第6話 寂眼の賢者

 寂眼さびしめの賢者――アーロン・ガスタング。


 その名を知らない魔術師はおそらくいない。いや、魔術師じゃなくても皆が一度は聞いたことがあるだろう。それほどのビッグネームだ。

 長い歳月をかけて磨き抜かれた魔術の技巧は、『超越の存在』にすら比肩ひけんするとまで言われ、本当の意味で魔術をる者だ。

 

 そんな魔術を極め、賢者とも呼ばれる存在に関しては数々の偉業があるが、その中でも有名なのが『精霊迷宮』の攻略だろう。


 かつて一体の精霊によって一つの街が丸ごと植物に呑み込まれ、迷宮と化した事件があった。超越の存在であった精霊が作り上げた迷宮の攻略は困難を極め、当時は多くの者たちが犠牲になったらしい。


 そんな迷宮を単独で攻略し、さらには事件の元凶となった精霊を追い詰め、強引に契約をしたうえで消滅させた話は今なお語り継がれる偉業だ。


「そんなすごい人が行き倒れになりかけてたのか……」


 俺は衝撃の事実に驚きと呆れを感じながら、ガス爺の眼帯を見つめる。


 たしかその時に得たスキルで魔眼を手にしたから、寂眼の賢者って呼ばれてるんだったよな。

 そう言われるとなんとなく眼帯の下からただならぬ気配を感じるような気が……


「ほれ、そんなに見たいならじっくりと見るがよい」


「っ!? ちょ、ちょっと待った! 魔眼の直視はやばいって!」


「ほっほっほっ、冗談じゃよ冗談」


 いやいや、この爺さん冗談とか言って思いっきり眼帯外しかけてたよな!? 

 なんかめっちゃ笑顔だけど、魔眼は直視するだけで能力が発動するやつもあるからシャレにならん……。


「それに、ワシは魔眼を掌握しておるから直視しても大丈夫じゃよ」


 「これは保険じゃ」と言って眼帯を指さすガス爺。


「はあ~……驚かさないでくれよ」


「ほっほっ、それよりもアクセル。お主、魔力操作の鍛錬をしておったのう」


「えっ、ガス爺さっきの見てたのか?」


「見てはおらんが、魔力の流れは感じたからの」


 ガス爺は簡単そうに言っているが、俺が鍛錬していた場所とここにはある程度の距離があった。しかも、俺は魔力を鎮める練習をしていたから普通なら感じ取るのはかなり難しいはずなんだがな。


「この距離でも察知されるのかー……もっと精進しないとな」


「いや、なかなかの錬度じゃったよ。どれここでもう一度やってみるがよい」


「おお! ガス爺に魔術を見てもらえるのか!?」


「あの卵サンドは美味だったからの。その礼じゃ」


 ガス爺がうなづいたのを見て、さっそく俺は意気揚々と魔力操作を始める。

 寂眼の賢者に魔力操作を見てもらうなんてめったにない機会だ。いや、めったにどころか普通なら一生ないかもしれない貴重すぎる機会、できればここで何かを掴みたい。


 俺は緊張を抑え込み、いつものように強く、素早く、そして静かに、身体に魔力を流していった。



「……っし! どうかな?」


「ふむふむ。稽古は毎日やっておるのか?」


「いちお毎日欠かさずやってるよ」


 返事を聞いたガス爺は、そのまま背を向けてゆっくりと歩き始める。

 どこへ行くのか、そう俺が疑問に思っていると、ガス爺は程よく距離が取れたところで振り返って片手を上げた。


「どれ、食後の運動じゃ。好きに攻撃してくるがよい」


 どうやら模擬戦までしてもらえるようだ。

 もしかしたら戦闘での動きを見る意図があるのかもしれない。

 相手は俺よりもはるかに格上。ここは遠慮せず行かせてもらおう。


「いくよ、――黒槍シャドウランス


 あいさつ代わりに素早く術式を練り上げ、魔術をつむぐ。

 威力を重視し、あえて無詠唱ではなく詠唱破棄で放った漆黒の槍は、敵を穿うがつためまっすぐに風を切って突き進む。

 しかし、黒槍を見据えるガス爺に動きはなく、それどころか魔術を練り上げる様子もない。ただじっと魔術を眺めているだけだ。けれど、


「――なっ!?」


 思わず声が漏れた。それほどのことが目の前で起きたからだ。

 俺が放った魔術はガス爺に命中する直前、魔力の塵となって消えてしまった。

 相手が魔術で相殺したり防いだわけでもなく、空中で突如散り散りに消え去ったのだ。


「くっ!」

 

 俺は何が起きたかを見極めるため、今度は多重に術式を組み上げて無詠唱で黒槍を放つ。その数は全部で五本。しかし、それもすべてがかき消されてしまったが、何をしたのか種は割れた。


「魔力で術式が分解されたのか……!」


 黒槍がガス爺を穿つ直前で放出された魔力。

 それに触れた瞬間、矛先から術式が分解されていたのだ。

 通常、術式として成立した魔術を魔力だけで分解するのは困難で、可能なのは相手との力量差に大きな開きがある場合のみ。

 しかも、それをあの一瞬でやるとなると、どれほどの技術が要求されるのか……。


「ほっほっ、年寄り相手の遠慮はいらんぞ」


 俺にとって模擬戦でここまでの差を感じた相手は二人目だ。

 一人目の父さんには『速さ』で圧倒され、手も足も出ないどころか何が起きているのかすらわからなかった。


 そして今、二人目のガス爺には『巧さ』で圧倒されている。

 けど、俺もあれから毎日鍛錬を積んで、を磨いてきた。それに今はスキルだってある。

 ――あの時とは違う。


「ほほっ。その蒼炎、やはりスキル持ちじゃっ――」


「――フッ!」


 俺はブルーライドと身体強化を発動し、言葉の終わりを待たず背後へ回り込み、全力で右足を蹴り上げる。しかし、鞭のようにしなりのきいた蹴りは、相手の側頭部をとらえる直前でかわされる。


「はあッァ!!」


 その一撃を皮切りに次々と攻撃の手数を増やしていく。

 拳と蹴りだけでなく、連撃の合間に無詠唱の魔術を至近距離で発動し、怒涛の勢いで攻め立てる。


 相手に反撃の隙を与えるな! スキルを警戒されて距離を開けられたら魔術戦では勝てない! この流れで一気に決めるんだ!


