第7話 悪魔の囁き

 早朝の学食。

 国中の学生が憧れる王都の王立第一魔術学園。

 その学食なだけあって、広大な敷地を存分に活したその広さは、小さな闘技場ならすっぽりと収まりそうだ。

 しかも、その広さがあっても床に汚れやほこりはなく、生徒たちが快適に食事をするために清潔な状態が保たれているのだから恐ろしい。

 出てくる料理も、定番のものからマニアックなものまで種類が豊富に用意され、味はもちろんのこと栄養のバランスまでしっかりと管理されている。


 「生徒たちが自己の研鑽けんさんに集中できるよう最高の教育と最上の設備を」という学園の理念は伊達じゃないんだな。


 そんないつもなら制服姿の生徒たちで賑わい、そこかしこで喧騒が溢れるこの場所も、今は早朝のため人もまばらで活気はない。



「ふーん、あの寂眼さびしめの賢者が行き倒れかけてたんだ」


「お、おう。それで模擬戦をする流れになって……」


「そこで気に入ってもらって弟子入りした、と」


「そういうことだな」


 俺は対面の席に座るミリアの言葉に、おずおずとうなづいた。

 そして、それを見届けたミリアはそこからしばし無言になり、目の前に積み上げられたパンケーキにゆっくりとナイフを入れる。


 「朝からどんだけ食うんだよ」とか、「目が据わってて怖ぇよ」とか、普段ならいろいろと言っているんだろうが、今は言えそうになかった。

 なぜなら、この重々しい状況を作った原因は俺にあるからだ。


「……まあ、アクセルは嘘は言わねえからな。俺は信じるぜ」


「おお! さすがテオ。話が分かるな」


「けど、あまりにも唐突だったよなー」


 俺の斜め前……ミリアの隣の席で腕を組んでいたテオも、その表情は渋いものだ。




 三年前のあの日、ガス爺から弟子入りの誘いを受けた俺は、その誘いに即答はできなかった。

 その理由は単純で、弟子入りをするとガス爺の旅に同行することになり、故郷を離れる必要があったからだ。


 自分としてはもちろん弟子になりたかったが、両親に話しを通すことも必要だと思ったし、いつも一緒だったミリアたちのことも気になっていた。


 けれど、結局は両親――特に父親の強い後押しもあり、俺は弟子入りの誘いを受けた。

 そして生まれ故郷を離れ、ガス爺の世界各地を回る旅に同行し、この数年間は本当に多くのことを学んだ。


 そのあと、ガス爺が学園長と知り合いだったことで融通をきかせてもらい、少し遅れることになったが学園に編入して、無事にミリアたちと再会した。

 


