一章 アオいハルの憂鬱 その1

 夜闇を殴り飛ばすような爆発だった。

 荒廃した路地の一角に突如として咲いた爆炎は、人一人を包み込むほどに膨れ上がり、確かな熱を帯びた爆風がいた空気を一息でけた。

 女はボンネットの上にあおけになっていた。望んでそうしていた訳じゃない。つい先程まで女は、四人組の暴漢に襲われていた。仕事帰りの路上でいきなり車の中に押し込まれ、街灯一つ無い路地の空き地で降ろされた。「ここは俺達のお気に入りの場所なんだ」と男の一人が言った。「ここなら誰の邪魔も入らない」と。

 そう言った男は今、アスファルトの上で白目をいて、仰向けに倒れている。男の衣服は正面から焼け焦げていた。つんと鼻を突く火薬の臭いが、煙と共に漂っている。

 一体なにが起こったのか。女は、記憶を辿たどるようにして首を動かした。

 まず暴漢達の姿が目に入った。先程まで彼らは仲間内でゲームでもたのしむかのように、女が必死で抵抗する様を眺めていた。弱肉強食の頂点にでも立ったつもりでいたのかもしれない。それが今では女と同様、非現実的な光景を前にぽかんと立ち尽くしている。

 それから、チャリンチャリン、と跳ね回る音にも気付いた。

 地べたに転がった男の周囲には、幾枚の〝銀貨〟が散らばっていた。財布の中身でも飛び散ったのだろうか。すると、視界の隅で『ピュゥ』と口笛が鳴った。まるで銀貨が跳ね回るのを歓迎するかのような、上機嫌な口笛だった。皆の視線が一点に注がれる。

 ヘッドライトの死角が生み出した陰の中に、その人影は立っていた。

 女は、ほんの数秒前のことを思い出していた。それが現れた時のことだ。

『コンバンワ。こんな時間に集まって、今日は誰かの誕生日なのかな?』

 犯罪行為のただなか、不意に割り込んで来たのは男の声だった。壁一枚隔てているようなくぐもった声だ。その人影はいつの間にか、路地の暗がりにたたずんでいた。

 予期せぬちんにゆうしやを暴漢達が歓迎するはずもなく、男の一人が人影に詰め寄った。

「見りゃ分かるだろ、取り込み中だ。分かったらさっさと消えろよ」

 爆発が起きたのは、その直後だった。人影と男の間で突如火の玉がはじけ、男を吹き飛ばしたのだ。人影の方は爆風にあおられながらも、口笛を吹き、平然と今もそこに立っている。

 タネも仕掛けも分からないが、その人影がなにかをしたと推測するには十分だった。

「っ、お前、一体なにしやがった!」

『いい余興だったろ。せつかくだから、キャンドルでもともしてやろうと思ってよ』

 人影の挑発的な態度を前に、暴漢の一人がナイフを取り出した。暴力を振るうことには慣れているのだろう。自分達に敵意を向ける人影に対して、男に躊躇ためらいはなかった。

「ふざけやがって! 手品かなにか知らねえが、ぶっ殺──ぶ、ぎゅ」

 言い終える前に、男の顔面が蹴り飛ばされた。男は三百六十度きりもみ回転しながら吹っ飛んでいき、スクラップの山に突っ込んだ。一切容赦のない鮮やかな飛び蹴りだった。

 人影は、男と入れ替わるように女の目の前に降り立った。いや、元人影だ。

 春もじき過ぎようかというこの季節に、その男は小豆色のコートを羽織っていた。

 肌色をのぞかせた部分と言えば喉元くらいのもので、それ以外にはなにかしらの装飾を身に着けていた。グローブにブーツ、そして頭にかぶせたフード。初めその表情が見えないのはフードを被っているからだと思っていた。だが、違った。

 男は、──〝仮面〟を被っていたのだ。

 さめの歯列を思わせるギザギザ歯の装飾が施された鉄仮面で、がんこうからは白い光が覗いている。ヘッドライトが暴き出した異様な姿に、女は思わず「ひっ」と悲鳴を上げた。

『おいおい、の顔を見てその反応はねえだろ。こんなでも傷付くんだ』

「……す、すみません」

 女がそう口にすると、仮面の男はクツクツと笑った。

 彼は手を差し出してくれるが、その手を取っていいものか判断に困った。彼の顔には、というより彼の被った仮面には心当たりがあった。彼が善人である保証はどこにもない。

 女がしゆんじゆんしてる間に、仮面の男は諦めた素振りで手を引っ込めた。

 直後、ガツン、と鈍い音が響いた。暴漢の一人が仮面の男の後頭部を殴ったのだ。

 仮面の男がふらりとよろめき、鉄パイプを手にした男の姿が続いて見えた。

 またしてもチャリン、と銀貨がアスファルトに跳ねる。それは仮面の男の頭部からはじけたように見えた。まるで飛沫しぶきのようだ、と女は思った。仮面の男はもうろうとしているのか、殴られた後頭部を押さえながらも、まず、地面に落ちたその銀貨に手を伸ばしていた。

