一章 アオいハルの憂鬱 その2

   * * *


 はるは不良だ。自らそう名乗ったことはない。客観的な印象の話だ。

 昔から目つきが悪いとは言われた。特に、気に入らないことがあるとすぐに眉間にしわが寄った。それが余計反抗的に映ったのだろう。「生意気だ」と上級生に絡まれることもあれば、「なんだその態度は」と大人げない大人の機嫌が悪くなることもあった。

 殊勝な態度、というのは春樹が最も苦手とする分野だ。にらまれたら睨み返すし、殴られたら殴り返す。けんやいざこざは日々絶えなかった。

 自身を省みる機会は何度かあったに違いない。しかし春樹の場合は、まるで引力に足を引っ張られるように道を誤り続けてきた。実際、そういう引力はあったのかもしれない。

 春樹が傷害事件を起こしたのは、中学三年の頃だ。取り立てて世間の関心を引くほどのものではなかったが、テレビでも報道はされたし、地方新聞の片隅にも載った。

 十四歳の少年が鉄パイプで中年男性を殴った、と。

 幸いなことに春樹の側に正当性はあった。殴ったのは、殴られて当然の悪党だったからだ。頭を十針ほど縫ったその男は刑務所に入り、春樹は少年院に放り込まれずに済んだ。

 だが不幸なことに、春樹には後遺症が残った。顔の半分を覆う火傷やけどの痕だ。

 どうやら男は人の身体からだを薬品で焼くのが趣味だったらしく、その悪趣味な拷問現場に居合わせた春樹は、予想外の反撃に遭い火傷を負ってしまった。

 ジュウ、と。よく火の通った鉄板に油を引いたようなあの音は、今でもたまに思い出す。

 そして泣きっ面に蜂とでも言うべきか、その火傷は名誉の負傷とは呼ばれなかった。

 どちらかと言えば春樹の暴力性を象徴する向きが強く、「触るな危険」という意味の目印にもなった。うわさばなしには尾ひれが付くものだが、春樹が負った火傷はそれなりに想像力をてるようで、当人そっちのけで幾つものエピソードがでっち上げられたほどだ。

 鳥羽春樹は不良だ、というのも幾つかある語り出しの一つに他ならない。

 もしもあの日火傷を負ってさえいなければ、今頃はもっと違う何者かになっていたのだろうか。自分がお茶の間のヒーローとなっている光景を、ぼんやりと想像してみる。

 よくぞ悪党を殴ってくれたとたたえられ、生まれて来る子供達にはこぞって「春」の名が与えられ、使用済みの鉄パイプに高値がつく。そんな未来もあったのだろうか。

 いや、ないな。とすぐに妄想を振り払う。歓声に手を振り返している自分などはやはり想像出来ないし、そんな世界は考えただけで気味が悪い。

 ツイてなかった。十六年余りの人生を振り返る言葉は、これだけで十分だ。

「申し訳ございませんが、期限切れですね」

 スタッフの男は恐縮し切った顔でそう答え、「申し訳ございません」とまた言った。

 放課となった帰り道、はるみのゲーセンを訪れていた。そういえば最近ご無沙汰だったなと思い立ち、同級生のすいなつを連れて寄ったのだ。

 数あるゲームきようたいの中でも、春樹は特にメダルゲームを好んだ。

 メダルを元手にメダルを稼ぐ。万年金欠に悩まされる一般高校生にとって、このシステムは実にコスパがよかった。最後に現金をメダルに換えたのは一年以上も前の話だ。

 会員カードをメダル専用のATMに差し込み、取り出し口にバケツを置いて待つ。すると吐き出されたのは会員カードだけで、画面には「スタッフにお声掛けください」とエラーが表示されていた。そしてその通りにすると、謝罪された。

