二人の男
「いえ、実はちょっと頭の中を整理したくて。申し訳ないけどもうちょっと付き合って」
「え、はい…」
浩然としても手慣れていないのでいいお茶を出せなかったという申し訳無さみたいなのを感じていたので、もう言われるがままになっていた。
しかしこのお客さん、柔らかそうに見えてけっこう押しが強い。浩然はそのままペースに巻き込まれてしまった。
「わたしには叔母がいて。母方の叔母なんだけど。わたしにとても良くしてくれた人でね。だけれどその叔母が亡くなってしまって」
「あ、そうでしたか…」
「まあ長くガンを患ってたから、覚悟はしていたんだけど。あまり自分のことを話さない人だったのだけれど、叔母が亡くなって本棚を整理していたら、こんな手紙が出てきてね…」
客は小さな紙を取り出した。桜が端に小さく付いていて、横書きのメモだ。
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澤田 眞人様
この間、あなた様がわたくしを可愛いというものだから、恥ずかしくて居たたまれなくなりました。ああいうご冗談はもうやめていただきたいのです。本気にしてしまいますから。でも正直に申し上げますと、とてもうれしく何度も思い出してしまいました。
今日の授業後、またあそこの喫茶店で一緒にお茶致しませんか。あなた様とお話しできることがこの授業で一番楽しみにしていることでございます。
和田
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言葉遣いは古めかしくも上品で、しかし話している内容は見ているこっち恥ずかしくなるような文面だ。まだ付き合ってないのだろう、しかし文面の限りでは両片思いのような気がした。
「もう1通あるの」
客が差し出す。もう1通は便せんではなく、ノートを指で破った、メモだった。
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和田 量子様
その事についてご説明したいので、授業後、近くの喫茶『さぼ』でお会いできませんでしょうか。
影山
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こっちの名前は影山功? あれ、さっきのは澤田眞人だった。二人の男の便せん。そして“授業”というワード。同じく授業中だったから一緒に持っていたのだろうか。しかし、この“その事”ってなんのことだろう…。
叔母の葬式の時、ある70代ぐらいの痩せた白髪の紳士が客の前で記帳し始めた。これと言って特に特徴がなかったらしい。ただ、記帳している時、一瞬手が止まった。1秒ほど動揺していた。そこで客がのぞきこむと、ちょうど澤田眞、と書いていた。その手は最後に“人”という文字を書いた。
澤田眞人…――“サワダマサヒト”、叔母の思い人…。
顔を上げた澤田眞人は歳相応の深い皺を顔中に刻みながらも、
そして左の眼の上、ちょうどこめかみの辺りに、墨でも皮膚に染みたような灰色を帯びた
あ、と思い呼び止めようとしたが、澤田の後ろにいた叔母の友人が泣きながら客に話しかけてきたので、呼び止めることができなかった。
―――澤田はまだ生きてる。もう一人の影山功はどうだろうか。どちらかが恋人同士だったかもしれないし、もしくはどちらもなのだろうか。客は好奇心が湧いた。
それから近くの市立図書館で電話帳を引いた。世帯主だったようで、見つけることができた。住所と固定電話番号を引き出せた。
「電話をかけたのよ」
電話をかけると、
「はい、影山です」
と応答があった。70代のおじいさんというような声で、これといって目立つ特徴はなかった。客が名前を言い、
「和田量子の姪です、影山功さんですか?」
と名乗った。
すると電話口の相手は黙ったままだった。相手の様子など見えないが、不思議と客がそれが驚いているように感じた。
「確かに影山功はわたしですが…」
「あ、すみません、いきなり電話をかけたらびっくりしますよね? 何十年も前のクラスメートの姪から電話がかかってくるなんて…」
「いえ、まさかこちらに掛かってくるなんて思っていなくて…」
「“こちら”?」
ああ、固定電話からってことか。いくら高齢者と言えど、最近は使わないのか、とその時客はそう思った。
「あの…どうしてこちらへかけてきたんですか?」
「ああ、電話帳に載っていたのが固定電話だったので」
「電話帳…? 影山功の名前でお探しになったと」
「そうです」
「ちなみになんで?」
「えっと…手紙があって」
数秒の沈黙した後、影山は急に話始めた。
「…ああ! そういうことか。あのノートの切れ端のことか」
「あ、そうですね」
「ああ、やっとわかりました、意味が」
意味———?
影山とのやりとりがかみ合っているようで、微妙にかみ合っていないような気がした。そして気が付いた。どうして固定電話に掛けてきたのは聞くのに、何を伝えたくて電話してきたのかは聞いていないのだ。電話においてそれを聞かないのは不自然だった。
「あの、わたしの叔母が実は先週亡くなって…」
「はい、お悔やみ申し上げます。…あの実はそのことは知り合いから聞いて」
そういうことか。叔母が亡くなったことを知ってたから何で電話してきたのかはすぐに予想がついたのだ。
「あ、もしかして澤田さんからですか?」
すると、影山は無言となった。あれ、仲が悪いのか?
「…まあよく知ってるんで」
「クラスメートだったんですよね、叔母と」
「そうといえばそうですね」
そうといえばそう…? なんかこの3人、何かあったのだろうか…。三角関係? 客の中に下世話な妄想がむくむくと浮かんだ。
やがて影山は決心したように客に話しかけた。
「あのう…やっぱりお話しますので、二週間後の水曜日、お会いできませんか?」
「え、ええ。でも何についてお話されるんですか」
「澤田眞人について、ですよ」
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