第26話 黙れ(3)
福本は同じグループのメンバーと共に吉野の部屋に集まって彼女の話を聞いていた。座る場所は特に決まっていないが、発言する必要のあるメンバーが前方に座ることに暗黙のうちになっており、この日もそうであった。福本は後方隅の椅子に腰を掛けていた。
いくつか話を終えた後、吉野が思い出したようにスマホに触った。
「誰かが『ににぅらぐ』で質問していたねぇ」
福本は先ほど「ににぅらぐ」に表示された問いとその答えを思い出した。
(『さっき欲しかった物は何?』、『最新型のモニター、ヨウム、トライク、砂時計だよ』だったわよネ)
「アタシも似たことを試したけれどもね」
吉野は視線を上に向けて、また前を見た。
「さっき何を言ったのか、と質問しても返事はなかったよ」
(微妙なニュアンスの差で反応が変わるということかしら?)
福本は吉野の目をじっと見つめた。少なくても、相手の言ったことをきちんと理解していると分かるようにした方が良い、隣に座っている御法川の呆けた顔よりはましだと思った。
「いずれにしても、予想通り大した話じゃなかったらしいねぇ」
吉野が淡々と言っていると、徳田が突然声を上げた。
「確か元木さん、お茶のときフランス語話していたわよねえ? ニニィはなんて言っていたの?」
名の挙がった人物に視線が集まる。徳田も元木の方に身を乗り出して目を輝かせている。
「えっ?」
「んん?」
徳田は仰々しく目を丸くして眉を持ち上げた。口元が小さくニタついている。そこでようやく元木は我に返って、引きつった笑いを浮かべた。
「で、でも、私、初歩的なことしか分からないわ。さっき説明していた仁多見さんくらいよ。それにほら、話すのと聞くのは別の知識がいるのよ」
説明が始まり、時間が経つにつれて、徳田の笑顔は根性の腐ったものに変質していく。
「あら。てっきりアタシにはとっても自信があるように見えちゃったの。ごめんなさいね。だって、アタシたちの前ではペラペラだったじゃない? ねえ、政所さん?」
「ええと、どうでしたっけ……」
曖昧な答えが返ってきた。
(あ、これ分かっていてわざとやった質問よネ)
福本にはよく分かった。この十数日、徳田と過ごしてその性格は大まかに把握していたし、何より、この類の嫌がらせを行う者に昔からよく遭遇していたからである。
「あまり分からないから、話し合いのときも、今も、黙っていたのよ」
元木は自分に注がれつつある冷ややかな目線を取り払おうと言葉を並べていった。温度が下がっていく。徳田の面がますます変形する。
吉野がフッと鼻で笑った。
「分からなかったならそれでいい。見栄を張って嘘をつかれるよりマシだろう?」
途端に元木に向けられる視線の質が戻った。徳田は頬を腐ったトマトのような色に染めて下を向いた。
福本は、あくまで第三者、どちらにも肩入れしない体で彼女たちから視線を逸らした。
(この人、吉野さんの話を聞いていないし、思い込みで話すし……)
そして、それが露骨にならないようにと吉野を見た。
「ニニィが何故日本語以外で話し出したのか、何と言っていたのか、明日どう仕掛けてくるのか、知りたくないわけでもないよ」
吉野が声を張る。しかし、福本はまだ前の話題を頭の中で引きずっていた。
(大体徳田さんだって外国語が話せるわけじゃないのに)
「ただ、今わざわざ考えることじゃないだろう?」
吉野はもう終わりだとばかりに手を叩いて乾いた音を出すと、別の話を始めた。
「今日、あの煙草臭い連中に照準を向けておいた。あれであいつらはやりにくくなったし、ついでに臭いも気にしなくてよくなった」
鼻をヒク、と動かした。
「ただね、あたしたちに敵対心を燃やしているだろうから、気を付けた方がいい。化粧の臭いも案外男どもは気にしすぎるものだし、何より妙なそぶりはしないことだよ」
誰に向けて言った言葉というわけではなくても、何となく自分が該当しているように思えてくる。吉野の圧は絶妙である。脅しでもないが決して蔑ろにされることもない。
(そうよネ。楽しんだもの勝ちみたいな空気ができているけれど、……目の前で毎日人が死んでいることは変わらないのよネ)
「それじゃ、明日の投票先だけどね……畚野康介にするよ」
吉野の目が鋭く光る。この宣言に慣れることは決してない。自分たちが生きるために誰かを犠牲にすることは、ここの外であっても、誰もがしていることである。しかし、誰もがそれを楽しんで行っているわけではない。嬉々として堂々と行っているのはごく限られた者だけである。
(畚野……あの人かぁ……)
福本は数時間前に広間で見かけたその人を思い出した。目が合った時にスッと逸らした彼の控えめな態度を何となく好ましく感じていた。そして、恐らく年下の彼が自分に照れたと勘違いしていた。
「誰か、意見はあるかい?」
誰も言わない。戦略のない人にとって、ここでの人間関係や出会いはどうでもよい。極論、別に誰が死んでも、自分でなければそれでよい。
あるいは何か考えていても、それを言う勇気がない。自分の考えが甘いと薄々気づいている。要は、吉野の考えに従った方が楽である。
(そう言えば、ニニィはずっと同じ声だわ)
福本も結局、何も言わなかった。ほんのわずかに湧いた罪悪感をかき消すように全く関係のないことを考えた。
「ないなら今日はもう終わりだ。とにかく変な真似はしないことだね。庇いきれないよ。河本サンなんかがいい例だね」
吉野はため息をつくとコップに入った水をコクコクと飲んだ。
「じゃあ、吉野さん、また明日」など口々に挨拶を交わし、メンバーは自分の部屋に戻っていく。福本も例に漏れず二言三言話してから、少し離れたところまで移動し、スマホをバッグから取り出した。
(原稿が用意してあったとしても、日本語、英語、ドイツ語、それからフランス語を流暢に発音できる人って限られていると思うけれども……。そういうのが得意な声優さんや俳優さんなら、どのネイティブスピーカーが聞いても何も違和感なく発音できるものなのかしら)
福本は今しがた思い浮かんだ考えに意識を向けたまま「カードキー」を使って自分の部屋に戻った。だから、吉野がある人物をじっと見ていたことに気づかなかった。
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