第7話 かいしんのいちげき


「あの夜、私は月使つきしとしてあそこにいました」


「ツキシ?」


「大きな桜の木……あれが御神木なのはご存知でしょうか?」


「たしか、彩がそう呼んでいた気がするな」


「うん」


「御神木は、すべての村人にとって、神聖で等しく尊いもの……拠所よりどころなのです。皆が自己を成立させる為になくてはならないもの」


 彩はその言葉に頷いている。

 ……全然わからねぇ。


 とにかくあの木は村人にとって大切なもの。それだけは理解できた。

 けれど、


「ちょっといいか?」


「はい」


「それがツキシの説明なのか?」


「月使というのは……御神木のお供え物の当番のようなものです。役目はそれだけではありませんが」


「じゃあ、あの日は、供え物をする当番だったから、あそこにいたんだな」


「はい。御神木の下であなたを見つけました。雪が降っていて、あなたは全身濡れていて、冷たくて。口元から白い息が漏れていましたが、顔は真っ青でいまにも死んでしまいそうでした」


「それで?」


 俺が聞きたいのはここからだ。


「私はお供え物を確認して帰りました。……それだけです」


「ぇあ?」


 つい間抜けな声が出てしまう。

 詠は俺から視線をそらし、傍らに置いてある縄を見つめている。


「死にそうな俺を見つけて、その後は?」


「ですから、」


「んな説明で納得できるか」


 話にならない。


「じゃあなにか、死にそうな人間がいるのを見かけたのに、無視してそのまま放置して帰ったって言うんだな」


「……そ、それは」


「どうなんだ?」


 一同沈黙。

 皆、詠の言葉を待つ。


「……コホン」


 わざとらしく大げさに咳払いをしてみる。

 詠は明らかに何かを隠している。


 言いにくいことなのかもしれない。

 だからといって、こんな半端な説明では納得できない。


「御神木の下にいた桜居さんが、どうしてうちの近くにいたんだろうね」


「そうね」


「だよな」


 三人の視線が詠に集まる。


「……怒らないと約束してください」


「いやだと言ったら」


「帰ります」


「俺が怒るようなことをしたんだな?」


 潔白なら間違いなく否定するはずだ。

 わざわざ自分を不利な方向に追い込む必要なんてない。


「そ、それは言えません」


「したんだな?」


 立ち上がろうとする詠の頭を鷲づかみにする。


「まだ食べ終わってないだろ?」


「か、帰りますぅ~!」


 詠は手足をバタバタさせる。

 頭を押さえつけているから、立ち上がることはできない。


「せっかく彩が作ってくれたクリームコロッケも食わずにか?」


「きょ、脅迫ですかっ!?」


 そんな大げさなものでもないと思うが。


 ……それに、

 コロッケと天秤にかけられる程度の秘密なのか?


「なんとでも言ってくれ」


「ううっ……私は無実です。不可抗力なんです……」


 詠はようやく観念し、座りなおす。

 ひとまず逃げないようにコロッケが乗っている詠の皿を奪う。


「ああっ!」


「お・れ・に・な・に・を・し・た?」


「……あ、あの日、気を失っているあなたを見つけて」


「見つけて?」


「今にも死んでしまいそうで……」


「死んでしまいそうで?」


「雪の中で寝たら、死んじゃうって聞いたことがありましたので……」


 ちらちらと俺の顔色を窺いながら話している。

 追い詰められた小動物のようだった。

 第一印象とは雲泥の差だ。こちらが詠の地なのかもしれない。

 彩と沙夜は話に割り込もうとはせず、食べるのを止めて俺たちを見ている。


「私が揺すると、あなたは少し目を開けて……完全に起こしてあげないと、死んでしまうと思いまして……」


「思って?」


「みぞおちに……ちを」


「あ゛?」


「ですから、ぱんち」


「……」


 鳩尾にパンチ?


「……そっか」


「えっ?」


「親切でしてくれたことなら仕方がないよな」


「……」


「雪ん中で寝ると死ぬって、俺も聞いたことがあるし」


「そ、そうです」


「それに、眠った人間を起こすには、殴るのが一番だよな」


「ですよねっ!」


「……んな訳ねぇだろ」


「……ごめんなさい」


「ごめんで済むかっ!」


「……ごめんなさいです」


「ごめんなさいですで済むかっ!」


「でも、起こしてあげるつもりだったんです」


「逆に気絶したっつーの!」


「……うう、悪気はないんですよぉ」


「初対面だった人間に悪意を持たれてたまるかっ!」


「……だって、あのぱんち、かいしんのいちげきだったんですぅ……えぐっ……」


 ……り、理由になってねぇ。

 まあ、反省はしているようだけど。


「そんなものを、あの日、あの瞬間に出すな」


「人を気絶させたのは初めてなんです!」


「もういい喋るな。怒りが倍増する。初めてだろうが百回目だろうがどうでもいい」


「……ごめんなさいです」


 とりあえず、詠の手付かずのコロッケを掴んで口に入れる。


「あっ」


 もぐもぐと咀嚼そしゃくする。

 うむ、美味い。


「……ん? なんか文句でも?」


「そ、それ私の……」


「罰だ。これで勘弁してやる」


「反省してるのに……」


「そんなこと自分から言うことじゃないだろ」


「せっかく、縄まで持ってきたのに」


 傍らに置いてあったそれを差し出す。

 稲わらを重ね束ねて作られている、二メートルほどの丈夫そうな太縄だ。


「それなのに、沙夜さんたちに助けられた後でした」


「助けられた後?」


「はい。だから、あなたはこうして、沙夜さんの家に……」


「あの日から六日も経ってるのによく言えるな。そんなこと」


「六日?」


 俺の話に、驚きの表情を浮かべる。


「そうですか……」


「もういい。一応、助かったんだしな」


「……すみませんでした」


「いいって。それより、その縄で俺をどうするつもりだったんだ?」


 そのほうが気になる。


「え? それはもちろん、こうやってたすき掛けのようにして……」


 器用に自分の身体に縄を巻きつける。


「桜居さんを神社まで引きずろうと……なにかおかしいですか?」


「……なあ、沙夜」


「なに?」


「この辺のやつらは、みんなこうなのか」


「ん……。そうかもしれないわね」


「ダメだ……この村の人間どもは……」


「そんなことないよね、お姉ちゃん」


「みんないい人たちよ」


「ですよねー」


「お前が言うなっ!」


「あうぅ……桜居さん、怖いです……」


 こうして俺のド田舎ライフにアホ子がひとり加わった。

 結局、誰が俺を桜の木の下から移動させたのかは分からなかった。


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