第24話 呪え(4)

 丑三つ時、田辺は不意に目を覚ました。柔らかく、かすかにラベンダーの香りが漂うベッドはすでに彼女の眠気と疲れを取り払っていた。それでも、もう一度目を閉じればそのまま眠りに落ちることは難しくない程度の穏やかさは体に残っていた。


 (ああ、起きちゃった……)

 大きく見開いた瞳には見慣れない高級感のあるアラベスク模様が映っている。田辺は目を閉じて再び眠りに就こうとした。

 (大丈夫かな? 私、今日、何も失敗していないよね? 目立っていないよね?)

 しかし、考えないようにしても勝手に頭の中に染み込んでくる考えがそれを妨げる。


 (笠原先生の目が笑っていなかったのは私の言ったことが変だったからかな? どうしよう? 嫌われていたら……いたら……)

 彼女はその続きを頭の中で言葉にできなかった。言ってしまえばそれが事実で、その先が実現するように思えてしまうからだった。

 田辺の呼吸が荒く浅くなる。彼女は横を向いて自分の身を抱き寄せると、無理矢理大きく緩やかに肺を動かした。それでも一度湧いた考えは彼女の脳にこびりつき、中々離れない。


 (昨日、広間で後ろから聞こえたあれ、私に舌打ちしたんだよね? 変な噂立てられているのかな?)

 些細な、不確実な出来事を悪く捉えれば、それがさらに悪い何かを引き起こしていると思ってしまう。田辺は噂を立てられた後の最悪の事態を考えないようにギュッと目をつぶった。


 (どうしよう……)

 彼女は鼓動の勢いで体が大きく揺れるように感じた。決して激しいリズムを刻んでいるわけではないのに、1回1回が反動をつけて無理矢理動いている。

 (究君の近くにいた大川さんや加藤さんが私を見ていたのは、最初の日に究君の話、断ったから? 怒っているの?)

 (私が隣に座ったときに有松君が避けたのはたまたまじゃなくて、迷惑だったから? ちょっとでも触れたくないから?)

 (徳田さんたち、ヒソヒソ話をしながら私の方見ていたよね? その後笑っていたし……)


 田辺はますます深く沈んでいく。シーツと掛布団に包まれてながら落ちていく。

 (私って、知らないうちに悪いことしているのかな? 邪魔なのかな?)

 (でも、友達もいるし、お父さんもお母さんも優しいし、でも……それって……)

 そして、過去の日常にまで考えが及んでしまった。


 (別に、ずっと、私はみんなから嫌われていたんじゃないかな? それをみんな、バレたら面倒だから腫物扱いしていただけなのかな?)

 そう考えてしまった。それが、ゲーム中に自分へ向けられたベクトルを最も合理的に解釈することができると思ってしまった。


 (この前のお昼休み……トイレから戻ってきたとき、みんなが話を止めたのは……あれ、私の話をしていたから? 空気読めなかったのかな?)

 田辺は今まで偶然か勘違いだと思っていた出来事を次々に思い出し、その新しい解釈で見直し始めてしまった。彼女は目の前がますます暗くなるのを感じた。


 (みっちゃんとゆきちゃん、本当は私の事嫌い……って言うよりもおまけなのかな? 私がついて来るから一緒にいるだけで、休みの日に遊びに行くのも少ないよね?)

 今まで信用していた人たちが自分を陰で欺いていた。そう思った田辺の目に涙が浮かび、すぐに顔を伝ってゆく。一度出始めた涙は止まらない。


 (小学生のときも、席替えで同じ班になった子が前の席に行きたがっていたのは、修学旅行の班決めで空気が微妙になっていたのは、ううん、気が付いていなかっただけでみんなもっと顔に出ていたんだよ)

 楽しかったことが思い出せない。嫌だったこと、失敗したことが洪水のように押し寄せてくる。田辺は不規則に鼻をすすり、波が引くのを待った。

 (そう言えば幼稚園でも私、男の子にからかわれても、誰も助けてくれなかった。もう、そのころからだったんだ)


 (でも……聞けないよね。今まで知らなかったのかと言われたら、もう戻れなくなる。だから、聞かないのが正解……、でも、それだとずっと陰で何か言われたままで……、でも、言われていないかもしれないし……)


 田辺は解答に蓋をした。このゲーム中、ここにいない人の真意を知ることは難しい。自分の精神衛生を保つために気が付かなかったことにするのは妥当な判断である。しかし、その中身を想像し続けてしまえば無意味になる。


 彼女の頭の中はぐちゃぐちゃにループして止まらず、そのまま彼女は普段起床する時間を迎えてしまった。田辺は妙に覚醒していて、これ以上ベッドで粘っても眠ることはできないほどであった。疲れはとれているはずなのに、鈍いだるさが彼女の全身にまとわりついていた。


 田辺は重い上体を起こすとベッドから片足ずつゆっくりと降ろし、スリッパを履いて立ち上がると枕元のスマホを手に取った。そして、メッセージが来ていないことを確認してから洗面所へ向かった。



 どんなに泣きごとを言っても、愁いても、彼女は自分と自分の一番大事な人のために生きることを諦めていない。いくら自分を無価値とののしっても、自分から死のうとはしない。

 しかしそれは、ここで死ぬことが痛みと一番大事な人の死を伴うからで、それらがなければどうしたのか田辺自身もよく分かっていない。




**



 口喧嘩


 あらゆるワードの中でニニィが一番破壊力があるなって思うのは「幼稚だね」って言葉。一昔前の世間一般の常識が正しいと無意識や社会にこびりついていているから、Royal Weに意見に聞こえてしまうことが理由だと思う。例えば、結婚していない/離婚した/子供がいない/持ち家がない/趣味がゲーム、アニメ/車を持っていない/サビ残しない/奇抜な名前/……なんて、幼稚だねって。もっと言うと、専門性がないなんて幼稚だね、あるいは逆に、一つの事しかできないなんて幼稚だね、と相手が一度は思っていそうなそれっぽいことに付け足せば、マウント取りつつ不快な思いをさせることができる。

 二番目は、「頭、寂しいね」。知性が足りないことも、共感性が不足していることも、見識が乏しいことも全部まとめた攻撃で、どこか一カ所でも引っかかれば黙らせられる。ついでに(主に)成人男性には不安、場合によっては致命的なダメージを与えることができる。

 ※これらの言葉を使用した結果何が起きてもニニィは責任を取りません。

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