

報告を受けた病院関係者は当初半信半疑だったに違いない。

だが私の精神状態を王国内でも有名な精神科医が鑑定している最中に叫んで言った。


「コイツは、悪魔だ!こんなのが世界にいていいはずがない!」


と。


その精神科医は即時、私の担当から外され次の医者が私の担当医となった。それから数回も担当医が変わり、彼らは必ずと言っていいほど報告書の最後に、これは人に非ず、と記していたらしい。

精神崩壊や鬱症状が見られず、病院でも扱いに困っていたため私は憲兵隊に引き渡された。

憲兵隊も随分と私の処遇について悩んだらしい。

孤児を預かる児童養護施設に入れてしまって良いのか、否か。


 とある有名な心理学者が”狂気の伝染”というのを実験した。

昨今では実験方法があまりにも非人道的であるために実験結果すら否定的らしい。

だが多くの心理学者がこの実験結果報告書を読んで恐怖すると同時に理解するのだ、人という存在が抱えている闇に。

有名な心理学者曰く、


「私は長年の研究において、人が持っている思考がどのように他人を影響するのかを考えてきた。そして一つの結論に至った。強烈な思考、例えて言うなら妄信的に邪神を信じている邪教徒のような存在の思考、の方が平凡な思考、一般的な思考-強い宗教観念や個人の思想を持ち得ていない思考、を影響する確率が高いのではないかと。そこで私は実験を開始することにした。軍上層部から与えられた囚人10名が対象である。どの被験体も比較的健康的で、年齢も20代から30代と若い。まず、被検体Aが何らかの狂気と定義されるものに思考が汚染されていたとする。被験体Aを全くの健常者である被験体Bと共同生活をさせてみる。するとどうなるだろうか?実験開始当初は被験体Bが神経を使い、被験体Aを気遣う素振りを見せていた。だが数日が経過すると、被検体Bの表情筋の動きが低下、常に整えていた髪の乱れなどが発生し始めた。一週間を超える頃には、被検体Bはもはや衣服を整えることもなく、朝の洗顔、食事、睡眠時間なども一定性がなくなった。二週間を超える頃には、被検体Aより酷い状況となった。これは行った実験全てに共通している」


故に私は憲兵隊の隊舎の一室を貸し与えられ、半ばいないも同然のように扱われた。

当時の私の精神状態は極めて悪く、その時の事を思い出そうとするだけで頭痛がする。

そんな状況にいた私を、憲兵隊から王国軍へ引き渡すように申し出た軍人さんが助けてくれた。その軍人さんは壊れていた私を優しく受け止め、なぜか身寄りのない私を引き受けてくれた。

けれど私は人間を信じないことを学び、それを信じた。

その結果、その人が戦地に赴き、帰らぬ人となるまで一度たりとも口を聞かなかった。

後日、”あの時”私の両腕を抑えていた人が、私の身元を引き受けた軍人さんだと知らされ、私は事件以来初めて後悔した。


その軍人さんと同じ道を歩むべく、私は士官学校に入学した。

そのまま四年の学びを二年で終わらせ、主席で卒業。

色々な戦場へ、時には小競り合い程度から、義勇軍のような形で国同士の戦争にまで、赴いた。

あの軍人さんが戦場で何をしていたのか、どうしても知りたいと思ったから。

そして知った。

戦争とは実に単純でくだらないという事を。

敵を一人倒せば、撃破1となる。

100人倒せば、撃破100だ。

敵兵を倒せば倒すほど懐が潤い、才能があった私にはただ狩りをしているような感覚であった。

けれど、隊員たちは次々と死んでいった。補充されては消え、補充されては消えた。

有能なベテラン下士官たちが、軍大学出身の新兵エリートの愚劣な命令によって命を落としていく。

戦争で命とは数字に換算され、上層部の人間が目にする書類上では損害となる。

100万人の軍隊の中の1000人が死んだ所で、軍隊はという組織は揺るがない。むしろ少数の死は全体の士気を上げ、必ず同胞の仇を討つと叫ぶ。

そしてどこか麻痺し、狂っている上層部は1000人の死を嘆くよりも、お互いの権力争いに興じている。

無能どもが始めた戦争を、将来有望な者たちが終わらせる。


実に馬鹿げた話しだ。


戦争を始めた当人同士が一騎打ちでもすればいい。

男のみならず、女や、時には少年たちでさえも戦争に行き、命を散らす。

命が儚いのではない、無駄になっているだけだ。

だがそれが起こり得ないのが戦争というもの。

私がいくら考えようが、誰が何と言おうが、何も変わらない。

権力を持っていない人間の叫びなど、銃砲が轟いている戦場において小声で囁くに等しいほど無意味。

ならば私は上へ行かなくてはならない。


私を壊した世界へ必ず礼をさせて頂くつもりだ。

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