第26話 黙れ(2)

 柘植と瑞葉は寝室で夕食を取りながら、ベッド裏のホワイトボードに目を通していた。そこには参加者の顔写真が入ったマグネットが貼り付けられており、下の方に赤いバツ印が書かれたものが寄せ集められていた。


 柘植はペレットを食べながらその危惧していた件について考えていた。瑞葉の方を見ると、彼女はペレットに不満を抱く様子もなくしっかりと顎を動かしている。彼は水を飲んでから「瑞葉」と声をかけた。

 「小学生が犠牲者になった」

 当然の事実を柘植が口にしたのは、瑞葉と会話をするのはもちろん、自分の考えに齟齬がないか瑞葉を通して客観的に確認するためでもある。


 「いずれ起こることだとは知っていた、と言っても……瑞葉、大丈夫?」

 名前を呼ばれた瑞葉は特に怖がる様子もなく頷いた。柘植はそれが本心であると思った。

 「良かった。また何かあったら言ってね」

 瑞葉は分かり易く大きく頷いた。


 「ただこれで、甘く考えていた参加者たちの、何かのタガが1つ外れたと思う。変に昂っている可能性は大いにある。瑞葉、一層気を付けよう。特にここ数日は。見境なく子供が選ばれることも……あるかもしれない。とにかく目立たないようにしよう」


 柘植の話を瑞葉は素直に聞いてまた頷き、それだけでは足りないと思ったのかメモ帳に『わかりました』と書いて見せた。柘植は柔らかく「ありがとう」と答えた。


 (子供が選ばれた。濱崎のような者は例外だとして、一見無害に見える子供が選ばれた)

 柘植は笠原のように須らく子供を優先、保護するべきと信仰しているわけではない。ただ、長岡の死を機に、子供に注目が集まるのが不都合であっただけである。その中に瑞葉が含まれている。瑞葉が死ねば柘植もまた死ぬ。


 彼は紙袋から再びペレットを取り出すと口の中に入れた。

 (子供は無知で無垢、弱者と世間では捉えられている。だから、殺人事件があっても子供1人を殺したものと男1人を殺したものなら、前者の方が余計に悪人と思われがちだ。あとは老人と女もか。バイアスがかかっている)


 (あるいは、哺乳類のつくりとして、子供というものは庇護欲をそそるようにできているからか。頭身、相対的な目の大きさ……。本能的にそうしているのか)

 柘植は瑞葉の顔を見る。初日に比べると明らかに血色がよくなっている。黒髪は健康的に細く滑らかで、薄い眉の下には充血とは無縁の綺麗な目がある。赤く小さい唇と自然な桃色の頬は彼女が物を噛むのに合わせて柔らかく動く。鼻も耳も小さい。細い首にはハーモニカが下がっている。

 見られていることに気が付いた瑞葉が柘植を見つめ返すと、彼は目で「何でもない」と送った。瑞葉はニコ、と笑うと食事に戻った。


 (あるいは、自分が他人にとって大切な子供にそうすれば、他人もまた自分にとって大切な子供にそうしてくれるという願掛けみたいなものか。どうしても守ることができなくても、わずかでも無事な確率を上げたいのか)

 柘植は紙袋のペレットを減らしながら彼の中の漠然とした事実に論理的な理由があるのかと何となく考えていた。それは哲学的な問答ではなく、あくまでこのゲームを乗り切るためのヒントを得るためのものであった。


 (あるいは、子供を守った方が社会にとって得だからか。少子高齢化の日本だ。将来の生産層を重宝するよう無意識に刷り込むのは合理的だ。その割に今の生産層は雑に扱われているが)

 柘植はホワイトボードの方を見た。これまで犠牲になった参加者、つまり赤いバツ印のつけられた写真の主は生産年齢の方が多い。中には無職も当然いるが、それを加味しても多い。


 (ただ、極限の状況に陥ればそんなことは言っていられない。自分と自分にとって大事なことが最優先だ。今日の出来事は、今がまさにその時と参加者……特に甘い考えを持っていた者に認識させるには十分だった)



 柘植が食事を終えると瑞葉も食事を終えていた。その量に満足していると柘植には分かった。彼はホワイトボートに目を向けて笠原の写真がある一群を見た。

 「どうあれ、笠原たちがグループを作ってこのゲームに臨んだ時点でこうなることは知っていなくてはならなかった。参加者数が減ればメンバーの数も減っていく、減らさなくてはならない」

 集団でこのゲームに挑むメリットは様々である。しかし、その分、デメリットもある。片方だけを切り離して享受することはできない。


 瑞葉は何かを待ちながら柘植をじっと見始めた。その視線に気づいた彼は「そうだね。そろそろやろうか」と返事をした。


 柘植はポケットに手を入れるとICレコーダーを取り出した。見た目も大きさもごく普通のものであるが、その代わり、バッテリーの持ちや集音性能といった内部の機能は非常に高性能である。

 「これに録音したニニィの言葉を……翻訳機にかけよう」

 瑞葉はすぐにベッド下に用意していた翻訳機を取り出した。


 「スマホの録音機能……『カメラ』よりも性能は低かったが、スマホでやってしまうと人前で他の機能を使えない。録音に気付かれたら目立ってしまう。それに、今回はこのICレコーダーの性能で十分だ」

 柘植がスイッチを入れると雑音が寝室に流れ始めた。彼は心臓が妙に強く拍動するのを感じながら早送りのボタンを何度か長押しし、件の台詞を頭出ししていった。


 瑞葉は柘植の指先を見ている。彼の指が小さく上下するのに合わせて頭を小さく前後させて遊んでいる。


 「――れで、今日は何を話――」


 「もう少し前か」

 柘植は再生時間を大まかに計算すると、早送りしすぎた分を少しずつ戻して調整し、最後に一時停止のボタンを押した。

 「できた。再生しよう」


 瑞葉は目を輝かせて翻訳機中央のボタンを押した。音声を認識する合図の音が流れる。柘植が再生ボタンを強く押した。「Ce que je veux, c'est un moniteur haute performance et Perroquet jaco.」とICレコーダーから甘ったるい、子供っぽい声が流れて、区切りのところで一旦ストップした。


 (上手くいくだろう)


少しして翻訳機から電子音が鳴った。

 「私が今欲しいものは――」

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