第25話 黙るな(2)

 沼谷は昼食にステーキ定食をがっつりと食べていた。しかしその量は巨体に見合っていない。そこで彼女は量を増やす代わりに、小器用にも定食を味わいながらデザートに何を食べようかとその味を想像していた。


 (今日はショートケーキにしようかなー。それともチョコレート?)

 分厚い牛肉は中にわずかな赤みが残っており、本人は食べ比べたことはないが、沼谷好みの焼き加減となっている。噛めば歯切れよく、肉汁が口の中に広がり、オニオンソースが一層肉のうまみを強調する。


 (モンブランはちょっと気分と違うし、チーズケーキ…… あっ、これご飯と合う)

 沼谷は口を動かしながらソースをステーキに絡め白米の上に乗せた。そして、口が空になった途端に次の分を頬張った。先ほどの味に甘みが加わり、止まらなくなる。


 (この前食べたシュークリームも美味しかったし、ロールケーキもいいかも)

 付け合わせのニンジンのグラッセも高級ホテルで出てもおかしくない。ニンジン本来の風味を残しつつ全体にまろやかなバターの甘みが染み込んでいており、口の中をリセットする。


 (アイスクリームはステーキの脂と合わなさそうだけど、ちょっと気分かも。あとはパフェ? 果物のもいいけどプリンもいいし……、クレープもありね)


 沼谷は色々な種類の色々な味を想像しつつ、舌でも味も楽しんでいる。一度に食べれば気持ち悪くなることは誰にでも想像できることは勿論、イメージしながら食べるだけでも普通なら胃もたれしそうなものである。



 (あー、別に我慢することもないのよね。タダだし)

 昼食をすぐに食べ終えた沼谷は口元を拭うと「あぁー」と頬をだらりと下げた。それからスマホを手に取ると「ににぉろふ」でデザートを次々と取り出し、テーブルの上にずらりと並べた。食べ終わった食器はいつの間にか消え去っており、甘ったるい色がこぼれそうなくらいに並んでいる。

 (少し前だったらこんな贅沢できなかったのよねぇ)


 (吉野さんの言う通りにしていれば、このゲームから生きて出られるし、おまけに2000万円ももらえるし、家族に会えないのは寂しいけれど、あと30日くらいの我慢……)

 沼谷はまずシュークリームを手に取ると、目を細めて大口を開けた。

 (この後、何のドラマを見ようかな?)





 水鳥の部屋にはほとんどのメンバーが集まっておりミーティングが行われていた。メンバーが全員揃っていないことには誰も触れていない。理由は単純であり、ここにいない人たちは何か仕事を行っているためである。

 鳥居は珍しく前の席に座り水鳥の顔を自信たっぷりに見つめていた。


 「昨日の指紋の件だけどね」

 水鳥が優しい声で話を切り出すと、部屋の中に緊張が走った。

 「もう一回説明しようか。昨日の投票前に僕たちはまとまって座っていたよね? 升美ちゃんが投票用紙を用意して、両隣から配って、集計して、回収した。だから僕たちしか触っていない紙、つまり僕たちの指紋しかが付いていない紙は僕たちの誰かが投票したことになるんだ」


 (事前に教えてくれても良かったのに。究君、イジワル)

 鳥居は心の中でこぼしながらも、体には無駄な力が入っていない。顔の筋肉がリラックスしている。

 この件は事前に計画されたものではなかった。直前にやることだけを伝えられた鳥居はその通りに何とか行って、最後に言われた通り使用済みの投票用紙を回収していた。さりげなくやってしまえば誰も気にする者はいなかった。

 (でも、そんな一面を見せてくれるのは私……たちに心を許しているからだよね?)