「あの時はろくに別れもできなかったしな……悪かった」


「まあ、俺もアクセルの立場だったら絶対についていきたいって思うし、仕方ねーよな」


 そう言って肩をすくめたテオと共に、自然と俺たちの視線はパンケーキを食べ続けるミリアに集まった。


「確かにアクセルの目標を考えたら、ついていくのは当然だよね……」


 俺の目をじっと見つめ返すミリアも、そんな風に肯定的な言葉を口にしてはいる。けれど、その表情はとても寂しげなもので、罪悪感を刺激するには十分だった。


「……悪かったよ、ミリア。お詫びにそのパンケーキ今度奢らせて――」


「――やった! なら、さっそくおかわりしてこよー」


「切り替え速いな! そして食うのも速すぎだろっ!」


 ミリアの曇っていた表情は一瞬で晴れやかなものに変わり、上機嫌で追加のパンケーキを取りに行く。


 それにしても、相変わらずとんでもない胃袋だ。あれだけ積まれてたパンケーキをこの短時間で完食とは…………。


「テオ、あいつの胃袋の大きさは地竜並みなんじゃないか?」


「かもな。新入生歓迎の大食い大会でも優勝してたからな」


 なんでもテオの話によると、ミリアは新入生の中で一人だけ女子生徒として大会に参加し、巨漢の猛者たちを相手にぶっちぎりで優勝を決めたらしい。


「マジかよ……」


「けどな、あいつも今でこそああやって元気になってはいるが、アクセルがいなくなってからめちゃくちゃ落ち込んでたんだぜ」


 テオは、愛飲している筋肉増強効果のあるドリンクをあおるように飲みながら、思い出したように笑う。


「ことあるごとにアクセル、アクセルって言ってたし、いったいどんだけ好――っぎえぇっっ!! …………何しやがるっ!?」


 話の途中から後ろにいたミリアの拳が、絶妙な角度でテオの脇腹にめり込む。

 ミリアは、そのまま何食わぬ顔で新しいパンケーキが乗せられた皿をテーブルに置くと、ぴくぴくと震えるテオを見て鼻で笑う。


「制服にゴミがついてたから取ってあげたんだけど?」


「嘘つけ! 今、完全に腰入れて打ち込んだだろうがっ!」


「はあー、二人とも相変わらずだな……」


 俺がそんな変わらないやりとりに呆れて笑っていると、二人は急に表情を真剣なものに変えた。


「アクセルはどうなの?」


「ん? なにが?」


「実力だよ実力。賢者と一緒にただ観光してたわけじゃねーんだろ? あれからどれくらい強く――いや、速くなったんだ?」


 なるほど。そういうことか。

 確かに二人の立場ならそこは気になるよな。

 そう思った俺は二人の問いかけに対して、きわめて客観的に見た自分の実力を口にした。



「そうだな…………控えめに言っても――『世界最速』だろうな」



   ◇  ◇  ◇



 迷宮並みに広大な学園の校舎。そこに数多くある教室の一室。

 並べられた机と椅子は、教壇に向け階段状に配置されていて、多くの生徒がここで授業を受けられるようになっている。

 しかし、その教室も今は補習授業のため俺以外の生徒はおらず、普段とは違い閑散としていて、ずいぶんと寂しいもんだ。


「くそ~、あいつら絶対に信じてなかったな……!」


 今朝の学食でのやり取りを思い出し、ペンを握る手に力が入る。


 『世界最速』。

 そう言った俺の言葉をあいつらは全く信じた様子はなく、そのまましらけた感じで遠征に向かって行った。


 遠征とは、学園で優秀な成績を収めている生徒に実戦を学ばせるため用意されたもので、実際に王国軍の精鋭部隊に同行し、高ランクの魔物の討伐などを行ったりするらしい。

 そして、今回の遠征メンバーに選ばれている二人は、今頃王都の近郊に向けて移動しているはずだ。


 要するにあの二人はこの学園でもエリートで、編入による遅れで補習を受けている誰かさんとは違うというわけだな。


「はあ……早く次の学内戦になんねえかな」


「おい集中しろよー」


「へーい……ん? この感じは…………」


 補習を担当している教師に気の抜けた返事をしていると、身に覚えのある嫌な感覚が身体を襲う。


 ああー、またあいつか……。

 無視したいところだが、そういうわけにもいかないんだよな。

 ここはなんとか抜け出すしかないか……。



「――先生っ!」


「いきなり大声出してなんだ?」


「急に腹の調子が……!」


「なに? どうせあと少しだ。補習が終わるまでは我慢しろ」


「それが……腹の内側を火球ファイヤーボールで撃ち抜かれてるようなとんでもない腹痛でして……も、もう――」


「わかった! わかった! もういいから行ってこい!!」



 俺の鬼気迫る演技に焦った教師によって、追い出されるようにして教室を出る。そして、そのまましばらく廊下を歩いて行き、人気ひとけのないところで立ち止まって壁に背を預けた。


 すると俺の手前の空間が歪みだし、その小さな歪みの中から頭に被り物をした一体の悪魔が現れる。


「よぉ、よぉ、ライドマン。腹の調子はもういいのかい?」


「うるせえ。お前が呼んだからあんな演技したんだろうが」


「キヒヒッ、まあそう怒るなよ。今日もいい情報を持ってきてるからよぉ」


 宙に浮いてニヤニヤと気味悪げに笑っている小型の悪魔。

 こいつの正体は俺のスキルの一つ、『スウィートテンプテーション』によって召喚された悪魔で、名はアモンと言い、本人曰くこの世のすべてを知る全知の存在らしい。


 このスキルの効果は召喚された悪魔――アモンが、スキルの保有者である俺に莫大な利益をもたらす情報を提供してくれるというものだ。


 ここまで聞くととんでもなく強力なスキルだが、もちろんメリットばかりではなくデメリットもある。


 まず一つ目のデメリットは、このスキルは自分でコントロールができない点だ。

 提供される情報の種類はもちろん、発動のタイミングすらも気分次第で向こうから勝手に現れるため、完全なランダムである。


 そして二つ目のデメリットは偽情報フェイクだ。

 基本的にアモンから提供される情報は俺にとって破格の恩恵を与えるものが多い。けれど、何回かに一回の割合で偽情報を伝えてくる時がある。

 問題はその偽情報もまた破格……要するにとんでもなく危険な情報だという点で、俺自身これに従って今まで何度か死地に送られた経験があるほどだ。


「いい情報ねえ……どうせまた偽情報じゃないのか?」


「――嘘だろっ……俺を信じてないのかよ!?」


「この前は激レアの魔道具が出回ってるって言うから行ってみたら、なぜか古龍と追いかけっこするはめになったんだよなぁー」


 古龍は人化した状態でもめちゃくちゃ厄介なのに、龍化したら平気で山一つ消し飛ばす威力の攻撃を連発してくるからな。あんなのとまともに戦ってたら命がいくつあっても足りない。


「そ、そりゃあたまには外す時もあるけどよお。その分いい思いだってたくさんしてきたんじゃないのかよぉ…………」


 アモンはそう言ってわざとらしく手で顔を覆うと、へたくそな泣き真似を始めた。


 はあー、めんどくせえ。

 そもそもこいつの手からはみ出てる口角がめちゃくちゃ吊り上がってる時点でバカにしてるだろ、これ。

 けど、このスキルで死にかけたこともあるが、助けられたことだってあるのもまた事実なんだよなぁ…………。


「ぐす、俺だってぇ……一生懸命やってるのに、ぐすん」


「……疑って悪かったよ」


「ん? いまなんて言った?」


「……いや、俺が悪かったからさ。その、またいい情報を頼むよ」


「キヒヒッ! さすがライドマン。そうこなくっちゃなぁ!」


 そう言ってアモンは泣き真似をすぐさまやめると、俺の肩に着地する。

 そして、いつも通り耳元で秘密話をする時のように情報を囁いていくが…………


「――ッ!! その情報は速く言ってくれよ!」


 情報の内容を聞き終えたと同時に、俺はアモンをその場に残して全力で駆け出す。



「おうおう、さすがは最速。速いねえ~」


 昼下がりの廊下に、聞いた者の不安をあおる悪魔の笑い声が響き渡っていく。




「けど、間に合うのかねぇ……キヒヒッ」

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