第25話 黙るな(3)

 投票の時間、つまり話し合いの時間が迫るにつれて広場には参加者が集合しつつあるが、先ほどまでの賑やかさはない。流石に大勢の前ではしゃぎちらし、そのままその足で話し合いに参加するのは体面が悪いと分かっているようである。それに汗臭い。


 高橋は円形に置かれている大小さまざまなブロックの一ヶ所に独り静かに座っている。

 (みんなずるい)

 視線の先には同性の華やかな姿があった。学生服を着ていても私服であっても装飾品や化粧が似合っている、一回り年下も二回り年上も、綺麗に決めている、高橋はそう思うと胃が燃えるように感じた。

 (服を選べないのって何なの? 不公平でしょ……)


 必ずしも彼女だけが服装で損をしているわけではないが、高橋は自分と同じようにみすぼらしい姿の参加者を眼中に置いていなかった。



 参加者が集まるにつれ広間の空気がヒリつき、そして、部屋が暗くなると天井近くにモニターが現れた。ニニィはフリルまみれの淡い色のドレスを着て、リボン付きの扇子を持っている。

 「Ce que je veux, c'est un moniteur haute performance et Perroquet jaco. Les participants d'aujourd'hui sont tous. C'est le début du treizième jour.」

 ニニィが参加者に告げたのは日本語でも英語でもない言葉であった。モニターがブゥンと音を立てて消えた。


 (今日も昨日と同じ? 野口君は分かってるの?)

 高橋は昨日のような展開を予想して彼を探した。

 野口は目を泳がせていた。片手をポケットに入れてスマホを握り、何かを待っている。


 1秒、2秒……ひそひそ声のやり取りが行われている。ある者は誰かが答えを出すのを期待し、ある者は聞き取ることのできた内容が正解か確認し合っている。しかし、誰も表に出ない。


 野口もまた声を出さない。それでも視線は集まる。彼の額に汗がじわりと吹き出した。


 しかし――。

 「あ、あの……」

 助け舟は野口の思いもよらないところから来た。仁多見だ。

 「今のフランス語で、よく聞き取れなかったけど、今までと同じことを言っていたと思います。あと、何かを求めるとか、多分ですけど」


 「仁多見さん、すっげ」

 野口はポケットから手を出すと制服のズボンで手のひらを拭った。仁多見は照れくさそうに髪を撫でて野口に向き直った。

 「そんなじゃないよ。それで、今日は何を話すんですか?」

 訝しさを帯びた視線が仁多見に刺さるが、当人は気づいていない。野口は顎を高く上げた。

 「みんなここでの生活に慣れてきたと思うんだけど、これから何があるか分からないよな? だからさ、全員が後悔しないで生きるために、全員、情報を共有しない?」


 時田と中川は口元をニタつかせ、君島と松葉は目を細め、吉野は鼻をピクつかせる。そして……、水鳥は澄ましている。感情を隠すことに長けた彼の真意は読み取ることができないが、できる人には容易に推察できる。


 「だって、できることがあるのに隠しているのって、自分だけ得をしている訳だろ? それ、不公平じゃん」

 不公平も何もそれは当たり前のことだが、野口と同じ意見の者には刺さる言葉であった。このゲームで生き残るためにどんなに卑怯でも、あらゆる手段を使うのは当然の権利である。……何もここだけで行われている話ではないが。


 「その前に、先ほどニニィが何を求めていたのか考える方がよいでしょう」

 君島がさらりと否定する。野口が話の手綱を握ろうとするが、その隙を与えない。

 「そちらの方が全体にとって有益な情報が混ざっているかもしれないですから」


 「確かにそうですね」

 さらに松葉が追従する。野口の勢いを削いでいく。

「そのために、まず、フランス語を知っている人たちに協力してもらいたいものです。仁多見さんの他に誰かいませんか? フランス語に長けている人は?」


 参加者たちは首や視線を左右に動かし、誰かが表に出てこないかと探し始めた。ざわざわと広間に音が広がる。――しかし、誰もいない。


 「考え方を変えるべきです。ニニィがこのゲームに求めていることは何でしょう? そこから予想できるかもしれません」

 猪鹿倉が抑揚を抑えた声で話の流れを変える。


 「目的は……私たちが右往左往しながら死んでいく様子を観賞することでしょう。それについて異論はないかと思われます」

 君島は苦い顔をして答えた。それはニニィにとって自分たちが玩具や消耗品であると認めるようなものであった。


 「求める展開は何でしょう? 2つ3つ言っていたようです」


 「……」

 猪鹿倉の質問に答えることは、考えが浮かんでいたとしても、難しい。何故ならば、それはおそらく一層残酷な展開であり、思いつくということはつまり、その展開を期待していると烙印を押されかねないからである。


 (殺し合いとか? 無理心中とか?)

 (裏切り?)

 (口論?)

