第8話 紅闘鬼

 王都近郊の街道。

 主要な街道の一つであるこの場所は、普段ならのどかな雰囲気が流れ、積荷を乗せた竜車や魔石で動く魔道車が行き交っている。

 しかし今、その平穏は消え去り、この場は荒れ狂う殺意が渦巻く戦場と化していた。

 そんな戦場を駆け巡るのは――人の怒号、そして鬼たちの咆哮ほうこうだ。



「ミリア君、学生の君に頼ってばかりですまないね」


「いえ、大丈夫です! 私もムーちゃんもまだまだ余力はあります!」


「ムムーー!!」


 戦場の片隅。

 王国の紋章が施された軍服に身を包む軍人に守られる形で、制服姿の生徒たちが身を寄せ合う。

 その集団から一歩前に出た位置にいるミリアは、王国軍の回復魔術師たちと共に、負傷した兵士の治療に当たっていた。


 そしてそれだけではなく、戦場の上空には昼間にもかかわらず巨大な月が浮かんでいる。

 その現象の原因はミリアが発動した『タクティクスムーン』によるものだ。

 巨大化した月の化身――ムーちゃんは、忙しない様子で戦場にいる負傷した兵士に向け、治癒効果のある月光を浴びせかけている。


「それにしてもとんでもない数の闘鬼オーガだな……」 


「――副隊長! 一体そっちに行きました!」


「わかってる。――ハアァッ!!」


 迫りくる闘鬼に対して、生徒たちから悲鳴が上がる。

 そんな中、ミリアと話をしていた女性の軍人は、瞬時に相手との距離を詰め、魔力で強化した長剣を振り抜く。


「ガッ!? グ、ガァァ……」


「フッ!」


 振り下ろした剣を流れる動きで切り上げ、とどめを刺す。

 副隊長と呼ばれた女性は長剣についた血を払うと、背後に控えた兵士の一人に声をかける。


「念話の方はどうなってる?」


「魔道具と魔術、両方で何度も試みていますが……」


「妨害はまだ続いているか」


「……はい、突破にはまだ時間がかかりそうです」


「了解した。引き続き念話を続行、なんとしても妨害を突破しろ!」


「「「ハッ!!」」」


 兵士たちは副隊長の命令を受け、気を引き締めた様子で動き出す。




 数刻前、ミリアたち王立第一魔術学園の生徒が帯同した王国軍は、目的地に向けて魔動車で街道を移動していた。


 王都近郊のこの地域には通常、スライムやゴブリンなどの最低ランクであるFランク程度の魔物しかおらず、危険度の高い魔物はあらかじめ討伐されている。


 そのため、生徒だけでなく兵士たちの警戒度もさほど高くはなかった。そんな移動中の隙――そこを突かれた。



 王国軍は突如湧き出るように現れた闘鬼の集団によって奇襲を受ける。

 しかし、そこは王国の精鋭部隊。隊長たちを中心に難なく対処していくが、徐々に異変に気が付く。


 それは、魔物たちの数が一向に減らないことだった。

 倒しても倒しても、どこからともなく湧き出る敵、さらには念話での救援要請も何者かの妨害によって阻止される。


 精鋭部隊であっても相手はCランクの魔物である闘鬼。侮れる相手ではなく、徐々に兵士たちも消耗していった。


 そこで部隊は念話だけでなく、王都に救援要請の伝令を向かわせるため、部隊の隊長を中心とした少数精鋭での敵の包囲網を突破する作戦を敢行した。


 副隊長を含めた部隊の大部分は生徒たちの護衛に専念し、救援が来るまでの時間を稼ぐことにしたのだ。



 ――しかし、ここで更なる凶報が届く。



「ほ、報告! 戦場にて紅闘鬼を確認しました!」 


「何!? ここにきてAランクの魔物だとっ……!」


 青ざめた表情でやって来た兵士の報告によって、その場に動揺が広がる。


「……数は何体だ?」


「現在確認されているのは一体、ルイス隊長が交戦中です!」


「隊長なら問題ないだろうが……。王都への伝令はどうなってる?」


「先ほど無事に包囲網を突破しましたが、救援が来るにはまだかかりそうです……」


 忙しなく動いていた兵士たちも皆一様に作業の手を止め、報告に耳を傾ける。

 集まっていた生徒たちの中には、Aランクの魔物と聞いて恐怖で泣き崩れる者も出るほどだ。