「どうにかならないか。結構まってたはずなんだよ。あれは俺の青春そのものだ」

「て、店長に確認してみます」

 なにをおびえているのか、彼は逃げるように去っていく。ややあって、店長らしき人物を連れて帰ってきた。店長は春樹を見つけるなり「ああ」と納得した顔になった。馴染みの常連客に対する歓迎ムードはなく、要注意人物の客が来たぞ、という「ああ」だ。

「お客様には大変申し訳ございませんが、お預かり期限を過ぎてしまったメダルはお戻し出来ない決まりになっておりまして。申し訳ございません」

 何事だ、と周囲の視線が集まっていることに気付く。はるが辺りを見渡すと、何事もなかったかのように誰もが目をらした。もはや見慣れた光景だ。

 どうしたものかと頭をいていると、「……ハル……」と袖を引かれた。

 隣を見ると、ピンク色の派手な髪をした頭が肩の辺りにあった。なつだ。れんのように眉にかかった前髪から、彼女は上目遣いに春樹を見上げていた。

 小夏の唇はかすかに動いていたが、店内の騒々しさに負けて耳まで届かない。それでも、彼女が言わんとしていることは分かった。もう許してやれよ、だ。

「分かったよ。じゃあ、更新していくよ」

「ありがとうございます。あ、でも……、更新されても消失したメダルはお戻し出来ませんが、それでもよろしかったでしょうか?」

「それでいい。良くはないけど、また一からめなおすさ」

「申し訳ございません」と店長が言うのに重ねて、スタッフの彼も続けた。もしかすると彼らは親子なのではなかろうか。口癖が同じだ。

 手続きの間、スタッフがチラチラと顔の火傷やけど痕をうかがうのが不愉快ではあったが、カードの更新自体はすぐに済んだ。それでもこのまま遊んでいく気にはどうしてもなれず、適当に店内をうろついた挙句に出口へと向かった。

