What’s Done Is Done⑤

 前回はアダムスの過去について脱線していったので、彼の過去について語ります。


 彼が力を発現したのは、数万年近く前です。それこそメソポタミア文明なんてのが興る少し前。辺境の村の、貧民の子として生まれました。そこで激しいいじめに遭い、あと少しで死にそうなところで神から力を与えられます。

 力を与えられた彼はそれで国を支配し、贅沢の限りを尽くしました。ですが、千年経ったのちに王の座から退きます。なぜかというと、飽きたんですね。単純に。まあ、この感覚は僕ら庶民にはわからない感覚ですが、きっと千年近く豪遊していると飽きるんですよ。


 そこから彼は自身の力を使って道理に外れることをしたり、時には力自慢のために闘技大会などに出たりします。そこでヤマモトと出会うわけですが、、、日本で生まれた彼はあるとき、海外の盗賊に売られ、闘技場送りにされるわけです。


 と、まあつらつらと書き続けていると、シャンディ並みに脱線しそうだし、そろそろ眠たくなってきたので、どこかでオチをつけようかなと頑張ってみます。

(二人の過去については気が向いた時に語ります)


 ともかく、20年前の世界は僕らの世界とは全然違うわけですね。今では想像もできないようなディストピアの世界。それでも人類は懸命に生き、希望に縋っていた世界だったのです。


 そんな大変な時代があったのだから、人々の心は多少は重いはずだと思うかも知れませんが、作中でも書きましたとおり、彼らは等しく記憶を改竄されています。デカルトの懐疑論と一緒です。目の前のスマホは本当はスマホじゃないかも知れない。それが実際に起こっているのが、この世界なんです。

 なので、Aの視点とCの視点との入れ違いで気づいた方もいらっしゃるかも知れませんが、Cには太陽が1つに見えている一方で、Aは太陽が2つに見えています。太陽が2つある理由は作中で解説しましたので省略しますが、所々で違うのにはそういう仕掛けもあったわけですね。


 じゃあ、僕らのいる世界とこの物語の世界で決定的に違うのは何かというと、「神」の存在なんです。ちなみに、僕はMacを使っているんですが、Macの自動変換機能を使うと、「神」が「髪」になったり「紙」になったりと、思い通りにならないことが多く、執筆中はかなりストレスが溜まりました。


 この神とは一体、どういう存在なんだ、というと、それは次回で語りましょっか。それじゃ、また次回。

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