 Aランクは最高位であるSランクに次ぐ高位ランクであり、隊長クラスであっても決して油断はできない相手だ。

 本来、Aランクの魔物を確実に討伐するならば、今回の遠征部隊規模の戦力を用意する必要がある。


 もちろんそれも兵士たちの状態が万全であることが前提であり、長時間の連戦で疲弊し、しかも周りにはまだ他の闘鬼も残っている現状では厳しい。


「軍レベルの念話を妨害、それにこの規模の戦力を動員できる相手、か…………」


 副隊長は今回の事件の裏で糸を引く者たちの正体、そしてその狙いに思考を巡らせ、しかしすぐに気持ちを切り替えると声を張り上げる。


「とにかく生徒たちの安全が第一だ! 救援が来るまでなんとしても持ちこたえ――」


「っしゃぁぁあ!! 三十体目ぇッッ!!」


「な、なんだこの音!?」


「おい、あれ見てみろ!」


「あれって…………闘鬼か?」


 副隊長の言葉の途中で起きた爆音に、兵士や生徒たちから困惑の声が上がる。

 遠くで聞こえたその重い打撃音は徐々に大きくなり、こちらに何かが近づいて来るのが分かった。

 そして、それと同時に空に向け次々と打ち上げられていく巨大な物体。それが闘鬼だと判別できる距離に来たとき、それは現れた――



「フゥーー! この辺のやつらはあらかた殲滅したぜぇぇ!」


「……完全にキマってる状態だね、テオ」


「あぁん? そんなこたぁねーよ! けどまぁ、ちょっと休んでくかぁ」


 鬼の巨躯きょくを打ち上げていた存在――テオは、『闘心鬼宿おにやどし』を発動した状態で現れ、自身を半眼で見つめるミリアに軽い調子で返す。


 制服には頭からかぶったように返り血が飛び散り、鋭く細められた眼光と相反して口角は吊り上がっている。

 ぜるようにたける金色のオーラ、頭部に揺らめく二本の角は陽炎のように揺らめき、見た者を威圧するその姿は、超越の存在である『鬼神』を連想させた。


「はい、ポーションだから飲んで」


「おう。で、そっちはどうなってんだ?」


「負傷者は出てるけど、幸いまだ命に係わるような重傷者は出てないよ」


 テオはミリアが投げ渡した魔力を回復させるポーションを受け取り、飲み口を親指でへし折ると、一息で中身を飲み干す。


「けど、紅闘鬼が出てルイス隊長が交戦中だって……」


「紅闘鬼っつーと、確か……Aランクだったなぁっ!」


「うっ……ただでさえ凶悪な目つきなのに、返り血で凶悪度が大幅アップだね……」


 Aランクと聞いて嬉し気な様子のテオに、ミリアは呆れ気味に首を振る。

 その間にも副隊長たちを中心に魔物の数を減らし、テオの活躍もあって敵の攻勢にも陰りが見え始めてきた。



「っし! 俺はとりあえず紅闘鬼とやらに挨拶かましてくるが……無理はするなよ」

 

「へぇー私の心配とは珍しいね」


「はっ、お前になにかあったら俺はアクセルに一生顔向けできねーからな」


 「そいつは勘弁だ」そう言って立ち上がったテオは、弾かれるように前方を見据え、好戦的な笑みを浮かべた。


「ん? どしたの?」


「どうやら、探す手間は省けたらしい」



 ――直後。

 ミリアは強大な魔力の流れを感じ取った。



 その魔力の流れは洗練という言葉とは程遠いものだった。

 荒れ狂う魔力の奔流ほんりゅう、そこに技といった概念は一切感じられず、ただただ力任せに放出されているだけだ。

 けれど、その暴力的なまでの魔力の量、そして質は、相対するものに絶望を与えるには十分過ぎるほどだった。


 この場にいる者たちの視線を集め、悠然ゆうぜんと歩を進める一体の鬼。

 通常の闘鬼よりもさらに一回り大きな巨躯、その腕にはめられた巨大な籠手は日の光を受けて鈍く輝く。

 そして、特に目を引くのは鬼型の魔物の特徴でもある頭角だ。見た者に禍々まがまがしい印象を与える捻じれた角は、獲物の返り血を浴びたように赤黒く染まっている。



 ――紅闘鬼ブラッディオーガ



 誰かがかすれた声でその魔物の名を口にした。

 それは怒号と咆哮が飛び交う戦場であっても嫌によく響くものだった。


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