第27話 考えるな(3)
広間に流れる空気は今まで以上に澄みきっている。昨日の決まりごとのおかげで服や体にまとわりついていた煙草の臭いもヤニまみれの口から放たれる口臭も感じずに済むようになったためである。というのはごく狭い範囲の話で、実際、広間に臭気が漂っていればはすぐさま清浄されるようになっていた。フリースペースでどれだけ激しく動いた人がいても、汗臭さを感じないことがその証拠である。
(笠原さんも時田さんも中川さんもあれだな)
土井は他人事の姿勢で彼らの目に触れないようじっとしている。
時田や中川は明らかに苛立ちを見せており、目つきを鋭くして頻繁に足を組み替えている。笠原は淀んだ瞳で下を見つつ、時々顔を上げては誰彼をぼーっと見ている。
このトゲトゲしい暗い空気の中、参加者は広間に来て、円状に並べられた大小不揃いの白いブロックに腰を掛けていく。あるいは「ににぉろふ」で椅子を取り出し、そこに座る。そうやってゲームが開始するのを待っていた。
広間の照明が弱くなった。同時に天井付近にモニターが現れて、その中には例に漏れずニニィがいた。金のスパンコールを散りばめた煌びやかなスーツに身を包み、大きな赤い布を傍らに持っている。
「Cuando utilizo uno nuevo, lo trato con demasiado cuidado ya que se adapta a mi gusto. Hoy es el día catorce, todos participan.」
ニニィは布を体の横に広げるとブンと振って、モニターと共に姿を消した。
真っ先に動いたのは野口だった。道化のようにわざと勢いをつけて立ち上がった。
「じゃ、今日ニニィが話していたのはドイツ語? それともフランス語? 発音的に違う言葉だと思うんだけど、誰か分かる?」
(……)
返事はざわめきだけであった。今の言葉が何語なのか、何と言っていたのか、それから、何故彼は立ち上がったのに答えを持っていないのか、そうした小声のやり取りがあるばかりだ。進行を乗っ取る機会を狙っている者たちはその中に隠れて意図的に黙っている。
「やっぱみんなで協力して、ていうか、分かる人がいたら隠さない方がみんな、得するんじゃね?」
野口は訳知り顔で頬を持ち上げて笑い、分かりそうに見える人に手を向ける。しかし彼らは絶妙に視線を明後日に向けている。
「昨日長岡君に投票したのは誰でしょうか」
突如、乾いた男の声がざわめきに勝って、参加者に届いた。野口の話を脈絡なく奪った。笠原が立っていた。
当然誰も名乗り出ない。長岡が昨日選ばれたのは複数人が投票していたからであるし、よく観察すれば普段以上に緊張している人もいるが、声に出すことはない。
不穏な空気の中、イニシアチブをキープしたい野口は返事を買って出た。
「ま、まあ、それは……聞かないことになっているんじゃね? 『透明な――』、あれ、ゲームだし」
「彼がいったい何をしたと……」
それは笠原が今まで滅多に見せなかった、教員が未成年を無自覚に見下すような冷たい視線だ。
「そこまd――」
「あっ、でも、分かるかも……」
吉野の鶴の一声がぼけーっとした年不相応に幼い呟き声に潰された。北舛だ。当然、彼女に大半の注意が向いた。
北舛にとってそれは独り言に近い何かで、抑えきれずにポンと口から出てきた何かであった。
自分に注目が集まったことに気づいた彼女は両手をウロウロと動かしながら「大切な人がいなくなったらショックだし……取り乱しても……」と先ほどよりも小さい声で呟いた。
「なんかかわいそう、かなって……」
北舛のこれは可哀想に思っている自分が可愛いアピールである。その証拠に、言葉は笠原ではなく、全体に向けられている。
しかし、この大義名分のために参加者はこれ以上笠原を責めることができなくなった。吉野が目を細めた。
(そこまで言うなら誰が代わりに選ばれるのか、自身は名乗り出ないのかと聞けば、追い詰めることができたのに。そうすれば笠原を頼っている子供たちは誰にも守られなくなっただろうに)
つまり、およそ10日分、自分が生き残る確率が上がったはずだった。
(馬鹿なのか? それとも作戦なのか?)
更に吉野は視線を横にずらし、水鳥を見た。優雅に微笑んでいる。表情から真意を読み取ることはできない。
しかし、答えは簡単に分かった。彼の近くに座っているメンバーの顔を見れば一目瞭然、笑っているようで、眼光は般若の面のようである。
「ま、笠原センセも落ち着いてさ、先に話し合いじゃね?」
野口が笑いながら宥める。二瓶が笠原の腕を掴み、無理に座らせた。
「で、俺らさ、やっぱ色んな人がいるじゃん? だからパーティーして交流深めね?」
「それより、笠原さんの言うことも一理ありますね」
松葉が顎に手を当て、首を傾げた。野口の話を遮るのをもはや当然としている。野口は小声で「いや、まぁ……」と苦い笑顔を作りながらズボンのすそをギュッと強く握りしめているだけであった。素早く君島が反応する。
「まあ、誰が長岡さんに投票したかはともかく、何故投票されたのでしょう?」
「彼は特に派手な見た目もしていませんでしたから」
松葉の合いの手も素早い。ぎりぎり不自然にならないくらいに間を詰めている。
「まあ、華美な人物は他人の注意を集めますから、その分何かしらの対象になるかもしれません。最悪の場合……投票先になることもあり得ます」
君島は円状に並ぶ参加者たちをさっと眺めた。
そこにはここ数日の内に飾り付け始めた、身の丈に合わない姿をした人たちがいた。学生服にごつごつしたネックレスとサングラス、塗りたくった化粧とボリューム増し増しの髪、煌びやかな装飾と必要性の分からないバッグ……。
確かに参加者全体が身ぎれいにしているのならば、それに合わせる必要があるだろう。そうしなければ却って目立つ。しかし、現在はそれよりも過剰な装飾を纏っている方が目立っていた。何故ならば服装に合っていないためである。
君島の向ける視線はそれに慣れていない人たちの心をざわつかせた。水鳥の目が光った。
「その人が人前で話すのが苦手だったら、もし、みんなの注目を浴びたときに上手くできるでしょうか? 心配です……」
「中には因縁をつけて誰かを陥れようとする人がいるかもしれないねぇ」
吉野が上書きする。彼らの話に加わっていてもしかし、北舛を目の端で捉え続けている。
彼らはつまり、目立つデメリットを再度提示しただけである。自分の魅力を過剰に増やせば価値が生じ、殺しの票が入りにくくなるだろう。しかし、その分、攻撃の対象にもなり得る。戦いに慣れていなければ……死ぬ。
「では、何故……」
笠原が力なく発した。
「提案があるのですが」
松葉がスッと立ち上がった。薄い笑いを貼り付けている。
「『投票で亡くなった方に誰が何故投票したのかは話し合いの場で持ち出さない』というのはどうでしょうか?」
「そうですね。この時間は私たち全員のためになる話をするべきです。そのテーマをいくら語っても前に進みませんから」
淡々とした声で君島は賛成した。
「私たちは全員、このゲームに巻き込まれたという同じ立場です。全員が集合する時間は限られています」
君島と松葉が言葉を交わす。ある集団の代表と別の集団の代表が会話しているようである。つまり、彼らの案に暗黙のうちにある程度の人数が賛成しているように見えてしまう。実際は、少なくともこの件に関しては、同じ意見の2人が話しているだけであり、それが多数の意見とは限らない。
笠原が「しかし……」と続きの思いつかない言葉を放った。
「誰だって死にたくないさ。だから、責めることはできないだろう?」
吉野は紛うことのない正論で止めを刺した。
「それに、誰だけは大事にして誰だけは蔑ろにしていいというのはまずない。近藤のような奴は別にしてさ。要は平等だ」
踏ん切りのつかない苦しさを笠原は顔に表していた。何が言おうとするが、口まで出てこない。君島が終わらせた。
「多数決を取りませんか? 『投票で亡くなった方に誰が何故投票したのかを話し合いの場で持ち出さない』、これに賛成の方は挙手……、はしにくいでしょうからトータライザーを使います」
(投票用紙を使わないのは指紋対策か……)
水鳥は表情を崩さない。後で回収して誰がどうしたのか調べることはできない。
「トータライザー」
君島は「ににぉろふ」を立ち上げるとシンプルにそう言った。人数分のスイッチとわざわざ言わなくても、参加者のすぐ隣にボタンつきのスイッチボックスが出現する。それらは長いケーブルでつながってはおらず、全て独立していた。本体は円状に並ぶ参加者の中心部に置かれており、どの参加者から見ても、つまりどの角度から見ても、縦に並んだ0が2つ、正面を向いていた。
(どうしてスマホアプリでやらないんだろう?)
森本は疑問に思ったが、声に出すつもりはない。
「それでは賛成の方は緑の、反対の方は赤のボタンを押してください。1分以内にします」
君島が進めていく。しかし、何でも邪魔しようとする人というのは現れる。今回は時田だった。
「勝手に決めるなよ!」
「時間までにボタンを押さなければ無効票にすることもできます。その数が多ければ、時田さんの言うように別の方法を考えましょう」
君島はすでにその妨害を予想していた。合理的な答えに時田はとっさに返事ができなかった。その隙を松葉が埋めた。
「それが妥当ですね」
「それなら今度こそ、押してください」
ボタン上部にあるパネルにそれぞれ「賛成」、「反対」と表示された。残り59秒、58秒……、各々のカウントダウンの中でボタンが押されていく。そして……1分後、結果が本体に表示された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます