第4話 事件
2年前の夏の終わり。
丹子がRSDFに入隊して1年。
うだるような暑さの夏だった。
「お疲れ様です」
「ああ」
その日もいつも通り訓練を終えて三嵩と寮へ向かって歩いていた。
「明日は出かける」
「ああ。はい」
珍しいこともあるもんだと思いながら返事した。
明日は久々の休みである。
暗に付き合えと言われているのは長い付き合いでわかる。
三嵩は虹油開発の重鎮の家の三男である。
三嵩自身は養子であるが、父を心底尊敬し、父のために生きていると言っても過言ではないほどの心酔っぷりであった。
「じゃあ、また明日。出発時間はまた連絡ください」
「ああ」
三嵩と別れて寮に入る。
部屋に戻るとシャワーを済ませて軽く部屋の掃除をした。
丹子の家も何代も前から深澄家との親交があり、小さな頃から三嵩とはよく遊んでいた。
この関係に名前を付けるならば幼馴染というのが丁度よいのかもしれない。
よく深澄家に行っては長男と次男に遊んでもらった。
長男と次男は丹子とは歳が離れており、妹のようにかわいがってもらったのを覚えている。
一方で昔から偏屈だった三嵩はいつ遊びに行っても部屋にこもって勉強や読書をしているような子供だった。
丹子は三嵩の一つ年下で歳が近いため、親はいつも三嵩くんと遊んできなさいと言って私の背中を押していたが、正直丹子が遊びたいのは優しく遊んでくれる長男や次男であり、丹子がいてもいなくても変わらないような扱いしかしない三嵩の部屋に行くのは本当に苦手だった。
「三嵩くんあーそーぼ」
そう小さく声をかけて中に入ると勉強机に向かう三嵩の背中がいつも見える。
丹子をちらりとも見ず、丹子もそれ以上声をかけない。
部屋の隅っこに座って、親が迎えに来てくれるまで持ってきたお絵かき帳にクレヨンで絵を描いた。
小学生に上がってからは宿題を持って行って時間をつぶした。
中学生になってからは流石に三嵩と遊んできなさいと言われることもなくなったが、ときどき家族みんなで食事をするときは顔を合わせていた。
高校生の時はほとんど会うことはなく、大学が同じになったときに初めて向こうから声をかけられた。
「RSDFのバディを探している。ならないか」
大学でも孤立している彼にバディができるなんて到底思わなかったし、困っていたことは容易に想像できた。
しかし、今までたいして話したこともないのによくもまあ急にそんなことを言えたもんだなと思ったのも事実。
第一、そんなの今から考えることもでもなく、RSDFに入隊してから考えればいいことであり、丹子には何の関係もない。
そもそも、丹子はたまたま三嵩と同じ大学になっただけであり、RSDFなんて目指したこともないのである。
自衛隊に入りたいなんて言ったら親は卒倒するだろう。
それでもそのとき、三嵩の目に吸い込まれるような錯覚を覚えたのはなぜだろうか。
結局親を説得してRSDFに入隊したのは丹子も十何年の付き合いの中で着実におかしくされていったからで、半分は何も考えずに遊んできなさいと部屋に押し込み続けた親の責任でもあると思っている。
あの日も茹だる様な暑さだったのを覚えている。
いい加減にしてくれと言いたくなるほど大きな声で鳴く蝉にも嫌気がさしていた。
久々の休日に肩を並べて歩くのは仕事中も鬱陶しいくらい顔を見合わせている相手で、おそらくお互いに飽きているとは思う。
それでも、初めて見る人々は新鮮なようで、すらりとした手足に整った顔立ちの三嵩が歩けばすれ違う若者たちはちらりと視線をこちらに寄せる。
騙されているとも知らずに。
三嵩が最初に立ち寄ったのは本屋で、気になった本を手に取ってパラパラと読み進める様子は、小さいころから吐き気がするほどに見飽きており、今更新鮮味も何もない。
暇つぶしに丹子も雑誌をパラパラとめくるが、特に興味があるものもなく、本屋をふらふらして時間をつぶした。
「お前は何も買わないのか」
「ああ、はい。特に興味ある本もなかったので」
「そうか」
三嵩は何をそんなに読む本があるんだと思うくらい大きな紙袋を持って帰ってきた。
毎回本屋に行けば大量の本を買う三嵩と、一冊か二冊買うかどうかの丹子である。
「まだ回るところあるのに最初からそんなに大荷物で大丈夫ですか?」
「そんなに軟な鍛え方はしていない」
まあ、そうでしょうけど。
気を使うだけ無駄である。
その後も三嵩の行きたいところに行って丹子はふらふらと時間をつぶしての繰り返しである。
三嵩が何かを買うたびにお前は何も買わないのかと聞かれるが、特にないとしか言いようがない。
