第29話 気付くな(1)

 笹川は自分の部屋に山田だけを招いていた。普段ならば袴田や小野も招待して4人であれこれと話すのだが、今回は違っていた。なぜならば、彼がこれから話そうと思っていることは、事前知識のない者にとっては荒唐無稽に聞こえるからである。少なくとも笹川はそう思った。


 リビングには腰丈ほどの本棚が置かれており、そこにはライトノベルが数タイトル分と、文芸部の体を装うために有名な文豪たちの作品が並べてある。一部に不自然な隙間が空いているが、いずれにしても笹川にとってその本棚は飾りであった。彼は専らラノベを電子書籍で読んでいた。


 「最近、あの、何かしようと思って、ラノベを読んでいるんだけれどさ」

 ためらいがちに笹川は話を始めた。視線が彷徨って正面の山田を捉えられていない。山田はそれに気が付かず、「あ、うん」と生返事をした。

 「あ、『エターナル・ローグ・オンライン』っていうタイトルなんだけど、知っている?」

 笹川は頬を掻きながら無理に明るい声を出した。当然これも本題ではないが、一足飛びに踏み込むことはできなかった。


 「うん。いわゆるVRゲームものだよね」

 山田はそうした挙動不審ぶりも露知らず、上を向いてどんな話だったのかと思い出す。

 「主人公がその仮想世界から出られなくなって、冒険したりバトルしたりって感じの」


 「そうそう、アニメ化も映画化もしたラノベでね、そのジャンルの中では特に有名なんだけど……」

 笹川は表情を明るくすると思わず言葉に熱を込めた。目の前の人物が、これから話そうとすることの予備知識を持っていて、さらに、好きな話である。しかし――。


 彼はゴクリ、と唾を飲んだ。

 「じゃなくて、その、馬鹿馬鹿しいかもしれないけれども、僕たちが今いるここって、その……仮想世界なんじゃないかな……。だって、『ににぉろふ』とか、現代の科学を超えていない?」


 山田はスッと息を吸って目を大きく開き、止まった。笹川は背を丸めてその様子を窺っている。お互い、1秒を長く感じている。


 「そう……だよね」

 山田は溜めた息に乗せてそう答えた。彼もまた、そういうことがあってもおかしくないかもしれないと思っていた。

 「超最先端の技術だったとしてもここのシステムって物理法則を無視しすぎているし。可能性、なくもないと思うよ」


 「良かった……、ありがとう……」

 笹川が体の力を抜いて山田を見つめると、照れ混じりに「現実にそんなことあるはずないけれど、今のありえない状況を説明するには……」と説明が返ってきた。


 「それで、そういうとき、ゲームから脱出するにはコールすればいいんだけど……、ログアウトって言ってもダメだったんだ。他に何かいい言葉ないかなって……。その、本当に試しに、だよ?」

 馬鹿馬鹿しいことであると笹川自身で思っていても、このゲームが始まってからのことをそれらしく説明するにはその仮説は当てはまりすぎていた。

 しかし、独力でゲームから脱出しようと試しても結局上手くいかなかった。成功すれば正しいと証明できるが、失敗しても間違っているとは限らない。やり方だけが間違っている可能性もある。


 「笹川君が言っていない言葉……、えーっと、メニュー、ステータス、オープン……。あ……、もしかして、スマホに向かって行った方がいい?」

 「その可能性はあるかも……」


 山田はスマホをポケットから出してテーブルに置いた。画面が明るくなり、アプリの一覧が表示される。彼はぼんやりと映る自分の輪郭に向かって話しかけた。

 「メニュー、ステータス」

 しかし、反応はない。数秒待っても心臓の鼓動が激しくなっただけである。


 「あとは……、ログアウト、サインアウト、ゲーム終了……」

 今度は笹川が自分のスマホに向かって言葉を投げかけた。目の前の景色は変わらないし、特殊なサウンドが聞こえることもない。


 上手くいくはずがないと知って始めたことでも、いざ言葉を口にするとその直後に一抹の希望を持ってしまう。しかし上手くいかない。彼らはその分、次の言葉に一層の期待を込めてしまっていた。


 「ログアウト……ログアウト! サインアウト!」

 「ホーム! アカウント!」

 何も起こらない。

 「ゲーム終了! 設定!」

 「終了! 離脱!」

 何も起こらない。

 「システム! コンフィグ!」

 「Qy@! ユーサネージャ!」

 何も起こらない。

 彼らは思い思いにそれらしい言葉を叫んだ。一度堰を切ったら止まらなかった。


 それでもやがて醒めるものである。2人はどちらともなく黙ってしまった。静寂に耐え切れなくなった笹川の乾いた笑いが響いた。

 「本当にもしかしたらだったし、実際、ここが現実なことに変わりはないのかな」


 その寂しげな様子を見かねた山田は膝の上に手を乗せて俯いた。

 「でもさ、ここが仮想世界だったとして、今、僕らの肉体はどこに置かれていると思う? こんなオンラインゲーム聞いたことないし、僕は学校が休みだったけど……」

 彼は顔を上げた。

 「その、笹川君もみんなも学校にいたんだよね」


 「うん」

 笹川は自分の最後の記憶を思い出した。


 「だから、みんなをVRゲームに接続させるには、気絶させて、誘拐しないと難しいと思うんだ。だって学校だったら周りに人がいるから、止めるはずだし」

 山田は笹川、と言うよりもその間にある机に向かって話しかける。

 「と言うことは僕たちの肉体のある場所って、絶対黒幕がいるよね。だから、敢えてログアウトしない方が安全なのかもしれない、って」


 「そう、かもね……」

 笹川は小さく笑った。彼らはそう考えることで意識を逸らしていた。自分が死ぬかもしれないこと、自分が誰かに殺意を向けたこと、これからも向けること、それらから犠牲者の末期……。


 「ニニィはこのゲームが終わったら記憶以外は元に戻るって言っているし、一瞬って言っていても多少のラグはあると思うけれども、クリアすれば無事に帰してくれると思う」

 半ば自分に向かって山田は呟いた。


 「クリア、すれば……」

 「うん……」

 すれば、と彼は言ったが、実際はできれば、である。

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