第28話 考えろ(1)
ミーティングを終えた後、袴田は独りで寝るまでの時間を過ごせそうになかった。静かな部屋に独りでいるとどこかの死角から人の影が現れるように思えてしまう。動画や音楽でその静けさを埋めきることはできず、寒さを覚える。彼女はどうしようかと考えて、部屋に戻ってすぐ「7SUP」で栗林に連絡を取った。
連絡をもらった栗林も似たようなものに溺れかけていた。彼女は袴田の問いかけにすぐに返事をして、袴田の部屋を訪れた。
「こんばんは。急にごめんね」
「いえ、こちらこそありがとうございます」
「うん、こっちこそ。あ、座って」
「あ、はい」
同じグループにいても特別話すこともない彼女たちは形式的な挨拶を交わしたあとで、次の話題を提案できなかった。共通のトピックこそあるが、それを遠くへやるために一緒にいるわけである。声に出すことはなかった。
「何か飲む? ココアでいい?」
「はい。ありがとうございます」
袴田が「ココア2つ」とスマホに向かって言うと、テーブルの上にパステルカラーのマグカップに入った優しい湯気の立つココアが出現した。
彼女たちはそれを飲みながら、どちらから話すと言うこともなく、無言のままであった。ただ誰かといるだけで彼女たちへにじり寄る何かは現れない。「ににぉろふ」で血の通ったものを出すことはできないから、接触非接触に関わらず、いわゆる温もりを感じるためには参加者同士で何とかするしかない。
しかし、無言が続くことに栗林は何とも言えない苦しさを感じた。普段自分の部屋で大人しくしているときとは違って温かみがあるのだが、その分相手を心地よくしなくてはならないと思わずにはいられず、座っているところがむず痒く感じた。
(袴田さんは悪い人じゃなさそうだけれど、他人の部屋って落ち着かないというか、緊張するというか……)
その気まずさを何とかしようと彼女はリビングにある物から会話のきっかけを探し始めた。
(ルームランナーと、筋トレの道具? 私、運動は苦手だし……、多分聞かれても話せない。他のも大体私の部屋と同じみたい……。使い心地を聞くのは変だよね? あと、置いてあるのは……)
あまり部屋をじろじろと見るのも不作法であるから、彼女はなるべく首を動かさないようにして、見える範囲にあるものからあれこれと考える。袴田はゆっくりとココアを飲む以外、テーブルに目を落としていた。だから栗林がキョロキョロとしていることを気にしていなかった。
(こんなことならさっき来た時にもう少し見ておくんだった……。あっ、あれ……)
「あ、あの……、ワンちゃんのぬいぐるみ、かわいいですね」
栗林は棚の上を指差した。角を丸くデフォルメされた黒い柴犬のぬいぐるみがティッシュ箱の傍らにさりげなく置かれている。
「あ、うん」
袴田は指を差した方を向いた。どこか陰のあった表情が自然にほころんだ。
「ありがとう。同じ犬種のコをうちで飼っているから、寂しくなって、『ににぉろふ』で出したんだ」
(よかった)
栗林はその微笑みにつられて、ほっと緊張が解けた。
「お名前は、なんて言うんですか?」
「モモ、だよ。名前通り女のコで今は3歳。散歩が好きでよく一緒に走っていたんだ」
飼い犬のことを説明する袴田の表情は明るくなっていく。
「他にもね、あのコ、引っ張り合いが好きで、こうやってロープで――」
両手で何かを掴むジェスチャーをすると、それを前後に動かしながら説明していく。
「やるんだけど、負けてあげるとすごく喜ぶんだ」
「かわいいですね、甘えんぼなんですね」
「うん。うちのコは、あの子……西堀さんみたいな感じかな」
妙な空気が流れた。
そう親しくない他人を犬に似ていると言ったためではない。飼い犬の性格を説明するのにグループ外の目立たない人を例えに使ったことが不自然であった。何故、彼女を例にとれるほど人となりを知っているのか? 必要以上に親しくしているのではないか? そう思われてしまうのではないか? 2人の頭によぎった。
「そのね、変な意味じゃなくて」
袴田は頬を薄い桃色に染めると手を小さくブンブンと振った。
「ほら、今日、話し合いの前に、たまたま2人が目の前に座っていて、西堀さんは結構、あの男の人……柘植さんの真似をしていたんだ。柘植さんが顎を触ると西堀さんも触ったり、スマホを見ていたら覗き込んだり、背筋を伸ばしたら同じようにしたり、それがうちのコと似ていて……」
そして、「ごめんね、なんか変な話で……」と付け加えた。
「あっ、大丈夫です」
栗林は慌ててフォローした。疑っていたように見えていたかもしれない。
「あの子、もしかしたら私の飼っている猫にも似ているかもしれないです。柘植さんといつも一緒にいるけれど、つかず離れずで、自分から積極的にいかないっていうか、構ってほしくてウロウロしているのかな、って感じが……。あの、猫って足元まで来るけれど、じゃれてくることってあんまりないし……」
話しているうちに変に感じた栗林もまた顔を赤くして「あの、例えば、ですよ……」と付け加えた。
「あ、それ分かるよ。友達の家の猫ちゃんもそんな感じだよ」
袴田は背もたれから完全に離れると目を優しく光らせた。
「栗林さんは猫、飼っているんだね。どんなコなの?」
「あ、ショウコって名前の、女のコです。胡椒みたいな模様だから、コショウって呼んでいたんですけど、いつの間にかショウコって言わないと拗ねるようになっちゃって、そんな名前になっているんです」
栗林は顔を柔らかくした。
「膝の上に乗ってくることはないんですけど、乗せても嫌がらないし、そうじゃないときも、ふと見ると、こっちを見ているんです。そこが可愛いんです」
「栗林さんは動物、好き?」
「はい、大好きです。袴田さんもですか?」
お互いに探り合う体を取っていながらも、共通の話題を見つけられたという喜びが2人の顔に表れている。
「うん。動物の動画、Y○utubeとかでよく見ていたよ。ここだと……ほら、再生できないから、市販のDVDの映像だけど……」
「あっ、そうすればよかったんだ……」
栗林は思わず呟いた。そしてその恥ずかしさをごまかすようにずい、と距離を詰めて「あの、オススメとかありますか?」と尋ねた。
「あ、うん。これとかかな」
袴田がスマホをポケットから出して何度か操作し、テーブルの上に置いた。画面にはどこか外国の街中とアヒルの親子が映っている。親鳥が歩く後ろを雛が一心に追いかけている癒される光景だ。
(あ、これかも。西堀さんって……)
栗林は先の会話に引きずられてそう思った。しかし、今度は口に出さなかった。
「わぁ、かわいい」
「だよね。他にも――」
栗林と会話をし、DVDを見て何とか恐怖を塗り消すことができた袴田は、その間に眠りに就くことにした。ベッドに潜り込むと安心する。常夜灯の橙色が照らしきれない闇も怖くない。袴田はもぞもぞと掛布団の位置を変えて、眠りに落ちる寸前、不意に頭をある疑問がよぎった。
(あの子の仕草って、うちのコもしていたけれど、どういうときだっけ?)
心地良いベッドは彼女を眠りに誘い、直前の記憶を溶かした。だからそれが、散歩中、他の犬が彼女に近づこうとしたときに見せるものだと思い出すこともなかった。そしてそれが他の犬に対する牽制であると想像することもなかった。
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