第10話 義手の女
次の日、出勤すると珍しく雪村がいなかった。
弥生が遅刻ギリギリになることはままあるが、雪村が遅れることは初めてだ。
何かあったのかと班員同士で顔を見合わせていると春風が一番不安そうな顔をしていた。
「何かあったんでしょうか・・・」
「多分、上からの連絡事項があって長引いてるとかだと思うから、大丈夫だ」
瀧本が春風にそう声をかける。
優しく新人をフォローする姿を少しは見習ってほしいものだ。
ちらりと丹子が三嵩に視線をやると三嵩は一人で内職をしていて、我関せずと言った様子だ。
視線も一瞬たりとも合わない。
その後、十数分遅れて雪村が現れた。
なんだか朝から疲れた表情を浮かべてげっそりした様子に、春風の表情が曇る。
「遅れて悪かった。新しい任務ができたから今からそれを発表する」
「班長大丈夫ですか?なんかめちゃくちゃ顔色悪いですよ?」
弥生がそう指摘すると雪村はため息をついた。
「これは個人的な問題だから気にしないでもらって構わない」
「でも体調悪いなら休んだ方がいいんじゃ・・・」
春風がおずおずと声をかけると雪村はまたため息をついた。
「本当に大丈夫だから気にしないでくれ。体調が悪いわけじゃないからな」
「班長がそこまで言うならまあ・・・」
弥生が首を傾げる。
雪村は額に手を当てて具合が悪そうに見えるが、本人が大丈夫というなら仕方がない。
弥生と春風と視線が合ったがみんな何も言わなかった。
「本題に戻る。先日の警備で問題を起こした大学生の件だ」
「あー。鬼子の大手柄の子ですね」
「そうだ。事情聴取でその大学生は虹油独占法の法令撤廃運動を行っている活動団体、幸明会(コウメイカイ)の一員であることが分かった」
雪村がそう言うと今度は瀧本の表情が曇った。
それもそのはず、幸明会は法令撤廃運動を行っている団体の中でも過激派で有名だ。
過激な活動を行って全国ニュースで報道されることもままあるため、RSDFも注意している団体だ。
「一般市民に危害を加える可能性のある幸明会の集会は警察にマークされているが、問いただしたところ、密会場所が何か所かあるらしく、その一つを今回情報として得たわけだ」
「しかし、それは警察の管轄ですよね」
三嵩がそう尋ねると雪村は頷いた。
「管轄は警察だが、その密会場所が問題で、抗争の際に随時封鎖される封鎖区域。つまり、RSDFのお膝元ってわけだ。それで今回RSDFに要請が来た」
「なるほどー」
弥生がそう呟いた。
抗争中は危険なので交戦する海岸やその周辺はすべて封鎖される。
そして、封鎖中はその土地の全域をRSDFが自由に使用する権限を得ることとなる。
「だが、ややこしいことに、密会場所となっているその土地自体の管轄は海上自衛隊だ」
「海上自衛隊の土地で密会する幸明会の人たちも随分肝が据わってますね」
丹子が呆れ顔でそういうと雪村も苦い顔をする。
「とりあえず、調査をする上で海上自衛隊の協力は欠かせないため、今回は海上自衛隊と協力して任務を行っていくこととなった」
「協力?そもそも海上自衛隊の管理不足でこんな事態に陥っているのだから、自分たちで解決するのが筋ではないんですか?RSDFが力を貸す必要が?」
「いや・・・それが・・・」
歯切れの悪い雪村に三嵩がズバズバ発言する。
いつもなら三嵩の発言など一蹴する雪村だが、今日はどうにも様子がおかしい。
丹子が首を傾げるとドンと勢いよくドアが開いた。
「特別作戦班ってのはここで合ってる?」
豪快にドアを開けた人物は班員の視線を気にする風もなくずかずかと部屋に押し入ってきた。
高身長の女性は迷彩の隊服を着て、近くにあった椅子を引き寄せるとドカリと座る。
「だから、アンタはどうしてそうやって・・・」
雪村がわなわなと震えながら声をかける。
女性は手で髪をかきあげながら大きな声で言った。
「え?何?聞こえない!」
「勝手なことはしないでいただきたい!まだ呼んでないですよね!?」
「まだ話してないのか。遅い!そんなんで班長が務まるのか?」
「誰のせいだと思ってるんだ誰の!」
この班内で雪村にこれだけ好き放題言える人物はいない。
女性隊員はすぐさまこちらに視線をやる。
丹子とばっちり視線が合ってしまった。
「どこまで説明があった?」
「海上自衛隊と協力して幸明会の密会を探るところまでです」
「なんだ、ほとんど話しているじゃないか」
女性隊員はそう言うと立ち上がった。
敬礼した女性隊員にこちらの視線も伸びる。
「海上自衛隊の風花深雪(カザハナミユキ)一等海佐。海上自衛隊からの要請、受けてくれるね」
凛と姿勢を正した姿が美しい隊員だった。
ただ一つ気になったのは。
「三嵩さん」
「ああ」
敬礼した風花の右手は義手だった。
噂の海賊は彼女に間違いなかった。
その日の午前は海上自衛隊からの詳しい経緯の説明、作戦の概要で終わった。
昼休みに弥生と春風と食堂に行くと席に着く。
「いやー、あれは衝撃的だったね」
「本当に」
弥生はそう言ってお茶を啜った。
同意すると、春風もうんうんと頷く。
「あの風花一佐って元RSDF隊員なんでしょ?」
「そうそう。それも元雪村班長のバディ」
「え!?」
春風が箸を落とした。
動揺しているのかお茶のコップを持つ手がガタガタと震えている。
「さゆり、ちょっと落ち着こう。深呼吸して」