 「それにね、指紋を調べていけば、誰がどの記号を描いていたのか分かるんだ」

 水鳥は途端に瞳を潤ませ、しかし口元に微笑みを残してメンバーたちの顔を左端から1人ずつ正視していく。

 「もしも、この中に僕たちを騙そうとしている人がいたら分かるんだ」

 その表情は、「不本意ではあるが君たちを守るには仕方ない。僕は嫌われてもいい」と言うも同然であった。メンバーの何人もが「たち」を心の中で消していた。


 「そういう人がいたら僕たち全員が困るよね?」

 水鳥が柔らかく説明を終えると熱烈なレスポンスが返ってきた。

 「そうよね! 究君は何も悪くないし!」

 大川が声を張る。乙黒はうんうんと頭を動かし、犬塚に至っては涙を浮かべている。


 「みんな、ありがとう」

 水鳥は頬を緩ませて微笑んだ。それは家族に見せるような照れ臭さをわずかに含んだものであった。

 「それで、結果だけどもね」


 感動ムードに包まれていた部屋の空気がスッと冷めていく。衣擦れや浅い呼吸の音が静かな部屋でいやに目立つ。

 ただ、一部のメンバーがいないことを考えれば結果は推測できる。

 「全員、三角を描いていたよ」


 一気に空気が弛緩した。

 「よかっ、たぁ……」

 加藤は無意識の内に誰でもない誰かに話しかけるように漏らした。声量の割に注目を浴びなかったのは全員がそう思っていたからに他ならない。


 「本当にごめんね。でも、こうしないと絶対に安心できないよね? 先に教えていたら嘘をつかれるかもしれないし……」

 水鳥は眉を下げて力なく笑い、緩慢に手振りを添えた。困っているが自分からは頼りに行こうとしないような、ある種の母性を刺激するような表現である。


 (究君も疲れているし、何とか助けてあげないのに)

 鳥居は特に強くその煽りを受けた。腹の奥がじわりと熱を持った。


 「それじゃあ、この話はおしまいにしよう。ちょっと遅くなったけれども、今日のミーティングを始めようか」

 最後に儚い笑いを浮かべ、水鳥の表情はいつも通りの優しい微笑みに戻った。

 「まず――」


 (あの子たち、ちょっとはまともな意見出せないの? ずっと……)

 鳥居は自分の中で意見を組み立てながら、いつも大したことを言わないメンバーを見下した。




 メンバーたちをそれぞれの部屋に帰し終えてから、水鳥は唇を白くなるほどに噛んだ。それから硬い木の椅子に腰を下ろし、「水」と呟いた。ペットボトルが傍らの机に現れた。

 (少なくても昨日の話に関して、野口と組んでいるのは時田たちと長堂……、松葉たちだ)

 彼は水を一口飲み、静かに目を閉じた。


 投票用紙を回収した理由は他にもあった。

 先の騙そうとしている人を探すのも目的の一つである。しかし、それはほんの表面の部分であり、いわば隠れ蓑であった。水鳥はもっともらしい解答を見せることでその内奥に目が向くことを避けていた。

 それは、他のグループのどことどこが手を組んでいるのかを炙り出すことであり、さらには相手のグループの中にいる裏切り者を把握することである。しかし――。


 水鳥は昨日の話し合いの光景を再び思い出す。座っていた位置、記入するのに使っていた筆記用具の種類……。それらを今までの言動と照らし合わせ、付着している指紋を同じものが隣に来るように数珠つなぎにすれば誰が何を描いたのかが分かるはずであった。


 しかし、実際はそう上手くいかなかった。個人がどの選択肢を選んだのか特定することはできず、何とか分かったのはグループの傾向だけであった

 (もう少し露骨に裏で組んでいるところが分かればよかったけれども……)


 水鳥は飲みかけのペットボトルを手に持つと椅子の合間を縫って寝室へ向かった。寝室のドアには鍵がかけられている。

 (裏切り者は他のメンバーの陰で野口と組んでいるのか? それとも、野口たちと組んでいるのに彼の意見に賛同しないほど馬鹿な集団なのか? 僕の作戦を読んですぐに投票先を偽ることのできる集団なのか? それとも――)

 彼はポケットから鍵を取り出してドアを開けた。そして、中に入ると内側から鍵をかけ直した。


 (やはり僕たちの中に野口のグループ、またはそこと組んでいるところと通じている人物がいるのか? 自分の1票くらいなら本来の味方の意向を無視しても結果にほぼ影響はない)

 水鳥はベッドに腰掛けるとペットボトルとスマホをサイドテーブルに置いた。

 (今のところ彼女たちの中に裏切り者はいないと考えるべきだろうか。ファッションが不満のはけ口になっているおかげで、ささくれ立った空気が緩和されている)


 「流石に疲れた……」

 彼は夜通し指紋を調べ、投票者と投票先を結び付けようと作業を行っていた。それはメンバーたちが思っているよりも、水鳥自身が思っていたよりもはるかに作業量が多かった。


 (30分だけ、仮眠を取ろう)

 水鳥はもう一口水を飲むと、ベッドに入った。徹夜明けの彼は一時の安らぎにすぐさま誘われた。

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