 これは好機と、無防備な彼の頭上に再び鉄パイプが振り下ろされる、が。

『デリケートだって、言ってんだろ』

 仮面の男は、あっさりとその凶器を片手につかった。焦りの色が男の顔に表れる。仮面の男は立ち上がると、男の腕をひねり上げ乱暴に蹴飛ばした。それから奪い取った鉄パイプを放り捨てると、手の内がよおく見えるように両手を開いてみせた。

 彼が拾い上げた銀貨は、すでにそこには無い。

『俺は手品師じゃないが、そんなに見たいってんなら仕方ねえな』

 そしてパチンと指を鳴らした直後、男のポケットが爆発した。

 懐で途端に膨れ上がった爆炎にまれ、男は「ぶぐっ」と潰れたような悲鳴を上げた後、銀貨をらしながらドシャリと崩れ落ちた。

「ひぃ、化け物……ッ!」

 そこでようやく事態の深刻さに気付いたのだろう。残った最後の一人は、仲間を見捨てて一目散に逃げ出した。仮面にともった真っ白なまなしは、その背に向いている。

『タダで降りようったってそうはいかねえ』

 仮面の男は、キンッ、と一枚の銀貨をはじき出した。

 クルクルと回転しながら宙を駆けた銀貨は、やがて男の背中に追い付くと、仮面の男が指を鳴らすのに合わせて、爆発した。前につんのめるようにして吹き飛んだ男の背中からは、やはり幾枚の銀貨が弾け飛んでいた。

 まるでアクション映画の舞台に立っているかのようだった。テレビの中でしか見たことがなかった世界に、エキストラとして出演しているような感覚だ。

「なんだってんだよ畜生、一体……なにが」

 そういえばまだ一人残っていたな、と仮面の男が振り返る。

 声を漏らしたのは、顔面を蹴り飛ばされスクラップの山に激突した男だった。鼻が折れているのか、鼻から顎にかけて血が流れ落ちている。だが、銀貨は一枚もこぼれていない。

 きっと爆発していないからだ、と女には思い当たった。

『無事でなによりだ。伸びてるやつをボムるのは流石さすがに気が引けるからな』

「……はぁ? っ、ボムって……ちょっと待てよ!」

『こっちも仕事なんだ。まあ、カツアゲにでも遭ったと思って諦めてくれ』

「待ってくれ。金ならやる、財布ごとやる! だから」

 尻餅をついた格好で懇願する男に、仮面の男は一歩二歩と歩み寄って行く。どこから取り出したのか、彼は数枚の銀貨を手の内で弄んでいた。

『本気にするなよ。そういうことじゃない』

 仮面の男は男の胸倉を両手でつかげると、そのまま宙にげた。

「……頼む、命だけは!」

『金はいらない。俺が欲しいのはてめえの〝命〟だけだ』

「やめ──」

『ボンッ』と仮面の男が口で鳴らすのと同時、ボンッとしやつが膨らみぜた。

 男は宙に打ち上がり、弧を描いて地上に落下する。そしてその軌跡をなぞるように銀色の橋が夜空に架かり、ジャラジャラと銀貨の雨が降ってきた。

 降り注ぐ銀貨を迎え入れるように立った彼の後ろ姿は、この世界からひどく浮いて見えた。


 ──ねえ、知ってる? 最近この街に現れるっていう『カツアゲ仮面』のうわさ

 ──カツアゲって、そういうの今でもあるんだ。

 ──それが普通のカツアゲじゃないんだよ。カツアゲ仮面が奪うのはね、ヒトの命。

 ──それってただの人殺しじゃないの?

