ネコ文明
虎ノブユキ
仕事
人間である私の飼い主は、会社の人間関係でうつになり、会社を辞め、一年間ふさぎ込んでいる。
そろそろ失業保険も切れる…
私の生活は…
もちろん一蓮托生だ。
この飼い主と運命を共にする覚悟はできている。
しかし、こういった時にはもう、どちらが先とか言っている場合ではない。
私は次の集会で、職を探す決心をした。
飼い主はどう思うだろう、飼い猫が自分より先に就業する事を。
プライドが傷つかないか。
まがりなりにも飼い主だ。
だが、現実がある。
もう、そんな事も言っていられない。
猫の集会は午後十時ちょうどに始まる。
今日の主な話し合いは、隣町の猫達を招いての、縄張り境界線についてであった。
話し合いは両者一歩も引かず、白熱した。
白熱したが故、私は皆から気づかれず、話し合いの輪からはずれることができた。
私は集会所の隅で、そのベンチの背もたれの裏にある、求職案内表に目を通した。
『多摩川のホームレスのケア』
『駅前商店街の警備』
『ごみ置き場のカラスの監視員』
少ないが仕事はある。
私は、『ネズミ駆除サービス』に目をとめた。
依頼を受けて、一般家庭や商業施設でネズミを駆除する仕事だ。
午前二時から八時間。
初任給、サバの水煮缶三十個。
各種保険完備。
賞与年二回。
食事付。
雇用待遇はかなりいい。
が、いわゆる、命の危険がある仕事だ。
しかし、背に腹は…
しばらく考え、私はここに決めた。
それから私の、仕事、の日々が始まった。
ネズミ駆除サービスといっても、依頼主は人間とは限らない。
外の世界を知らずに一日中家の中にいる飼い猫たちは、ネズミなんぞに出くわさない生活をしている。
そんな彼らの前にある日突然、どこからともなくネズミが現れる。
飼い主は当然、彼らに期待する。
がしかし、彼らにその術はなく、我々の出番となる。
我々は仕留めたネズミをそっと彼らに預けて身を引く。
彼らはそのネズミをくわえ、自らの手柄とし、飼い主に認められる。
猫の依頼者たちは、そんな罪悪感からか、駆除作業に協力的だ。
時には「ありがとうございました。先生」などと頭を下げられ、顔がニヤつくのを抑え、「私は先生ではありません。ただ、仕事をしただけです」と、答えた事もある。
そんなモチベーションもあり、依頼主が猫なら良かったのだが…
依頼主が犬というのは厄介だった。
彼らは「自分たちは犬だ」と、はなっからネズミを捕まえる義務はないと思っている。
ネズミが現れ、飼い主が彼らに淡い期待を抱いた瞬間、彼らは仕方なく我々に依頼する。
「さっさとやっちゃって」と、アゴで指示する彼らは、床に寝そべり、薄目で私の段取りをチェックする。
罪悪感がないので協力的でもないし、やたらとせかす。
そんな時に限ってあり得ないミスをして、作業時間が大幅に越えたりする。
時間内に予定の作業をこなさなければ、当然クレームとなる。
なるほど、雇用待遇がよかったのは、こういうことか…
疲れきって帰ることが増えた。
疲れているのに寝つきが悪く、食欲も落ちていった。
飼い主は元気のない私を気遣い、ブラッシングやマッサージを入念にしてくれる。
罪悪感を感じているのだろう、まがりなりにも飼い主だ。
「おまえ、やせたんじゃないか?」
しっぽを左右に振る私に、彼は続けて言った。
「無理するなよ」
いくら私が今までに、この飼い主の悩みや苦しみを取り去ってきたとしても、彼が私に借りを返す様な行為を、私は望んでいない。
彼もまた、私が彼に借りを返すような行為を望んでいない。
ただ、生きるために仕事をするだけだ。
次の日、私は仕事でケガをした。
ネズミを捕まえて、作業報告書を記入している時だった。
突然ハクビシンが現れ、捕まえたネズミを持ち去ろうとした。
私は必死でネズミを取り返した。
その最中、ハクビシンの牙が、私の肩に食い込んだ。
その夜、私が肩の傷を隠しながらサバの水煮を食べていると、飼い主は私にそっと近づき、こう言った。
「仕事が決まったんだ」
私は思わず飼い主の顔を見た。
「夜中のビルの清掃だ。明日から働くよ」
飼い主はそう言うと、私を抱きかかえ、私の肩の傷口にそっと軟膏をぬって、こう言った。
「一旦ぼくが仕事するから、おまえは休め」
私は、しっぽをどう振っていいか分からず、飼い主の目をじっと見続けた。
「またヤバくなったら相談するよ」
飼い主はそう言って、戸棚から酒を出すと、その酒を私に勧めた。
私は、「ミャー」とだけ返事をして、涙を隠そうと、サバの水煮缶に頭を突っ込んだ。
お互いに借りを返すとか、協力し合うとか、そういう事ではない…
ただ寄り添っていたいと、ただただ一緒にいたいと、私は改めて、そう思った。
きっと、飼い主もそうであろう…
私は飼い主に、サバの水煮を勧めた。
彼はそれを肴に酒を呑んだ。
久しぶりに酒を呑んで旨そうにする飼い主の顔を見て、私も目を細めた。
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