第8話 それぞれの距離
「なあ、新生」
翌日訓練が終わり、廊下を歩いていたら後ろから声をかけられた。
振り返ると瀧本が小走りで追いかけてきて隣に並ぶ。
「あれ、どうしたんだ」
「あー。いつもの病気ですよ」
前を一人で歩いている三嵩を顎で示した瀧本。
流石に目立つよなと丹子は苦笑いした。
三嵩の首筋は赤く染まり、大小さまざまな蕁麻疹が出ていた。
「昨日、犯人確保したじゃないですか。その直後はいろいろあって犯人に触れたこと忘れていたみたいなんですけど、家に帰ってから思い出したみたいで。手袋は一応していたから触った範囲は大したことなかったと思うんですよね。でも、潔癖にはダメだったみたいです。あわててシャワー浴びても結果はあれ」
「あー・・・」
痛々しいくらいに赤い首はかなり目立つが、直接三嵩にその理由を聞くものはおらず、今日はこの話をするのは弥生、班長に次いで3回目だ。
珍しくタオルでごしごし拭いていないと思ったら、これである。
まあ、それだけ昨日発覚した事実は三嵩にとって大きかったということだろう。
「新生、今日これから空いてるか?」
瀧本を見上げるとにこにこしながらこちらを見ていた。
ああ、まただと丹子はげんなりした表情を浮かべる。
「毎回言いますけど、瀧本さんとご飯行った後の三嵩さんの機嫌は最悪なんです。無理です」
「まあ、そう言うなって。春風がどんな感じなのかとか聞きたいし、いいじゃないか」
「なら直接さゆりに聞けばいいじゃないですか。それに、聞きにくいならバディなんだし、弥生に聞いてください」
「いつのまに下の名前で呼ぶようになったんだ。距離が深まってるなぁ」
「話を聞け、話を!」
瀧本のマイペースに乗っていたら夜が明けてしまうのはわかっていたが、この男は話を聞いているのかいないのか、口が上手い。
このまま拒否し続けても最終的にはまるめこまれてしまう。
夕飯だけ、酒はなしの条件で手を打ってそそくさとその場を後にした。
ちらりと振り返るとまだこちらを見ていた瀧本がへらりと笑って手を振っていた。
指定したのは寮の近くの定食屋。
さっさと食べて帰るにはちょうどいいし、他の隊員にはあまり知られていない店のため、後々面倒がない。
「よお、時間通りだな」
「はあ。超過勤務扱いにならないかな」
「ならないな!」
潔く言われてため息をつきながら丹子は席に着く。
適当に日替わり定食を頼むとおしぼりで手を拭いた。
「それで、要件はなんですか」
「そんな怖い顔するなって。三嵩みたいになってるぞ」
瀧本が本当に春風の様子を伺いたくて呼んだわけではないことはわかっている。
呼ばれた理由は薄々気づいているが、自分からは言ってやらない。
「三嵩最近どうだ」
ああ、やっぱり。
心の中でそう思って、瀧本の表情を伺うと瀧本はにこりと笑った。
瀧本はいつも三嵩を気にしている。
学生のころから瀧本と三嵩は本当に仲が良かったからだ。
「別に。変わりませんよ。いつもと同じです」
「そうか。新生が言うならそうなんだろうな」
あっけからんと言い放って、あっさり終わった話題。
瀧本は本当にあっさりした性格をしている。
深澄会長の死の原因を突き止めたことが三嵩の心を揺さぶったことは間違いないが、三嵩はそれを表には出さなかったし、誰にも言っていない。
そして、知られることを望んでいないのは丹子にはわかっていた。
瀧本は三嵩の様子がいつもと違うことに気づいたみたいだが、しつこく聞いてくるようなことはしない。
ただ純粋に心配しているだけのようだ。
「早く仲直りしたいものだな」
「そう・・・ですね」
「いつかわかってくれると信じてるよ、俺は」
そんな臭いセリフよく言えるな。
心の中で丹子は毒を吐くが、瀧本は相変わらず笑っている。
「一人でずっと探しているだろ。真相」
呟くように小さな声で発せられた、真相という言葉。
三嵩はずっと事件の真相を追っている。
そして、一番疑っているのは。
「瀧本さんが潔白なら、必ずわかってくれると思います」
瀧本がにこりと笑った。
空気を読まずに割って入ってきた定食屋の店員に軽く感謝して二人で食事を始める。
瀧本は例の事件の容疑者候補の一人だった。
彼は深澄会長と最後に会って話した人物であり、その映像が監視カメラに残っていた。