「なーんか、入隊してから5年くらいはずっとあの人のアシストやってたっぽいよ。抗争は負け知らずで有名で、班長は新人のときから戦歴凄かったのはその人とバディ組んでたからってのも大きかったみたい」
「そ、そ、そんな人が・・・」
「恋敵現る!だね」
「やめなって、弥生」
弥生を嗜めると弥生は悪びれなく笑った。
春風は震える手で生姜焼きをつまんでいる。
「も、も、もしかして元カノ・・・でしょうか」
「知らないけど、あの人めちゃくちゃ美人だったしなー。バディ同士で付き合う人多いから・・・ねぇ?」
「ひぃ!」
「弥生!」
「えー。でも、今日のあの二人のやりとり見てなんとも思わなかった?私には痴話喧嘩にしか見えなかったなー」
「な、なんだが、具合が悪くなってきました・・・」
「うわー!さゆりん冗談だって!!」
「この大馬鹿!」
大騒ぎをしながら昼食を食べるのは楽しかったが、なんだか胸騒ぎがした。
その日、業務終了後にさゆりが廊下を歩いていると聞きなれた声が耳に届いた。
ふと足が止まって、気のせいかと思いながら耳を澄ませると再び声が聞こえた。
ああ、間違いない。
さゆりがそっと階段に近づいて、階下に顔を覗かせると階段の踊り場に雪村を見つけた。
「おい、聞いてんのか!」
今まで聞いたことがないほど声を荒げている雪村の視線は目の前の女性、風花一佐に注がれており、雪村は風花の手首を強く掴んでいるように見えた。
「聞こえている。だが、お前の雑談に付き合うつもりはない。以上」
「ふざけんな!アンタはどうしていつもそうなんだ!」
「それはこちらの台詞だな、雪村一等隊尉。感情的に喚くのはいい加減やめろ」
「誰のせいだと思ってる」
勝手にいなくなったかと思えばこれだ。
雪村の口から零れ落ちた言葉。
風花は雪村の手を振り払い、雪村は風花を睨みつけている。
修羅場だ。完全に。
聞き耳を立てるのは憚られるが、どうしても気になってしまう気持ちの方が少しだけ強い。
「説明してもらう。今すぐ」
「何回も言うが、義手になったからだ。右手が使えなくなってもやっていけるほどRSDFは甘かったか?」
「何で俺に何も言わない!」
「お前に言ったところで何も変わらない。こうやってわめき立てられるのが嫌だったんだ。坊やのお守りはもう十分しただろう。何年面倒見てやったと思ってる」
風花がそう言うと雪村は片手で頭を掻きむしった。
風花はその様子を冷めたように見つめている。
「お前はすぐに死にたがる。そうだろ」
風花が一歩距離を詰めた。
2人が見つめ合うほど近くなる。
「私を追ってこられたら困る。お前はRSDFにいなければならない人材だろう」
「俺はアンタがいたからここで働こうと思ったんだ。知ってるだろ!」
「特異体質保持者がここで働かずにどこで働くんだ」
「俺の価値はそれだけで決まらない!そう教えてくれたのはアンタじゃないか!」
「揚げ足ばっかり取るな、馬鹿。だからガキなんだ」
はっとした。
お前の価値は姉との相対評価で決まらない。
以前、雪村に言われた言葉。
これを雪村に言ったのはこの人だったのだ。
雪村の心を打ち、心の全てを奪ったのは、
思わず両手で口元を押さえる。
その瞬間、ふと風花がこちらを見上げた。
物音も立てていないのに、彼女はこちらに気づいた。
「特異体質のお嬢さん」
声がかかり、さゆりと雪村が同時に肩を跳ねさせる。
「可愛いんだね。とっても」
さゆりは盗み聞きしていたためどうしたらいいかわからずにいたが、観念して2人のいる踊り場まで降りて行った。
風花がさゆりを見下ろして、数秒目があったかと思ったら手が伸びてきた。
反射で目を細めると細長い手がさゆりの頬を撫でた。
「雪村一尉をよろしく」
そう言って去って行った風花は少し笑っている様に見えた。
一瞬、追いかけようと手を伸ばした雪村がすぐに手を下ろす。
さゆりがいたために遠慮したのがよくわかった。
去っていく背中が見えなくなったところで雪村がため息をついてその場にしゃがみ込む。
「みっともないとこ見せたな」
「いえ、そんなことは・・・」
雪村が弱っている時にまで、普段はタメ口なんですねなんていう感想が浮かび上がって、自分の女々しさに嫌気がさす。
「いつもあんなんでな。口も態度も悪いが、本当に心から尊敬してたんだ」
「伝わりました」
「5年前に急に辞めていったんだ。何の相談もなく」
「それは、」
「本当に酷いよな。うんざりだ」
雪村は笑った。
何と返事したらいいかわからなかった。
何も言えずにさゆりは雪村の隣に座る。
好きなんですか。
ずっと前から。
思いつくのは利己的な質問ばかりだ。
「大切だったんだよ、それだけ。遠くばかり見ているあの人の視界にずっと入りたかった」
「はい」
「肩を並べたかった。頼られたかったんだ」
「はい」
さゆりはただ隣で頷くことしかできなかった。
目元を覆って俯いている雪村を見ていないふりして、肩が触れるかどうかの距離で。
「・・・わたしも」
さゆりはつぶやく。
「早く雪村班長と肩を並べられるようになりたいです」
床を見つめながら呟くと、隣から小さな笑い声が聞こえた。
「100年早ぇ」
大きな手が頭に乗ってきて、髪をくしゃりと撫でられた。
さゆりにはそれが世界の全てのような気がした。
愛を嗤え akari @spry1151
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