 ──襲われた人が言うんだから間違いないよ。カツアゲ仮面に命をられた、ってね。


『さあて、今日の収穫のほどはっと』

 倒れ伏した暴漢達には目もくれず、女にも背を向け、カツアゲ仮面はアスファルトに散らばった銀貨の前にかがんだ。それこそがなによりも優先されることなのだ、と。

 しかし、すぐに彼は大きくためいきいた。『あー、クソ』と舌打ちもした。

 彼が手に取った一枚の銀貨は、半分に欠けていた。他の銀貨もそう。焼け焦げていたり粉々になってしまっていたり。それらはやがて、灰となって風に溶けていく。

 恐らくは、彼の爆弾が銀貨をも砕いてしまったのだ。

 現金輸送車を襲うのにダイナマイトを投げつける強盗はいない。大切な積み荷までじんにしてしまっては元も子もないからだ。それでも、やるしかなかった。

 彼のつぶやきは、そういうどうにもならない不条理に対する嘆きのように感じられた。

 カツアゲ仮面は落胆に肩を落としながらも、浮浪者のようにくずやまあさっている。

「あのぅ」女は少し迷った末に、その背に声をかけた。

「……助けて頂いて、ありがとうございました。その、カツアゲ仮面、さんですよね?」

『「さん」はいらない。それに礼もいらない。あんたはただツイてただけだ』

 彼は女に目を向けると、僅かに顔をらした。その原因にはすぐに思い当たった。女は暴漢に襲われた際に乱れた衣服を整えつつ、言葉を続けた。

「それでも、あなたが来てくれなかったら、今頃どうなっていたか」

『そうだな。時すでに遅し、ってこともある。まあ、その辺の判断はあんたの自由だ』

 彼はそう言って、灰と銀貨とを振り分ける作業に戻った。目的はあくまで銀貨なのだ。

 このまま立ち去ってもよかったのだが、好奇心が恐怖心に打ち勝った。以前同僚から聞かされた都市伝説が目の前にいる。ただ別れてしまうのは惜しい、と思ったのだ。

「ところでそれ、一体なんなんですか?」

『それ? ああ、これな。チップだ』

「チップって、運転手とかホテルの人に渡す、あのチップですか?」

『ギャンブルとかで掛け金の代わりに支払う、あのチップだ』

 冗談なのかそうでないのか。彼の表情は表に出ないから分からない。

 そこで、パトカーのサイレンが聞こえた。距離は遠いが、こちらに近づいて来るようだった。彼は厄介そうに舌打ちすると、コートに付いたすすを払って立ち上がった。

『時間切れか』そう呟いた彼の手のひらには、両手いっぱいに銀貨が載っていた。

 一体どうするのかと見ていると、彼はそれを、口の中へと放り込んだ。ただの装飾だと思っていた鉄仮面の口が開き、フレーク感覚で銀貨を平らげると、再びガキンと閉じた。

 女がぜんと息をむのを見て、カツアゲ仮面はニヤリと笑った。気がした。

『ヒトの命』

「えっ?」突然の言葉に女は目をしばたたいた。

『さっきの答えだよ。ふざけた話だろ、まったく』


「災難でしたね」と女性警官が背中をでた。女はブランケットを肩に羽織って、路地の隅に座り込んでいた。カツアゲ仮面が立ち去って間もなくして、警察が到着した。

 救急車の姿もある。ストレッチャーに乗せられた男達が運び込まれている。彼らは負傷こそしていたが、命に別状はないだろうとのことだった。暴漢である彼らが病院のベッドに運ばれる一方で、自分だけが事情聴取を受けるのはいささか不公平な気がしてならない。

「あなたが見たのはこの人物で間違いない?」

 スーツ姿の女性がそう言った。彼女は自らを、あさ警察署の警部だと名乗っていた。

 警部が開いて見せたのは、交番に貼られているような手配書のポスターだった。そこに描かれていたのは、先程見た仮面の男に相違ない。どうりで顔にも見覚えがあるはずだ。

「あの人は一体、なんなんですか?」

やつらは《フォールド》よ。聞いたことない?」

「それは、知ってますけど。仮面をかぶった異形の犯罪者、ですよね……でも」

「それが全てよ。ヒトを襲う怪物。それだけ分かっていれば十分」

 それから警部は礼を口にした後、「彼女を送ってあげて」と指示を出して離れた。

 警部の周囲には人が集まっていた。防護スーツにヘルメットといった無骨な装備で身を固めた集団だ。両手に持っているのは自動小銃だと分かった。本物を見たのは初めてだが、遠目にもその重量感が伝わってくる。当たり前だが、拳銃よりも大きい。

「安心してください。後は特務課が引き続き対応しますから」

 窓の外を眺めていると、運転席の女性警官がそう言った。女を乗せたパトカーは自宅へと向かっている。随分と遠回りしたものだ。まだ夢の中にいるような気がしている。

「あの人は……《フォールド》は、どうしてヒトを襲うんでしょうか?」

「それはまだ調査中です」と女性警官は答えた。十四年前からそうじゃないか、と言葉が出かかったが、彼女を非難したところで意味はないと思い直した。

 後部座席の背もたれに寄り掛かる。すると、コトンと何かがシートに落ちた。それは一枚の銀貨だった。いや、チップだったか。どうやら衣服の中に潜り込んでいたらしい。

 恐る恐る手に取ってみると、なんの変哲もないただの硬貨だと分かる。

 五百円玉よりも大きいハーフダラーサイズ。表面にはその価値を示す値も絵柄もなければ、裏表もない。銀色の塊だ。ゲームセンターのメダルの方がよっぽど華がある。

『ヒトの命』彼は去り際にそう言った。命を奪うというようなことを言った割には、暴漢達は生きている。彼が求めた命とは結局なんだったのか。

 運転席の彼女に尋ねてもいいが、きっと「調査中」の一言が返ってくるだけに違いない。

「……カツアゲ仮面、か。どっちかと言えば、爆弾魔だよなあ」

 手のひらに載せたチップは、いつの間にかサラサラとした灰に変わっていた。灰の中から銀をあさる彼の後ろ姿を思い出し、か、申し訳ない気持ちになった。

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