 (どうでもいいよ……。助けてよ……)


 誰もが前に踏み出せない。野口や時田たちでも前に踏み出せない。間違えればバッシングの対象となる。つまり、死ぬ。

 その沈黙を破ったのは君島だった。

 「今の状況に満足していないとしても、軌道修正をしたいのならばすでにより強く干渉していたでしょう。つまり、過激な展開か抑え目な展開を望んでいると考えるのが理に適っています」

 彼は落ち着いた声で述べた。そうすることで誰かが突っかかってくるのを避けようとしていた。

 「具体的にはニニィにしか分かりませんが……」


 「証拠はあんのかよぉ!」

 しかし、時田が噛みついた。思惑通りに行かなかった君島は表情を希薄にして、口から音を出した。

 「すでにニニィはルールの改正を実行済みであり、彼女の意に反した場合、ルールは強制的に変更されると思料されます。つまり、現状の加減を要求していると判断するのは合理的です」


 「いやまあそんな言うなら、まあ……」

 時田は顔を引きつらせた。彼は君島の言うことを上手く脳内で処理できなかったが、他の人には概ね伝わっていると思ってしまった。そう誤解させるような口ぶりだった。


 「何、そう決めつけることでもないだろう?」

 汚い声が参加者の意識の外側から聞こえた。吉野だ。顎を上げて君島を目にしているが、同時に野口のことは全く意識していないのがありありと分かる。


 「本当に伝える気があるなら日本語で言ってこないかい? だからさ、取るに足りないことを言っている。そうに違いないよ」

 吉野の言うことは正論であり、反論するまでに少しばかり時間を要するものである。その間を吉野は逃さない。

 「これ以上ニニィの言ったことを考えても時間の無駄、せっかく全員集まっているんだ、有意義な話をするべきだね」


 「例えばどういう話をするつもりでしょう?」

 薄笑いを貼り付けた松葉が尋ねた。君島が眉をひそめ表情を険しくする。


 「そうだねぇ……。広間は禁煙、広間に来るときは臭いを落としてから、というのはどうだい? どうにもいい気がしなくてね」

 吉野がごく当然のように口にすると、示し合わせたように近くに座る中年女性たちが頷いた。


 しかし、喫煙者にとっては全く愉快でない。

 「それ、自由だろ!」「そうだ!」

 時田が鼻の穴を膨らまして吠えた。すぐ後に中川が追った。加藤もこめかみに青筋を浮かばせて無言の反抗を示している。

 理由はシンプルである。煙草を吸っているということだけで投票先の候補となれば、死ぬからだ。だからこその威嚇であった。


 「副流煙を吸わないのも自由だろう?」

 ただ、吉野には効果がない。反社会的集団を相手にすることもある彼女に時田たちが力をちらつかせたところで、ただのお遊戯に他ならない。

 「何も禁煙しろとは言っていない。ここで吸わない、臭いを持ち込まない。部屋で吸っても消臭してから広間に来ればいいじゃないか」


 「そんなこと言ったら化粧の臭いもキツいじゃねえか!」

 今度は中川が噛みつく。口からつばきを飛ばし、プルプルと震える指を吉野のいる辺りに向けている。


 「世間ではこれくらい普通だし、あたしは気にならないけどねぇ」

 吉野は顎を上げて鼻で笑った。

 「誰のことを言っているのか、教えてもらえるかい?」


 中川は――名前を言えなかった。代わりに話を前に戻した。

 「それでも、自由だろぉが!」


 「僕は吉野さんに賛成ですね」

 続きを考える余裕も与えず、松葉が割り込んだ。浅く指を組みながら中川を見ているが、その目と表情はちぐはぐである。

 「ただ、どちらも譲らないのならば多数決でしょう」


 松葉の言葉を受けて、吉野は重い腰を上げた。

 「まあ、それでいい。じゃあ、『広間は禁煙とし、広間に煙草の臭いを持ち込まない』、この提案に賛成……いや、反対の人は手を挙げようか」


 時田や中川が手を挙げる。彼らと同じグループの喫煙者も周りの様子を窺いつつ、時田たちの圧に押されつつ、手を挙げる。


 「まあ自由、だよな?」

 野口たちも、味方の体を取るためにおずおずと手を挙げる。


 ただ、他にはいなかった。わざわざ劣勢に加わるのは意味がないし、そうでなくても、どちらに転んでも困ることではないと誰もが思っていたらしい。その様子を見渡した吉野は人数を数えることもなく、口元に笑みを浮かべた。

 「決まりだね。何、違反したからってすぐ大騒ぎするって話じゃない。注意する権利と、注意されたら従う義務ができただけだろう?」

 そう言うと彼女は腰を下ろした。


 「……」

 不自然な沈黙ができる。その空白を埋めようと野口が立ち上がった。

「それじゃあ、次は――」

 ただ、時間が来れば、結局何を議論していようが、決められたことをするだけである。


 「Il est temps de choisir. Ah, et je voudrais tricycle motorisé.」

 ニニィが口元を扇子で隠しながらそう告げると、参加者の周りは一気に暗くなった。他の誰にも分からない中でそれぞれが投票をすると、周りの景色は1つを除いて元に戻っていた。


 「Il est la victime d'aujourd'hui. Et un sablier!」

 そして、透明なケースの中には長岡陸が入っていた。

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