 小夏は黙って後ろをついて来るだけだったが、視線はあちこちと彷徨さまよっていた。そして「……あっ……」と、UFOキャッチャーが屋台のように並んだ区画で足を止めた。

「なんだ小夏、なんか欲しいのでもあったか?」

 小夏の視線を追ってきようたいのぞると、目当てはフィギュアなのだと分かる。フックで箱を引っ掛けて落とすタイプのやつだ。ディスプレイ用の見本が飾られている。

 それは何かと見てみれば、真っ赤なタイツを着た覆面のヒーローだった。

「ブレイズマン、ね。お前まだこんなの集めてんのか」

 特別フィギュアを毛嫌いしている訳でも、ヒーローを敵視しているつもりもなかったが、自然と眉間にしわが寄った。台所でゴキブリを見つけた時と似たような心境だ。

 それに気付いてか、小夏は取り繕うように首を振った。それでも筐体を離れるとき未練がましく振り返っていたが、春樹は気付かないフリをして店を出た。


 もうじき梅雨の時期がやって来るが、外はまだ肌寒い。

 春樹の通うとう高校では六月に入ると同時に衣替えが推奨されていたが、ブレザーを置いて出歩くぐらいなら、家に引き籠っていた方がマシかもしれない。

 スカート丈の短い女子高生三人が、身を寄せ合いながら歩いてくる。

「昨日も出たんだって、カツアゲ仮面」

「知ってる。夜道でOL襲ったって話でしょ。怖いよねー」

「怖い怖い」と身震いしながらも、きゃいのきゃいのと楽しそうだ。しかしそれもはると目が合うや否や、さっと顔を伏せ、そそくさと目の前を通り過ぎて行った。

「……ハル、怖い顔してる……」

「生まれつきこんな顔だ」

 冗談のつもりだったが、なつはバツが悪そうな顔をする。何かフォローしなくてはと頭を働かせ、結局それは言葉にならなかったようで、思い出した素振りで口を開いた。

「……それより……」

「それより、かよ」

 聞こえなかったとばかりに小夏はスマホを開き、画面を見せてくる。待ち受け画面には友人と撮った写真と、時計が映っている。約束の六時にはまだなっていない。

「そう焦る必要もねえだろ。時間ならまだある。久しぶりに寄り道する余裕が出来たんだ、他に行きたいとこはねえのかよ」

 少し考えるような沈黙があった後、小夏は首を横に振った。それは良くないことだ、と自分に言い聞かせているようでもあった。

「分かったよ。行けばいいんだろ、行けば」

 小夏はこくりとうなずいた。彼女は口数こそ少ないが、自己主張だけは怠らない。イエスなら首を縦に振り、ノーなら横に振る。しやべるのはいつだって春樹の役目だ。

せつかくのリフレッシュ休暇だってのに、真面目なやつだ」

 寄り道に向いていた足を、春樹は渋々ながらに方向転換する。

 春樹はとある人物と会う約束をしていた。友人との待ち合わせというよりは、バイトの面接や試験会場に向かう前の心境に近いが、これほどまでに緊張する瞬間を他には知らない。月曜を翌日に控えた日曜日ですら、ここまで憂鬱な気分になることはあるまい。

 まだ時間はあるよな、と無意識の内に時計を見てしまう。

 そうして歩き始めた矢先、「きゃああッ!」と悲鳴が耳に突き刺さった。あまりに唐突だったためにビクリと肩が跳ね上がる。隣では小夏も小動物染みた仕草で跳ねていた。

 二人は顔を見合わせ、しかし小夏の行動は早かった。「おい、待て小夏!」

 小夏は春樹が止めるのも構わずに、悲鳴がした方へと駆け出していた。

 小夏のあとを追っていくと、路上にはすでに人だかりが出来ていた。事故だろうか。彼らの視線の先には女生徒が一人うつ伏せで倒れていて、その友人らしき二人がしきりに声を掛けている。彼女達の顔には見覚えがあった。先程すれ違ったばかりの女子高生達だ。

 誰かが「通り魔だ!」と叫んでいた。事故ではないらしい。事件だ。

 女生徒の背中は真っ赤に染まっていた。制服にはけに斬り傷がついており、斬り口からは血があふしている。ナイフや包丁で斬りつけたとは到底思えない深い傷だ。

 白昼堂々、刀を振り回す危ない奴でも現れたのか? 人だかりが騒がしくなる。

 その中ではるは、チャリン、と何かが転がる音を聞いた。それはコロコロと転がって、春樹のつま先に当たって止まった。拾い上げてみると、それは一枚の銀貨だった。

「……なつ、こっから離れるぞ」

 嫌な予感があった。不穏な風、なるものが存在するかは分からないが、その時は確かに嫌な風が吹いていた。物陰に潜んで獲物の背後に忍び寄るような、狩人かりうどの気配だ。

 小夏はうまとなって、女生徒を心配そうに見下ろしていた。スマホを取り出し、どこかに電話しようとしている。一一九か、一一〇か、どっちにかけるべきか。もしかしたらすでに他の人がかけているかも。でも、かけてなかったら。もしもつながったとして、ちゃんとしやべれるだろうか。早くしないと。そうだ、ハルなら。

 小夏が春樹を振り返った直後、ピィィイ、と甲高い風の音が鳴った。

「小夏!」それが〝なに〟か、などと確かめる余裕は無かった。ただ予感に突き動かされるままに、春樹は小夏を突き飛ばした。追い風が背中をでたと思った瞬間、グシャッ、と春樹の背中から飛沫しぶきが飛び散った。「……ぁっ、ハル!」

 むちたたきつけられたような鋭い痛みと、バットで殴り飛ばされたような衝撃が背中を襲った。春樹はその勢いのまま宙にばされ、風にあおられるままに地面を転がった。

 悲鳴は周囲からも上がっていた。見れば他にも数名、血を流してうずくまっている者がいる。

 こちらに駆け寄って来る小夏の姿が見えた。どうやら彼女は無事のようだ。

 小夏は春樹のそばかがんだ。そしてその背中に現れた斬り傷を見て「あっ」と青ざめていた。背中の傷を自分で見ることは出来ないが、どうなっているのかは痛みの具合で察しがつく。女生徒や野次馬連中と同じ。通り魔に斬られたのだ。

