教えてください

 あ、集中していないな。のぞむの眼がきらきらと緑色に光っている。

「希」

「あ、え、何?」

「勉強に集中しろって。再試食らったんだろう?」


―――――――――――


 7月。梅雨もようやく開けたころ、バイト上がりに更衣室で急に希がわめきはじめた。

「ううううぅ、浩然ハオラン、どうしたらいい? 国語追試になった」

「まあ、そりゃそうだろうね、あの感じじゃ」

「ひどい~」

 一緒に図書館で勉強していたが、希は本当に読解が苦手なようで、まず何について聞かれているのかが答えられていなかった。あと慣用句やことわざなどの知識部分もあまりわからなそうだった。

 

 希と話していると不思議なのは、その話の本質を見抜いたりすることはそれなりに得意で、しかも普段の会話は確かに難しい言葉遣いはできないもののコミュニケーション能力に問題はない。それなのに、如実にテストの点数はかんばしくない。


「慣用句ぐらいは自力で覚えなよ。というか、問題を読んでないでしょ」

「浩然、教えて…」

 両手を合わせて、希が上目遣いをする。浩然は顔を引きつらせて、

「無理」

とにべもなく断った。こればっかりは断らない信条でも無理。

「なんで!」

「おれも大学の定期テストあるの」

「浩然なら余裕っしょ」

「余裕じゃないよ。おれは人より遅いから早めに始めないと。後々めんどくさくなる」

「そこをなんとか…浩然大先生。21歳高校生にはなりたくないんだ」

「まあ20歳高校生も確約しているからあんまり変わらないんじゃね?」

 希は4年制の通信高校に通っている上に1年ダブっているから、20歳高校生になるのだ。

「いじわるだ…! 浩然のばか~」

 こんなアホなやりとりをさせられること小一時間、ついに浩然が折れて、バイトのない土曜日に近くのカフェに入った。浩然がバイトが入っていないのは、テスト勉強に集中する為に事前に開けていたからだった。希はその日バイトだったが、マダム欧陽オーヤンからこっぴどく叱られて、勉強してこいとのめいにより、今日は休みとなった。


 カフェは駅前のチェーン店にした。ここは200円台、300円台からコーヒーやティーがある。茶色を基調とした温かみのある店内は見慣れたチェーン店のもので、こういうところのほうが落ち着く。また店員も自分と同じぐらいの歳のバイトなので、長居していても何も言ってこないはずだ。

 メニューを見て、アイスティーを注文した。


 小さな丸テーブルを2人で腰かける。希はばたばたとタブレットPCを出す。教科書や要点の書いたものはタブレットに自炊しており、紙のノートに書きなぐっていく。途中で希が机を揺らすと、机はカタカタ揺れた。机が歪んでいるのだ。浩然が席を移動しようとすると、希は自分の国語のテストを丸めると、浮いている側の足にいれた。


「それを直しながら勉強するんだろ」

「こんなやつこの机のいしずえとなればいい」

 浩然は黙って、英単語の暗記に使った、書き殴っただけのいらない紙ををテーブルの足に入れ、希の国語のテストを抜き取った。


 テストを改めて見ると、さすがに漢文は満点に近かったが、書き下し文を答えるところをミスしていた。

「希、もしかして習ったからわかるのか」

「論語と孟母三遷もうぼさんせんの教えだからね。小学生のうちに習ったさ。論語なんか暗唱させられたしね」

「へえ…」

 自分も習ったことも中国にいた時に習ったことがあるはずなのに、かなり曖昧になっている。おそらくそれぐらい日本語を覚えるのに必死だったからだろう。

「なんだっけ、孟母三遷の教えって?」

「孟子のお母さんが、孟子の教育のために3回も住むところを変えたんだよ。1回目にはお墓の近くで葬式の真似ばかりして遊んでいたから。2回目は市場の近くでお店屋さんのせりの真似をしたから。で3回目に学校の近くに引っ越して、ようやく熱心に礼について学びましたとさってお話さ」

「つまり言いたいことっていうのは」

「教育のためには良い環境を選べってことさ、要するに」

「すごーく中国っぽいな」

 浩然は肩をすくめた後、自分のルーズリーフと授業プリントに眼を落とした。

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