正直言って、丹子はほしいものがあれば一人で買い物にも行くし、誰かと一緒に見て回りたいのだったら、迷わずに三嵩ではなく弥生を選ぶ。
買い物は女子とした方が楽しいし、行きたい店の好みも自然と合う。
散々丹子を連れまわした後、三嵩の携帯電話に着信があり、それに出た三嵩が急に実家に寄ってから帰ると言い出した。
三嵩が自由なのは昔からである。
「じゃあ、私は先に帰っているので、ゆっくりしてきてください」
「そうか」
三嵩はお前も来たらどうだという意味で言っているのだろうと察しはついたが、いくら小さいころから家ぐるみの関係とはいえ深澄家のご両親に失礼があってはいけないし気も使う。
それにこの猛暑の中、買い物に付き合っていたせいで汗もべとべと、化粧もよれてとてもじゃないが、今から誰かに会いに行ける状況ではない。
休日はゆっくり休みたい派の丹子は大人しく帰寮する方向に自然とシフトしていた。
「では、また明日。お疲れ様です」
「丹子」
背中を向けて歩き出したところで名前を呼ばれて振り返る。
これだけ暑いのに汗一つかいていない白い肌が嫌に目についた。
「はい」
立ち止まった丹子にたった一歩で近づいた三嵩の右手が頬に触れた。
ひやりと冷たく感じたのは錯覚だろうか。
それとも私の頬が燃えるように熱いのだろうか。
「どうかしましたか」
付き合って1年以上経つが、三嵩が人目を気にせずに丹子に触れてきたのは初めてだった。
くすぐったさに負けて逃げるように身をよじると三嵩は目を細める。
「何もない」
「そう、ですか」
一度逃げたらもう追ってくることはない。
するりと戻って行った右手を見つめると三嵩がかすかに笑った。
戦場で冷たく指示を飛ばす口で、彼は好きだと紡ぐ。
「また明日、訓練で」
「はい」
振り返って歩き出した三嵩に無意識に手を伸ばして、我に返って止まった。
どこか遠いところに行ってしまいそうな気がして、泣きたくなった。
行き場を無くした右手が宙を彷徨ってからゆっくりと元に戻る。
小さくなっていく背中をなぜ追いかけなかったのか。
私はこの判断を今後ずっと後悔することになる。
けたたましい音が鳴り響いて、部屋の電気が突然消えた。
帰寮して夕飯と風呂を済ませて自分の時間を楽しんでいた丹子はベッドから飛び起きる。
「あれ~停電?鬼子大丈夫~?」
顔にパックをしている最中だった弥生がスマホのライト片手に丹子のベッドに歩み寄ってきてどちらかというとそちらの方が恐怖だったが、今はそんなことを言っている場合ではない。
「大丈夫。すごい雷だったね」
「ほんとビックリした~。夕立って時間でもないけどね」
スマホで時間を確認すると夜の9時を回ったところだった。
未だにごろごろと鳴り続けている雷に顔をしかめながら丹子がカーテンを開けると外は土砂降りの雨である。
「天気予報大外れだねー。ま、今日はもうどこにも行かないからいいけど」
パックを外しながらそうつぶやいた弥生。
先ほど帰ってきて風呂に入ったばかりの弥生は外の天気など気にも留めない。
突然丹子のスマホが鳴りだし、真っ暗な中での出来事に心臓が裏返る思いをしながら相手を確認すると三嵩だった。
「なーに、ダーリンから電話―?はー羨ましいったらないね」
弥生のちゃかしを目で牽制しながら電話に出る。
こんな時間に三嵩から電話がかかってくるのは初めてだった。
「はい、新生です」
そう応えても返事はない。
無言の中、耳に届くのは大きな雑音。
雨音だった。
「三嵩さん・・・?今どこにいるんですか?」
その瞬間、言いようのない嫌な予感がした。
三嵩はこんな雨の中意味もなく屋外で無言電話をかけてくるような人間ではない。
「血が」
「血?」
「止まらない」
「誰の血ですか。今どこにいるんですか」
返事を待たずに部屋着から着替える。
ベッドから降りると弥生と目が合った。
「三嵩さん?聞こえますか?」
それっきり返事がなくなって、すぐにぶつりと通話が切れた。
「弥生、私出てくる」
「みすみんの居場所わかるのかい」
「わかんないけど・・・」
「そんなときのGPS~」
ふざけながら笑う弥生は丹子のスマホをさらりと手から攫うと三嵩の居場所をものの数秒で特定した。
そういえば、お互い軍人であるため、万が一に備えて居場所がわかるように設定していたことを忘れていた。
「ありがとう弥生!今度なんか奢る!」
「焼肉!」
「わかった。行ってくる!」
上着を羽織って玄関のドアを開けたところで鬼子!と呼ばれた。
振り返るとスマホのライト片手に弥生が手を振った。
表情は見えない。
