第12話 オープンカーと桜井先生と私
私はあと5回手術しなければならない。
骨がくっつくように、ボルトを入れては抜いての繰り返し。
左脛骨・腓骨骨折も落ち着き、一時的に退院が決まった。
私は、地方の病院から東京都心の病院へ転院する事になった。
先生は車で迎えに来てくれた。
セダンの高級外車で驚いた。医師だし、それなりの収入があるからだろう。
病棟の師長さんが私の隣に来て、耳打ちした。
「こちらの先生はあなたのご友人?こんなに尽くしてくれるお友達なんて、そうそういないですよ。」
「えっ!?」
「高額療養費制度以外の分は先生が全部払ってくれたんですよ。保証人になってもくれるし、毎日お見舞いにきて今日みたいにお迎えにも来てくれるでしょう。白馬の王子様みたい。」
白馬の王子様?先生が私に尽くしている?師長さんの一言で実感した。
休職している私は自分の生活費が心配になった。職場の総務に電話をかけると、傷病手当金を一年半受給出来ると職場の事務員に言われ、安心して療養する事が出来た。
二度目の鎖骨骨折の退院前日のこと。
「生活費くらい、言ってくれれば私が出すのに...。」
「なんでもかんでも先生に頼る訳にはいかないですから。」
「あら、でも前回と今回の入院、私が保証人になっているわよ。」
「その節はありがとうございます。」
「あと四回の入院も、全部保証人になるつもりよ。」
先生は微笑んで私の頭を撫でた。
「先生、何故こんなに私に良くしてくれるんですか?」
「さあ、どうしてでしょうね?」
先生ははぐらかす。
「今日は私のマンションに来てもらうわよ。」
先生の部屋に上がるのは初めてだ。
そして、私の体力やまだ残っている怪我では、一人暮らしは相当厳しいものがある。
「先生、婚約者の方はどうするんですか?週末はツーリングで、入院中はずっとお見舞いに来てくれましたし...。」
赤信号を待って、私の頭を撫でた。
「あなたは何も考えなくて良いのよ。私に身を委ねてね。そうね、しばらくは私のルームメイトになるといいわ。そうすれば、深く考え過ぎなくて済むでしょ。一人でいると、色々考えてしまうわよ。」
先生に言われた通り、私は考えるのを止めた。先生に身を委ねよう。
車内は静かで乗り心地が良く、まるで先生の安定した情緒のようだった。
先生の自宅に着く。
2LDKで、リビングがとても広かった。落ち着いた色の壁に整理整頓された医学書。私のバイク雑誌・ツーリングまっぷるだらけの自宅とは大違いだった。
後日。
私にはバイクもないし、休職中だし、退屈な日々を過ごしていた。
退院してから初めての週末。
「行くわよ、バイクの代わりで。」
「バイクの代わり?」
先生は私の右手を取った。
「これのどこがバイクの代わりなんですか?」
2シーターのシルバーの車。B社のものだ。
先生は運転席に座り、電動で幌を上げる。
「良いから、あまり考えずに中に入って。」
私は助手席に座る。
シフトノブを見ると、オートマだった。
「じゃあ、軽くドライブに行くわよ。」
「先生、出不精じゃなかったんですか?」
「ルームメイトのためならいいって事よ。」
先生のオープンカーは、アクアラインを走って海ほたるにたどり着く。風が気持ちいい。もう12月上旬で、エアコンがオンになっていた。だから寒くはなかった。
海水がザザンと音を立てて海ほたるの外壁にぶつかる。私と先生はデッキで海を眺めていた。強い風で私達の服がパタパタとなる。
「オープンカーも良いわよ。風を切る感覚はバイク程ではないけれども。」
「そうですね。」
そして、私達は駐車場にある先生の車に戻った。
先生と私は、唇が触れる程度のキスをした。
「先生。」
「何?」
「カーセックスは嫌ですからね。」
「ふふふ、いきなりそんな事はしないわよ。でも、あなたが望むなら...。」
先生は参った、と両手の平を私に向かって上げた。
先生は、海ほたるから先生の自宅へオープンカーを走らせた。
私は職場復帰した。
それは半年後、6月の事だった。
私は相手の保険会社からバイク全損のお金と慰謝料をもらった。
休日、事故のせいなのか、私はディーラーのショールームでバイクを見ることすら嫌になっていた。
私はこれまでの生きがいを失いそうだった。生きていて何が楽しいのか。
涙が出そうになったが、上を向いてこらえた。
ふと、先生の顔が思い浮かんだ。そしてそこには、先生の隣にはB社のシルバーのオープンカーがあった。オープンカーが風を切る。
もしかして、先生は私の生きがいをオープンカーへ誘導したかったんじゃないか?
来週の休日、私は先生とM社のショールームへ見に行った。
国産車で2シーターのオープンカー。鮮やかな赤で、幌が黒だった。
「先生はどう思います?」
「何が?」
「M社のオープンカーですよ。実は、試乗しちゃいました。ミッションはマニュアルです。軍資金はバイク全損と慰謝料で。」
「素直に私のオープンカーに乗ればいいのに...。」
「だって、先生のオープンカーはオートマでしょう?私はマニュアルが良いんですです。バイクみたいな操作感が良いんです。」
先生は溜め息をつく。
「あなたの心は、つくづくお金では買えないのね。」
「でも、先生は別の方法で私の心を買ったじゃないですか。」
「ん?そうだっけ。ええと、あなたとタンデムしたこと?」
先生は話をそらした。
「話は変わるけれども、あなたらしさが出て来たわね。目が輝いているわよ。」
私は、M社のオープンカーを契約した。
納期は1カ月待ちだそうだ。
7月上旬、M社の赤いオープンカーが納車された。
早速、週末に先生を乗せて車を走らせる。
左足でクラッチを踏んだり離したりして、左手で2速、3速、4速と上げていく。
「この車は人馬一体とはよく言ったものです。純粋にスポーツさせてくれます。」
「私には何を言っているのかよくわからないけれども...。あなた器用よね。機械ものに関しても詳しいし。別の進路を選んでも良かったんじゃないの?」
「好きを仕事にすると、体が持たないんですよ。趣味と仕事は切り分けたほうがいいんです。」
「看護師はお金を稼ぐための道具なの?」
「さあ、どうでしょうね。」
私は人と接するのがあまり好きなわけではない。プライベートでそうせざるおえないだけで、仕事と結びつけるのは違う。
でも、看護師は私の天職だと周りに言われる。私の出来る事は看護師の適性とマッチしているのを実感する。好きこそものの上手なれと言うが、好きと出来るのは全く違う次元なのだ。
私は看護師だからこそ先生に出会えたのだ。
そんな言葉は先生には恥ずかしくて言えないが。
「そういえば、このオープンカーのミーティングが来月、箱根ターンパイクで開催されるんですって。それに参加してみようと思います。」
「あなたらしいわね、そういうの。その時は、私も連れて行ってね。」
私が車を走らせているとき、先生は私の左の太ももに手を置いた。
「先生!」
「何?」
「運転中に変な気分になると危ないので、やめてください。」
「わかったわよ。止めるわ。ごめんね。」
先生は手を引いた。
仕事の日は、2人とも支度をして先生のセダンで病院近くの喫茶店へ行く。二人ともそこでモーニングを済ませ、先生は先に病院へ車を走らせる。私はしばらく休憩してお色直しをし、歩いて病院の更衣室へと向かう。
私には、今はバイク仲間はいないがそのうちオープンカー仲間が増えそうな気がする。 そして今までと違うのは、先生が私の保護者になってくれているという事だ。
たとえどうなろうとも、私は私だ。
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