最終章 空っぽの電脳は何を話す?

凍てつく雪の中で咲くのは

「希、大丈夫かな? バイト帰りに寄っていこうかな」

 茶芸セットを用意しながら雪梅シュエメイはつぶやく。

「おれが行くからいいよ。果物と水も買っておいたし」

「え、本当に、ありがとう~」

 希は岡の見舞い後、まんまと風邪を引いた。熱にうなされながら「岡に頭突きされたからだ~」なんて電話越しで言っていた。本当に高熱を出したようだ。心配だ。


 それにしても。昔だったら、雪梅が希の家に行くなんて言い出したら、もっと全力で止めていただろう。…希だって男な訳だし。でも今は…なんか違う。もちろん雪梅のことが嫌いになったわけではないんだけど。

「どうした? 浩然くん?」

「え…いや」

「ははあ、好きな子でもできたんじゃない?」

「え」

 本当に女の子って鋭い。

「うーん…なんとなくだけどさ。でも浩然くんが何に悩んでるのかもわかる。わたしたち中国人だもんね、日本人のこと好きになったらちょっとさ、考えるじゃん。本当に自分を受け入れてくれるのかって。そりゃあ今時国際恋愛なんて珍しくないよ、もし友達が悩んでたら“そんなの関係なくない?”って言うと思う。けど、自分だったら…こわいことだもんね」

「…」

「昔さ、付き合った人も華僑でさ、めちゃくちゃ安心したんだよね。あー、これで遠慮とかいらないんだって。でも、だんだん解ったの、わたしも彼も、単に自分を偽らなくて済むだけの相手だって。めちゃくちゃ傷つけあったしね。だからさ、わたしはそういう恋愛はもうしないよ。好きな人が誰であっても。その時に考えるスタンスにしたの」

「へえ…」

「浩然くんは昔、わたしにちょっとだけ気があったんじゃないの?」

 …なんでそんなにお見通しなんだ? おれが解りやすすぎるのか。 

「たぶんその時はさ、わたしのことを好きなんじゃなくて、として見てただけだと思う」

「…」

 確かに“安心はできる”って思ってたかもしれない。

「なめんなよ?って感じだけどね。こちとら恋愛ガチ勢なんだから」

「…やっぱり雪梅ちゃんには敵わない気がする」

 すると雪梅はにっと笑った。

「浩然くんが悩んでいることはさ…相手のこと、深く考えてる証拠だからさ、胸張れよ、少年!」

 バシッと背中を叩かれた。浩然が雪梅の横顔を見つめる。可愛い顔立ちでお姫様のようだけど、今は姫というより戦士というような凛々しい顔つきだ。


 そうだ、凍てつく雪の中で咲くのは梅の花だ。可憐に見えても力強く咲く、強い花。

 名はたいを表すとはよく言ったものだ。


「…おう」

「7番さんテーブルに持って行って~。龍井ロンジンだよ、夏にぴったりでいいねえ~」

 

 龍井に小夏ゼリー。ミモザのようなきれいな黄色のゼリーに赤いクコの実が乗り、爽やかな一品となっている。夏にぴったりだ。


 8時になり、ようやく夏の夜のとばりも降りた。ぱしゃぱしゃと中庭の池の鯉の泳ぐ音が耳に心地よく館内に響く。


 そういや、初めてのお客さま、牧瀬さんともここで会ったな…なんて考えていると、

「…あら、やけに背が高い給仕さんだと思ったら…あなたここで働いているの?」

と聞き覚えのある声がした。このハリのある声と厳粛さのあるムードは。

「…お久しぶりです、和崎先生」

 相変わらず紺のサマースーツをまるで修道女の制服のようにきっちりと着た和崎がノートパソコンを開きこちらを見ている。いつもの鋭い眼差しが少しだけ大きく開かれている。そりゃあ学校以外で生徒と会ったらそれなりに驚くか。それにしても。

「…何笑っているのよ」

和崎が口を尖らせて言う。

「はい、すみません…。龍井が好きじゃないってお伺いしていたので…」

 それなのに龍井頼んでる。なんだやっぱり。


「グレーのコップしか持ってないからよ」

 バツが悪そうに和崎はそっぽ向いて、中庭の池のほうを向いた。

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