「鬼子は怪我したらだめだよ。女の子なんだから」
「ばか。軍人が何言ってんの」
真っ暗な中、部屋を飛び出すとスマホの明かりを頼りに廊下を走る。
寮を出るころには停電も既に復旧し、まぶしさに目を細めながら全速力で走った。
GPSが示した場所は虹油開発研究所。
なぜこんな時間、こんな場所に三嵩がいるのか丹子にはわからなかったが、走っている途中に思いついた。
三嵩の父が運営に携わっている機関の一つである。
電車を降りてからも走り続けてなんとかその建物に辿りつくと、入り口には守衛が立っている。
既に全身はびしょ濡れで必死の形相の丹子を見て守衛はぎょっとした表情を浮かべた。
「こんばんは。私、新生丹子と申します。深澄会長のご子息の深澄三嵩のRSDFでのバディです。三嵩が中にいると思うんですけど、まだ帰って来ていなくて探しているのですが」
「申し訳ありません、研究所関係者の個人情報はお教えできない規定になっておりますし、関係者以外は中にお通しすることもできません」
「本人に連絡してもつながらないんです。もしかしたら怪我もしているかもしれなくてどうしても急用なんです。通していただけませんか」
「申し訳ありませんが」
堂々巡りを繰り返して、何分経っただろうか。
時計を見ると既に寮を出てから30分も過ぎていた。
なりふりかまっている場合ではない。
こうしている間に怪我人が雨にさらされているかもしれないのだ。
「ごめんなさい!」
守衛をかわして門を突破すると止まりなさいと大声が聞こえたが、すぐに雨音で聞こえなくなった。
GPSを頼りに三嵩を追いかける。
迷路のような研究所だったが数分走れば目的地に着くことができた。
「・・・三嵩さん」
声をかける。
地面に座り込んだ三嵩はぼんやりと宙を見ていた。
雨の中は視界も悪く、背後からでは何をしているのか全く分からない。
「三嵩、」
もう一度声をかけて飲み込んだ。
近寄って肩に手をかけたところで気づいた。
地面に座り込んだ三嵩の膝の上に、顔。
悲鳴を上げそうになって、なんとか飲み込んだ。
スマホのライトで照らされた青白い顔。
地面に横たわった身体は紛れもなく。
「おとう、さん・・・」
深澄嵩俊≪ミスミタカトシ≫。
三嵩の父、その人である。
腰が抜けてその場にしゃがみ込んだところで、守衛が追いついてきてすぐにたくさんの人が集まってきた。
大勢の人に何があったか尋ねられても、丹子も三嵩も何も答えられなかった。
丹子は何があったのかわからない。
三嵩は放心していて返事ができない。
土砂降りの雨の中では倒れた三嵩の父の外傷は確認できなかったが、三嵩は血が止まらないと電話で言っていた。
到着した救急隊がスーツを脱がせると真っ赤に染まったシャツが見え、眩暈がした。
その後はぼうっと宙を見ながら立っている三嵩の手を掴んで離さなかった。
どこか遠いところに行ってしまいそうで、警察に話しかけられるまでずっとただ手をつないでいた。
その後、三嵩の父の死亡が確認され、原因は刃物による刺殺と断定された。
三嵩は第一発見者兼容疑者として警察に事情聴取された。
三嵩は父を発見してから丹子が駆け付けるまでの約一時間、ぼーっとしながら雨に打たれていたため犯行の後始末をしていたのではないかと疑われたからである。
しかし、彼は死亡推定時刻から数時間たってから研究所を訪れていたことが防犯カメラや守衛の証言からわかり、死亡推定時刻にも丹子と出かけていたアリバイがあったため、数回にわたる事情聴取の後に解放された。
あの日、研究所では学会やフォーラムが多数開催されており、職員や関係者以外の出入りも多かったため、犯人の特定は困難を極めた。
事件現場付近は関係者もあまり立ち寄ることのない配電設備のある場所で、防犯カメラも設置されておらず、事件は迷宮入り。
虹油開発の第一人者であった人物の殺人事件であったため、大々的に報道され一時期は大きく世間を騒がせたが、調査に進展はないため比較的早いスピードで世間からは忘れられていった。
あれからだ。
三嵩が変わってしまったのは。
抗争の後に延々と手を拭っては汚れが落ちないと言う。
他人が触れようものなら暴れてしまって手が付けられない大騒ぎになってしまう。
周囲の人が今まで以上に三嵩と距離を置くようになり、三嵩はどんどん孤立していく。
助けてと差し伸べられることのない手を掴むこともできず、ただ隣にいることしかできない丹子には彼の喪失感を埋めることはできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます