飲み会

 朝からソワソワしていた。今日は久しぶりの飲み会だからだ…。


 僕は自分の寝床のある私鉄高架下の見回りを早めに切り上げ、今日の飲み会場である北公園へと向かった。いつも飲み会をしていた駅前公園はコロナの影響で呑み屋に行けない人間たちでごった返し、我々のスペースなどない。だから今日はちょっと離れた北公園になったのだが、僕は住宅街の狭間にひっそりとあって、夜中はめったに人間のいない、この北公園の方がよかった。


 公園の時計が午前0時を指すと、いよいよ今日の飲み会のメンツが集まりだす。商店街のタモツ、老舗喫茶店のソウセキ、月極駐車場のビフ、そして高架下の僕。合計4匹。飲み会としてはちょうどいい数だ。僕たちはベンチには座らず、砂場の縁のレンガにL字に並んで腰を下ろした。


「久しぶりだねえ。どれくらいぶり?」


 タモツがそう訊くと、ソウセキが答える。


「マスターが退院する前だから、三か月ぶりだね」


 猫もコロナに感染して人間にもうつしてしまう。そんなエビデンスはないのだが、ソウセキんちのマスターは大病を患った。僕たちは大事を取り、とりあえず自粛をしていた。


「三か月か…、そんな前か…」


 ビフがそう言って星空を見上げると、なぜかみんなも星空を見上げた。


 都会は人間も多いが、猫も多い。沢山の猫が集まると、猫文化が生まれる。僕はこうして、猫文化の中心で酒を呑むのが好きだ。きっとみんなも、そんな三か月前までの日常が懐かしいのだ。


 みんなそれぞれ持ちよった酒やつまみを砂場に並べた。日本酒のカツオだし割り、最近流行りのチャミスルまたたびフレーバー、チーカマ、鮭とば、鶏ささみ、そしてサバの水煮缶だ。


「かんぱーい!」


 みんなそう言って酒を呑むと、再び星空を見上げた。


「はー」


 ここは世界の中心だ…。そう思ったのも三か月ぶりだった。


 みんな酔いがまわるにつれて、声も大きくなる。近所の住人から怒られると、少し声のトーンを落とした。


「僕はさ、マスターが死んでしまったら君たちみたいに街猫になる覚悟はあったんだ」


 ソウセキがそう言うと、鮭とばを奥歯でクチャクチャしながらビフが言った。


「おめえに街猫なんざぁ勤まんねえよ。もしマスターがいなくなっても店で大人しく本でも読んでろ。そおしたら気のいいマダムにでも拾われるだろ」


 なぜか苦笑いのタモツが続けて言う。


「もしソウセキ君が街猫になったら、俺は商店街から追い出されるな」


 僕はきいた。


「ん? なんで?」


 タモツではなくビフが答えた。


「こいつぁ八方美人だからなあ」


 ビフはニヤニヤしながらそう言って、鮭とばを酒で流し込んだ。

 タモツはヘラヘラしながら酒を呑むと、僕に向かってこう言った。


「えさを貰えなくなるのが怖くてみんなに媚び売ってたらいつの間にかこんなキャラだよ」


 タモツのその言葉に僕は思わず目を逸らし、しばらく固まった。

 そんな僕を覗き込んでタモツが言った。


「ん? どおしたの?」


 僕の動揺に何かを察したソウセキが、話題を変える様に自分の話をした。


「僕には夢があるんだよ」


 みんながソウセキを見る。


「ゆ、夢?」


 ビフがそう訊くと、ソウセキは続けた。


「喫茶店をやりたいんだ」


 ビフとタモツはぽかんとした。


「喫茶店って、今のおまえんちじゃねえか」


 そのビフに、ソウセキは笑顔で答えた。


「猫が集まる喫茶店だよ」


 ビフとタモツは顔を見合わせ、同時に言った。


「はあ?」


 ソウセキはまたたびフレーバーのチャミスルを一気に呑むと、星空を見上げて言った。


「僕たちシティーキャットには文化的なコミュニティが必要だ」

「コ、コミュ…? そんなもん、こうしてこんな風にどこでもできんだろ」


 当たり前の様にビフがそう言うと、ソウセキは続けた。


「マスターはよく言うんだ。『店に集まる客はコーヒーを飲みに来ている訳じゃない。コーヒーを飲みながらこの街で生きていることを実感しに来ているんだ』って」


 みんなソウセキの話をじっと聞いていた。

 生きていることを実感する…、僕にとっては、今日、今、この飲み会がそうかもしれない。


「それはこんな風に公園でもできるんじゃないの?」


 タモツが僕の思っている様な事を言った。


「喫茶店はさ、こんな風にお酒を呑まなくても、喋らなくても、人の話を聞かなくてもいいんだ。ただ黙ってコーヒーを飲んで、静かに流れるジャズにでも耳を傾けていればいいんだ」


 ソウセキのその答えに、やはりビフが訊いた。


「そんなんでこの街に生きていることを実感できんのか?」

「できるさ。だって、そうやって、そこに居るんだから」

「居るだけでいいんならどこでもいいじゃねえか?」

「どこでもいいなら喫茶店なんてやらないよ。僕は、ここだからこそ生きていることを実感できるっていう喫茶店をやりたんだ」


 タモツは怪訝な顔で首を傾げ、ビフはため息をつき、僕はとりあえず酒を呑んだ。

 ビフはやれやれという風な顔で酒を呑み、言った。


「やっぱり学のある猫は違うな、俺ら凡猫には何を言ってるのかさっぱりだ」


 まるで聖猫の様に佇むソウセキを、タモツはしばらく見つめていた。

 そして、そのタモツが口を開いた。


「さっき、もしマスターが死んでたら俺たちみたいに街猫になる覚悟があったって言ってたよね?」


 ソウセキが答える。


「そうだね」

「だけど、喫茶店もやるんだ?」

「そうだね。あくまでも夢だけど」


 タモツは徐に立ち上がった。


「おまえ、街猫をなめてんのか?」


 そのタモツの言葉に思わずビフが身を乗り出した。

 ソウセキが返す。


「え? な、なめる?」


 すかさずタモツが返す。


「そうだよ! おまえは街猫をなめてる! 産まれた時からあの店でぬくぬくと育って! 餌の心配もない! 客からは常に可愛がられマスターからは溺愛! おまけに本の虫でインテリだ!」


 ビフが抑えようとタモツの肩を掴むが、タモツはそれを振り払い続けた。


「俺らはな! 俺ら街猫はな! 人間に媚び売って餌貰ってがっつく瞬間のために生きてんだよ! そうやって必死で飯食うことがこの街で生きてる実感なんだよ!」


 ソウセキは茫然と聞いていた。

 荒い息のタモツが涙目で下を向くと、ソウセキも下を向いた。

 ビフはタモツの肩をそっと掴み、こう言った。


「お前だってマスターに可愛がられてきただろ?」


 タモツが大粒の涙を落とした。


「お前が鰹節大好きだから、マスター、お前に削りたての鰹節食べさせたいって、わざわざ削り器買ってきてさぁ…」 


 ビフは声を震わせて続けた。 


「喫茶店はおまえの商店街の店だろ? みんな一緒だろ? この街で生きてるシティーキャットだろ?」


 僕も思わず目が潤んだ。

 タモツが泣きながら言う。


「俺は…、俺は不安だったんだ。この三か月間、商店街からは人間が消えて、いつも声をかけてくれていたおじいちゃんおばあちゃんもいなくなって…。このまま餌をくれる人間もいなくなっちゃうんじゃないかって、このままみんなにも会えなくなっちゃうんじゃないかって…」


 泣きながら話すタモツを、僕とビフは涙目で見た。

 嗚咽を漏らしながらタモツは言った。


「でも、でも良かった。また人間が戻ってきて、マスターも戻ってきて。マスター元気になってほんと良かった。こうして、みんなで飲み会ができて、ほんとに、ほんとに良かった。…ソウセキ…ごめんよ」


 タモツは泣き崩れた。

 僕はタモツの肩にそっと手を置いた。

 

 俯いていたソウセキが口を開いた。


「…みんな、これからどうするんだい?」


 僕とビフはソウセキを見た。


「みんな、これから、このコロナ渦が終わってから、何かやりたい事とかないのかい?」

 

 タモツも涙を拭ってソウセキを見た。

 ソウセキは続けた。


「三か月前までよく話してたじゃないか。酒を呑みながら話してたじゃないか。『いろんなトラックの荷台に乗って日本一周してやる』って、僕たちが『無謀だ』って言っても、ビフは自信満々に『ぜったいやってやる』って、言ってたじゃないか」


