メグと秋雨

 女心と秋の空。

 見上げると思い雲からしとしとと冷たい雨が降っている。

 買い物袋を提げたケモミミロリメイドはシャッターの降りた電気屋の軒下で雨宿りをしていた。


「降ってきちゃいました……」


 ぽつりとつぶやいた音は雨の音に消えていく。

 手を伸ばしてみると、細い雨で掌が濡れる。

 季節が季節なだけに少し寒い。

 しょぼんと耳が垂れてしまう。


「傘を持ってくるべきでした」


 ため息をつくケモミミロリメイド、メグの手には今日の夕飯の食材が詰まった買い物袋のみ。

 道行く人は手に傘を持ち、足早に帰路についている。

 しかし、メグは折り畳み傘すら持っていなかった。

 このまま雨が止むまで待つべきか。濡れるのを覚悟して走って帰るか。


「うーん……」


 ちらっと空に目をやると、空一面に灰色の重い雲。夕日さえどこにあるかわからない空模様では、雨がいつやむかなんてわかったものではない。

 では、買い物袋を抱えて走って帰るべきか。

 自分の格好を見返してみる。それはついこの間、メグのお母さんが仕立ててくれたばかりの和風メイド服。まだ使い込まれておらず、新品同様のピカピカの服だ。

 こんなきれいな服を雨で濡らすなど。


「うー……」


 できるわけがない。

 メグは空に精いっぱいの威嚇をしてみる。犬歯をのぞかせ、噛みつくぞと言わんばかりの顔を作ってみるが、しとしと冷たい雨はやまない。


「うー! うー!」


 鳴いても止まぬ。

 メグも途中から自分が何をやっているのかわからなくなったので、唸るのをやめた。

 早く帰らなければ。

 けれど、雨はやまないし、濡れて帰るのも嫌だ。


「早く帰らないとご主人が帰ってきちゃいます……」


 ご主人の帰りを一番にお出迎えするのが好きだった。

 ドアを開けると同時に「おかえりなさい」と声をかけて胸に向かって飛びつくのが好きだった。

 そのあと優しく頭を撫でてもらうと一日頑張ってきたって思えるし、明日も頑張ろうって思える。


「今日は難しそうですね……」


 残念だが諦めるしかないようだ。

 しとしと降る雨の中、やることが無いメグはぼんやり空を見ている。

 今日のお夕飯はなんだろうな。

 出かける前にお洗濯しないでよかった。雨が降りそうだなって思ったから今日はお休みしたんだ。

 じゃあなんで私は傘を持ってこなかったんだろう。


「はぁ……ばか……」


 自分のうっかりに嫌気がさす。

 雨が降りそうだから洗濯はやめたのに、傘を忘れるなんて。

 そりゃあ、出かけるときは雨は降っていなかったけど。

 思わず漏れるため息は、少し白かった。


「……うぅ、ちょっと寒いかも」


 秋の雨は思った以上に冷える。

 遠くに見える公園の時計は六時をとうに回っていた。

 日は沈みこれからもっと寒くなるだろう。


「どうしよう。携帯電話とか持っていないし。早く帰らないとご主人に心配させちゃう」


 ご主人はもう帰ってきているだろう。そして、お出迎えのないことを不審に思うかもしれない。

 まだ買い物途中なんだろう。

 そう思われているうちに早く帰りたい。

 けれど、心なしか雨は先ほどよりも強まっているように見える。

 パタパタと買うかった雨音が耳に着くほどうるさくなってきている。

 激しい雨は足元の地面を余計に濡らす。


「うーうー」


 ますます「濡れながら帰る」という選択肢が難しくなる。

 きれいなお洋服を汚したくない。

 ふとそのとき、先ほどまでにぎわっていた歩道に人が誰もいなくなっているのに気が付いた。


「あ、あれ? え?」


 雨音に交じった人々の足音はなくなり、ポツンとメグだけが取り残されていた。

 戸惑うメグの声は寂しく雨の中に吸い込まれていく。

 それが今ここには自分一人しかいないことが強調されているようで。

 ずっと自分はここにいなければならないのかと気がして。


「あぅ……うぅ……」


 胸がキュッと締め付けられて、鼻の奥がつんと詰まってきた。

 自分でもよくわからない不安がお腹の底からこみあげてきて、息をするのも苦しくなる。

 ぺたんと寝かせた耳には元気がない。

 一人じゃない、ずっとここにいるなんてあり得ない。

 そう自分に言い聞かせても、熱くなる目頭は止まらない。


「うぅぅ……」


 誰もいない景色を見たくなくて。いつまでも止まないかと思える雨空を見たくなくて、自然と視線は足元に落ちてしまう。

 ぎゅっとスカートの裾を握って、何とか何かがこぼれそうになることだけは耐えてみせた。

 すると、激しい雨音の隙間から、耳慣れた音が聞こえてきた。


「……ぅ?」


 ぴくんと耳を立てる。

 その音はだんだん近づいてくる。

 何度も聞いたリズムと靴音。毎日玄関の扉の向こうから聞こえてきた音。

 やがて、その音はメグの前で止まった。


「お、いたいた。メグ、見つけた」

「ご主人!」


 パッと顔を上げると、そこにはメグの大好きな人がいた。

 片手で傘を差し、もう片方の手ではメグの傘を持っている。


「突然降ってきたからね。傘が玄関にあったし、どこかで雨宿りしてんじゃないかと思って……って、メグ鳴いてるの」

「や、あ! いや、これは!」

「なに、寂しかったのかぁ?」

「な、泣いてないです! これは雨です!」


 にやにやとからかってくるご主人に、むきになってメグも返す。

 袖でごしごしと顔を拭くと、目元が少し腫れた笑顔があった。


「さ、帰ろう。袋かして。持つよ」

「あ、ありがとうございます。あ、あと……」

「ん?」

「お、お帰りなさい、ご主人!」

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