第26話 黙れ(1)
笠原の部屋はこれまでと変わらず整理整頓が行き届いているが、その隅々まで重苦しい空気が満ち満ちとしている。そこに集合した面々、と言っても小学生たちは半ば引きずられるようにして来たのだが、彼らは俯いて蒼白な顔を床面に向けていた。そのほとんどが学生服を着ているものだからまさに葬式の一幕のようである。
「今日は……、大変残念なことがありました。本当に……本当に……」
笠原の声は張りがなかった。それでも部屋の中には不気味に響く。二瓶に抱き着くように座っていた小学生たちがギュッと密着した。
「長岡君に……黙祷を捧げましょう」
唇を震わせ、吐き気をこらえ、何とか笠原は言葉にした。
「黙祷」
(守ってくれるんじゃなかったの? だから先生に守る票を入れていたのに)
(怖い、怖い、怖い……)
(もっと先生が話し合いに参加していれば……こうならなかったんじゃ……)
長岡を悼む者は少ない。出会って十数日の間柄であり、一緒に何かをした時間もそう長くなかった。赤の他人と変わらない。さらに彼らには余裕がない。もっと言えば、長岡が死んだことで自分の生き残る確率が上がったのだから――。
「直れ」
メンバーたちは目の前にいる笠原が一回り老け込んだように見えた。目元の皺、白髪、シミ……、諸々の今まで抑えつけられていたものが突然表面に現れたようであった。
「私たちは……生きなくては……なりません」
その喉から絞り出すような声の続きに皆、戦々恐々として構える。長岡が死んだ直後は魂が抜けたようにしていた笠原が、無理に何ともなかったかのように振る舞っている。
「人生、において……立ち止まるときは、必要ですが……今は、そのときでは、ありません。前に進むしかありません。みなさんならできます」
指先は震え、言葉をつっかえながらも、笠原はメンバーから目を逸らしていない。真っ黒な瞳である。抜け殻となった彼に何かが入り込んだような、気味の悪いギクシャクとしたものがある。栗林や山田は思わず目を逸らしてしまった。
沈黙が生じる。虚ろな目をした笠原はどことなく遠くを見つめている。柳原が二瓶の陰からちらちらとその様子を見て、隠れる。小野は笠原の胸元を見て、次の言葉を待っている。1分以上経って、笠原はようやく口を開いた。
「明日の投票先は……加藤――」
その瞬間底冷えするような戦慄が走った。ゲームの参加者の中に加藤は2人いる。加藤育夫と加藤芽衣、中年の男性と――小学生だ。
これが別の日ならともかく、今日、この苗字がこのタイミングで笠原からの口から出たことで、否応なしに後者を予想する者がいることは想像に難くない。
「加藤、育夫に投票しましょう」
しかし実際は違った。笠原が言ったのはいつも通り、成人の誰かの名前だった。
それでも、未だに寒気を覚える何かが漂っている。どちらの、誰の名前が出ようと、人を殺す計画を立てて殺す人を決めたことに変わりはない。自分と自分の一番な人が生き残るために。
「誰か、意見は……ありますか?」
返事はない。笠原は機械的に数秒待って、続けた。
「誰か、連絡事項は……ありますか?」
誰も動こうとしない。誰かを指名して何か言いたいことがあるのか確認することもない。
「今日は解散です」
笠原がミーティングの終わりをいつも通りに告げると、メンバーたちは体を弛緩させた。衣擦れの音が幾つも重なった。形骸化した「困ったことがあったらいつでも先生に言ってください」の声を真に受けるものはいない。
「ああ、二瓶さんは残ってもらえますか」
二瓶の何とか毅然を保っていた表情がわずかに明るくなった。「あ、はい」と返事をしながら彼女は笠原を見た。しかし、笠原は見ていなかった。
「では、また……明日。おやすみなさい」
「おやすみなさい……」
別れの挨拶の後は無言のまま1人、また1人と各々の部屋に戻っていった。最後の1人が姿を消すと笠原は椅子に座った。そして初めて二瓶の方を向いた。
しかし話し出すそぶりを見せず、ただ黙って無表情のままである。
「あっ……、あの――」
「長岡君に票を集めたグループは……どこだと思いますか……」
二瓶は何を言えばよいのか思いつかなかった。ただ無意識に「それは……」と言葉を置いた。
「どこでしょう。幼い命を手に掛けるようなことを……それを集団で……。長岡君の性格、からして……偶然票が集まったとは……思えない……」
(……)
今の彼には、というよりも元々の信条ゆえに、何を言っても通じない、と二瓶は思った。自分たちもやっていることだからお互い様だ、子供だからといって特別扱いはされないなど、思いついても口に出すことはできない。笠原の思想に共感するところはあっても、何が何でもそれが正しいとまでは考えていなかった。
そして、彼らには他のグループの行動や傾向を推測する材料がない。今まで集めていなかったのだから当然のことである。リーダーらしき人と恐らくそのグループのメンバーと思われる人たちが分かるだけで、他の役割や性格は計算していなかった。まして、どこのグループ同士が裏で手を組んでいて、誰が裏切っているのかなどは発想していない。
「どこの誰が……誰が……」
二瓶の返事がないために、笠原は独り言のように同じ言葉を繰り返した。
「あの、笠原先生?」
二瓶は意を決した。反応がない。
「今日は、もう、休みませんか? お疲れのままでは思いつくものも思いつきませんし……」
意を決して逃亡を試みた。今度は声を大きくした。ようやく声が笠原に届いた。
「ああ、そうですね……。その通りです。お手間を取らせました……」
「それじゃ、あの、おやすみなさい」
二瓶が帰ると笠原は老眼鏡をかけた。それからスマホを力なく操作し、アプリの「投票箱」を開いた。そこの1ページ、長岡の写真を彼はしばらく見て、気を失った。
二瓶は感情を吐き出すところがなかった。子供たちからは頼られており、同じ立場のメンバーはいない。気にかけることができる立場なのは笠原くらいであった。だから、声をかけられたときに期待した。
結局彼女は自分の部屋に戻ったあとで自分に向けて悲しみを吐露し、発散するしかなかった。しかし受け手もまた自分なのだから、共感されることもない。ただ水槽からコップで水を汲み、その水を水槽に戻すのと同じだった。
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