「・・・まだ続けてるみたいですね。法令撤廃運動」
「もちろんだ」
瀧本は学生の時から熱心に虹油独占法の法令撤廃に向けて活動をしている。
日本が虹油を独占することで生活に苦しんでいる人がいる、海外の家族や友人と会えなくなった人がいる。
そんな人たちに優しい瀧本は胸を痛めているのだ。
素晴らしい技術は広く普及され、世界を豊かにしていくものだと彼は言った。
内部から変えるためにRSDFに入ったのだと。
「三嵩と新生もいつでも歓迎するぞ」
「ありがとうございます。お気持ちだけもらっておきます」
虹油独占法を支持していた会長の意志に三嵩が反するわけはない。
学生のころから三嵩と瀧本の意見が合うことはなかったが、彼らはそれぞれが国をよくしようとする志を持っていて、互いに信頼していた。
深澄会長と最後に話したのも、法令撤廃運動の一環だったと瀧本は言う。
無論、聞き入れられることはなかったが、深澄会長が瀧本の意見を無碍に扱うこともなかったと。
「三嵩にこれだけ言っておいてくれ。無茶はするなよって」
「直接言ったらいいじゃないですか」
「俺の言うことなんて、聞くわけないだろ」
「私の言うことだって聞かないですよ」
「新生がそう思ってるなら、三嵩はまだまだってことだな!」
瀧本の言うことは意味不明で丹子には理解できなかったが、瀧本は楽しそうだった。
まあいいかと思いつつ、定食を食べ終えて箸を置く。
「二件目行くか?」
「行きません!約束しましたよね。ご飯だけで帰るって」
じとりとした視線を送ると冗談だよと瀧本は笑った。
「こんなに誘ってるんだから、一回くらいは一緒に飲んでも罰は当たらないと思うぞ」
「飲んでくれる人なんていっぱいいるんだから他の人誘ったらいいじゃないですか」
人たらしな瀧本は男女問わず、友達は多い。
事前に約束していなくても、誘えば誰かしか付き合ってくれるだろうに。
「自分から誘ったことがないから知らん!」
「あー、モテるアピールは結構です」
最後にさりげなく自慢を混ぜられたが、丹子はスルーする。
こういう男は得するんだろうなと思うと、脳裏に三嵩の影がちらついた。
あれは完全に人を敵に回して人生を損するタイプだ。
「はぁ・・・。帰りましょ」
「ため息ついたら幸せが逃げるぞ」
「半分は瀧本さんが原因ですからね」
そうか?と言って笑う男が憎たらしいが、完全に八つ当たりなので心の中で止めておいた。
「春風!」
大声で呼ばれてびくりと肩が跳ねた。
慌てて声のする方向へ顔を向けるとやや怒ったような顔の雪村がこちらを見ている。
「また、ぼーっとして!集中しろって言ってるだろ!」
「は、はい!すいません!!」
止まっていた手を動かして慌てて書こうとするが、昔から要領が悪くてペンを走らせるのは遅い。
提出したら今日は終了なため、先輩たちは既に全員帰った。
居残りは春風だけだ。
春風が終わらせないと、雪村も帰れない。
「お前、ちょくちょくぼーっとしているけど、何考えてるんだ」
待つのに飽きたのか雪村が春風の隣の椅子を引いて座った。
手元を覗き込まれドキリとする。
距離が近い、心臓が早鐘を打って余計に集中できない。
「今日、あったこと・・・とか、明日やらなきゃいけないこととか、今日の反省点とか・・・」
「はぁ?お前そんな真面目なこと考えてるのか?」
「は、はい」
「バカか、お前。新人が四六時中そんなこと考えてたら潰れるぞ」
ああ、少し口が悪いなとか、でも残業してもめんどくさがらずに面倒見てくれるんだなとか。
他にも少し余計なことは考えてしまうけど、自己嫌悪と反省はいつも止まらない。
「お前さ、もう少し自分に自信持っていいと思うぞ。新人でS班抜擢されてるんだから」
「でもそれは、私の実力ではなくて、特異体質だったからであって、」
「体質も立派な実力だ。それに、それ以外の成績だって評価は十分高い。そうでなければ、こんな化け物だらけの班に入れるわけないだろ」
「そんなことは・・・」
こんなに褒められたことは初めてでどう返したらいいかわからない。
でも、春風が班の足を引っ張っているのは確かな事実で、実力が認められているからといって自信過剰になれるほどRSDFは甘くない。
このままだったら春風は戦場で間違いなく死ぬ。
「私は本当に大したことない人間なんで」
「それ、誰かに言われたのか」
雪村は机に頬杖を突きながらこちらをじろりと見た。
図星だったため、う、と言葉を詰まらせると、雪村の眉間にみるみる皺が寄っていった。
機嫌を損ねてしまっただろうか。
春風が顔色を窺うように見上げると、雪村は片手で頭を抱えて大きくため息をついた。
「誰に言われた」
「・・・親、とか、先生とか・・・、友達とか」
「はあ?」
「あ、あとは、彼氏にも・・・」
「もういい、やめろ」
雪村はあからさまに怒った顔をしている。
語尾が小さくなって消え入りそうな春風の声を雪村は聞きたくなさそうに遮った。
「人を過小評価する人間の言うことなんか信じるな」
「・・・」
「自分を否定していいのは自分だけだ。だが、それを癖にするな。自分を肯定できる生き方をしろ」
「ごめんなさい」
「別に謝ってほしくて言ったわけじゃない」
春風が俯くと雪村は少し困ったような表情を浮かべた。
ああ、この優しい人を困らせてしまった。
「小さい頃から姉が優秀で比べられてきました。どんなに頑張ってもどこに行っても私の居場所なんてなかった」
「お前の価値は姉との相対評価で決まらない。お前の価値はお前が決めるもんだ」
「頭では分かっているんです。でも、周りからの目が痛いくらいに刺さって、身体が強張って、自分なんていないほうがいいんじゃないかって」
春風が拳を握りしめてそう呟くと雪村は再びため息をついた。
呆れられたのではないかと思うと怖くて顔が上げられない。
「お前も頑固だな」
「すいません・・・」
「・・・なら、お前が自分で自分を認められるようになるまでは俺が評価する。まあ、上司だから仕事の評価するのは当然なんだが」
「え?」
「俺がよくできたと言ったら、自信を持て。素直に受け入れろ。その代わり、人の批評には耳を貸すな」
「え、あの・・・」
「返事は」
じろりと見られてびくりと体に力が入った。
「は、はい・・・」
「なら、決まりだな。さっさと手を動かせ。いつまで居残りさせるつもりだ」
雪村は少し眠そうに欠伸をした。
そこで改めて時計を見ると、とんでもなく時間がたっていて目を見開く。
慌ててペンを走らせると、なぜか先ほどよりも捗った。
自分を見捨てなかった人は初めてだ。
今まで出会った人間はみんな、口をそろえて姉妹なのに似ていない、姉はあんなに優秀なのにと言う。
最初は普通に接してくれた人も、姉を知ってからは私と比べて、最終的には姉の方に行ってしまった。
ちらりと隣を盗み見ると、雪村は頭の後ろで両手を組んで天井の方をぼうっと見つめていた。
あぁ、好きだ。
そんなことは口が裂けても言えないけれど。
しばらくして書類を仕上げて雪村に提出すると、内容はいいけどスピードはまだまだだなと早速講評されてしまった。
次は頑張れよと雪村は言ってくれたが、これは期待されているのだろうか。
「じゃ、電気消すぞ」
「はい。お疲れ様でした。遅くまでありがとうございました」
「ん」
荷物をまとめて電気のスイッチの前で春風が出るよう促す雪村を見て春風は足早に部屋を出た。
「・・・腹減ったな」
「もう、20時ですしね」
春風が申し訳なさそうにそう言うと、雪村はこんなの残業のうちに入らないと全く気にしていなさそうに言い放った。
「飯食い行くか」
「え」
「・・・一回り以上歳の離れたおっさんと行ってもつまんないか。やっぱり、」
「行きたいです!」
春風が食い気味に返事をすると雪村はきょとんとした表情を浮かべた。
初めて見るふいをついた表情にドキドキする。
「お前、そんな大声出るのか」
「あ、すいませ、」
「謝るな。その癖も直せ。責めてない」
ふらふらと歩き出した雪村を慌てて追いかける。
「着替えてすぐ集合な。店は・・・任すわ」
「は、はい!あの、ちょっと準備するんで先に帰ります!」
「おー。急がなくていいぞ」
「はい!」
向こうにそんな気がないのはわかっているが、春風にとっては初デートだ。
いくら仕事終わりと言えど、多少は気合を入れなければならない。
どんな服を着ようかと悩みながら廊下をダッシュしていたら、なんだか自分が悩んでいたことはちっぽけなように思えた。
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