「なかなかの速さじゃのっと!」


「まだまだッァァ!!」


 俺の打撃はすべてが紙一重で回避され、魔術にいたってはもはや発動する前に術式ごと分解されていく。

 ガス爺の身体はまるで空中に浮いた一枚の落ち葉のようにひらひらと攻撃をすり抜ける。

 魔術で強化しているとはいえ、そろそろ体力的にもきつくなってきた。


 このままでは相手を捕まえることができない。

 そう判断した俺は、わざと攻撃の手を緩めて体力切れを装い、隙を晒す。

 そして、それに食いついたガス爺が数歩ほど距離を開けたところで――


「――【影遊かげあそび】」

 

 奥の手を使った。

 


「ほう、オリジナルか」


 俺のオリジナル魔術――【影遊び】を前に、初めてガス爺の声に驚きの色が混じる。

 影遊びの発動で、俺の影が不気味にうごめくと、そこから無数の手がガス爺を捕らえるために伸びる。


 高速で迫る無数の黒手を前に、しかしガス爺は今までのように魔術を分解することはない。いや、正確にはできないのだ。

 なぜなら魔術の技術がいくら高くても、一度も見たことのない魔術の術式を分解することは不可能。

 影遊びは俺が編み出したオリジナルの魔術で、今のところ世界で俺にしか扱えない。つまり、いくら賢者であっても初見の魔術ということになる。


「捕らえろ!」


 ついに黒手の一本が相手の足を掴み、そこから蛇のように形を変えた影が相手の身体に巻き付いていく。

 さらにそこへ伸びた影が、次々に巻き付いたことで完全に動きは封じられた。


 掴み取った絶好機。 ここで決める――


「――っしゃオラッぁぁぁ!!!」


 ありったけの魔力を足に集中させ、ブルーライドで加速する。

 脚から吹き上がる蒼炎はまるで火竜の息吹のように燃え盛り、この日最速の一撃を可能にする。

 

「軽い運動のつもりじゃったが、なかなかに楽しめたのぅ」


 俺の拳が迫る中、しかしどこか余裕のガス爺はコロコロと笑う。

 そして、それを合図にしたかのように眼帯が溶けるように消え、寂しげに細められた瞳があらわになり、


「けれど残念じゃったのう、アクセル。ここはすでに――『精霊の森』じゃ」



   ◇  ◇  ◇



 あれからどれだけの時間が経過したのか。

 半日、それとも一日、いやそれ以上かもしれない。

 あのとき俺の拳は確かに相手の顔面を捉えた。けれど、攻撃を受けた瞬間、ガス爺の身体は木の葉になって散っていった。


 人であるガス爺が植物になるなんて通常ではありえない。

 おそらく最後に見た魔眼、そして『精霊の森』という言葉。そこに要因があるはずだ……。


「……にしてもさすがに、きつくな……って、きたな」


 俺は流れ出る汗を拭いつつ、飛んできた吹き矢を避ける。

 すでに身体にはさばききれなかった無数の矢が突き刺さり、矢じりに何か塗ってあるのか、体がしびれて徐々に動きを鈍らせていく。


「フフッ」


「フフフ」


 いつの間にか緑が深くなった森に、こだまする笑い声。

 姿は見えないが、何かが木陰からこちらをうかがう視線を感じる。

 けれど、攻撃しようにも相手に近づくと気配は遠ざかり、視認することすらできない。


「ッ! ……くそ、まだ……だ。ま、だ負けちゃいな……」


 限界が近づき視界がぼやける中、死角から放たれ一本の矢が右足をかすめた。

 さらにそれを好機と見て、一斉に矢の雨が降り注ぐ。なんとか迎撃しようと体勢を立て直そうとするが、もはや脚に力は入らず、そのまま崩れ落ちかけた俺の身体を――誰かが支えた。


「大した胆力じゃのう」


「……ガス爺?」


 俺を支えたのは、あれから一度も姿を見せていなかったガス爺だった。

 そして、不思議なことに身体に刺さっていたものも含めたすべての矢は、傷とともに跡形もなく消え去り、背後には見慣れた廃墟が夕日を受けてたたずんでいる。


 ……どうやら戻ってきたようだ。結局何が起きているのかすらわからず、手も足も出なかったな。


「……完敗、か」


「いやいや、その歳でここまで粘るとは……さすがのワシもびっくりしちゃったわい」


 そう言うガス爺は、どこか機嫌がよさそうだ。

 そして、いつの間にか元に戻っていた眼帯の上から魔眼を軽くさすると、その表情を真剣なものに変えた。


「――アクセル。お主、ワシと共に来んかの?」


「へっ……?  それって……」


 思わず間抜けな声を出してしまった俺に、ガス爺はにんまりと笑うと衝撃の言葉を続けた。



「ほっほっ。ワシの弟子にならんか、ということじゃよ」

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