 ビフの目が泳いだ。

 タモツに向かってソウセキは続けた。


「商店街で『猫ミスコン』やるって、『街猫も家猫もかわいい猫を集めてミスコンやる』って、タモツ、楽しそうに言ってたじゃないか」


 タモツは思わず下を向いた。

 ソウセキは更に続けた。


「僕はそんな話を聞いていて羨ましかったんだ」


 タモツが顔を上げた。


「みんな自由で、希望をもっていて、夢がある…」


 ソウセキは少し俯いて続けた。


「僕は、この三か月一歩も外に出なかった。ほんとは今日も迷ったんだ。マスターの体の事もあるけど…、だって…僕は…喫茶店の…世間知らずの…箱入り猫だから」


 タモツの目線が一瞬逸れた。


「だけど、この三か月間でいろいろ考えて思った事があるんだ。ぼくにもやりたいことがあるし、夢だってある」


 ソウセキは僕たちを見て言った。


「僕も、シティーキャットだ」

 

 タモツはそのソウセキの真っすぐな眼差しに、ゆっくりと、力強く、頷いた。

 ビフは大きく深呼吸をすると、酒を手にし、言った。


「よしっ、俺たちシティーキャットの夢の続きだ」


 みんなは酒を手にし、再び乾杯しようとしたが、僕だけは下を向いていた。

 ソウセキはそんな僕を見て、静かに言った。


「…僕たちは仲間だ、そろそろ君の話もしていいんじゃないか?」


 そのソウセキの意味深な言葉で、ビフとタモツは不思議そうに僕を見た。

 僕は再び下を向き、しばらく考えてから喋りだした。


「…僕はもともとシティーキャットじゃないんだ」


 ビフとタモツが首を傾げる。


「僕は、田舎の山里で産まれて、すぐに近所の屋敷で拾われた」


 ソウセキがじっと僕を見ていた。


「僕は、…僕はその屋敷の人間に虐待されていた」


 ビフとタモツの顔が険しくなった。


「冷水をかけられたり、熱湯をかけられたり…、毎日怖くて怖くて…、声を出すこともできなくなった」

 

 ソウセキが下を向いた。


「ある日、僕は、動物愛護団体に助けられた」


 みんな黙って聞いていた。


「人間は怖くて怖くてしかたなかったけど、痛いことや怖いことをしない人間もいるのだと知った。…そして、動物愛護団体を通して、マスターに引き取られた」


 ビフとタモツが思わず言った。


「え?」


 僕は続けた。


「マスターは優しかったし、ソウセキも、言葉を失った僕に一生懸命に話しかけてくれた。…だけど、どうしても、人間が近くにいると震えが止まらない。そうしたら、マスターが高架下のレンタル物置を借りてくれて、そこに僕の部屋を作ってくれたんだ。人通りの少ない場所だから安心できるって」


 聞き入るビフとタモツに、僕は更に続けた。


「食事は毎日ソウセキが届けてくれた。そして毎日僕のリハビリに付き合ってくれた。次第に僕は言葉を取り戻し、そして君たちに出会った」


 ビフが言った。


「そうだったのか…」


 僕は言った。


「マスターの前では震えることがなくなったけど、まだ人間は怖いんだ。だから飲み会も駅前公園じゃなくてここの方が落ち着くし、…タモツみたいに人間に媚びを売れるって、僕には出来ないし、羨ましいんだ」


 タモツが言った。


「そうだったんだ…」


 僕は言った。


「ソウセキは、そんな僕みたいな、僕みたいに人間と馴染めない猫たちのためにも、猫の喫茶店をやりたいんだって言ってたんだ」


 タモツは後悔の念を押し殺す様に、拳をぎゅっと握った。

 ビフが僕に言った。


「おまえは夢、ないのか?」


 僕はしばらく星空を見上げ、こう言った。


「僕の夢は、この街だ」


 みんなが僕を真っすぐに見た。


「この街で生きることだ」


 僕もみんなを真っすぐに見た。


「僕は、シティーキャットだ」


 みんな、みんなそれぞれを、真っすぐに見た。


 そうして、僕たちは再び乾杯した。


 久しぶりの飲み会は、朝まで続いた。

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