 だくだくと血が流れ落ち、ブレザーに染みを広げていく。それと共に、背中の傷口からは数十枚の銀貨がこぼちる。辺りを見渡すと、皆一様に傷口から銀貨を零していた。

「……ハル、それ……チップ……」

「あー、ったく。身体からだからこんなもんが湧いて出るなんて、本当に馬鹿げてる」

 人々は血と銀貨とが散らばる惨状にパニックに陥っていた。当然の反応だ。この状況に慣れきっている者がいるとすれば、そいつこそが異常なのだろう。

 通り魔だなんだと人々が狼狽うろたえている中、春樹は人目を盗んでチップに手を伸ばした。

 その時、またしても風が吹いた。

 思わず身構えたが、その〝風〟の目的はヒトを傷付けることではなかった。地面に散らばっていた幾枚のチップが、〝風〟にすくられて、宙に舞い上がったのだ。

 春樹は野次馬と同様に空をぽかんと見上げた。銀貨の群れが空に漂う光景は、さながらイワシの回遊でも眺めているようだった。いや、眺めている場合じゃない、と頭を振る。

「冗談じゃねえ、逃がすかよ!」

 春樹は慌てて跳ね起きると、はるか上空を泳ぐチップの群れを追って駆け出した。

 ガードレールを跳び越え、車道を突っ切って走る。チップはビルの合間を右へ左へとくぐけ、手の届かないところに逃げて行く。空を泳ぎ回る魚群を捕らえるのは想像以上に困難だった。そして幾つか角を曲がった先で、あっさりと見失ってしまった。

「クソッ」空を見上げてみする。少しの間、はるぼうぜんとその場に立ち尽くした。

 歩いて現場に戻った頃には、すでに救急車も到着していた。パトカーも来ている。

 警察が到着するのにかかる平均時間はおよそ五分だそうだ。それが早いのか遅いのかは分からないが、この場に限って言えば「遅かった」ということになるだろう。

 正体不明不可視の通り魔は目的を果たし、まんまとおおせてしまったのだから。

「……ハル……!」なつは、春樹の姿を見つけるなり跳び付くくらいの勢いで出迎えてくれた。心配した、と表情で訴えてくる。

「……背中、大丈夫……?」

「心配すんな、これくらいの傷なら平気だ。、ほら」

 そう言って春樹は小夏に背中を向けた。うそではなかろうか、とおっかなびっくりで小夏が傷痕に触れる。とはいえ、今は痕すら残ってはいないはずだ。

「だが、制服まではどうにもなんねえな。お袋にどうやって説明したものか」

 脱いだブレザーを正面に広げてみると、ぱっくりと引き裂かれた斬り口があり、その周囲が真っ赤に染まっている。それこそが実際にこの身を裂かれた証明と言えるが、だからこそれいさっぱり傷口が塞がっている事実をなんと説明すればいいものか。

「かまいたちだよ。最近うわさになってるだろ。かまいたちがやったんだ」

 警官に事情聴取されている男が、そう口にするのが聞こえた。通り魔なのかかまいたちなのかはっきりして欲しいものだ。しかし『かまいたち』と聞いて、自分が何に襲われたのか合点がいった。分かったところで、失われたモノは返ってこないが。

「それより、だ。厄介なことになった」

 春樹は頭をガリガリとむしり、これからのことに思考を傾ける。

 小夏は、いまだ春樹が傷を負ったショックから立ち直ってはいなかった。これ以上の事があるのだろうかと不安そうな顔で、春樹を見上げた。

やつに支払う分の〝命〟を奪われた」

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