第23話 呪うな(3)
広間は昨日と同じくざわめきがどこかしらで起こっている。違うのはその音が何かを心配するような暗いものではなく、互いを褒めながら自慢するようなトーンの明るいものであることだ。
(昨日の今日ですでにこれか)
柘植はニニィが現れる時を怯えて見えるようにして待ちながら、円状に配置されたブロックを目でなぞっている。
(笠原のグループ以外はどこも野口の流れに乗るようだ。君島たちは止む無くだろうが、他は……むしろ嬉々としてやっている連中が多いか)
柘植の視界に沓内と大川が入った。同じグループに所属している彼女たちは似た背格好年恰好であるが、片方が薄いベースメイクに自然な色合いのリップで化粧しているだけなのに対してもう片方は色味の濃い化粧と巻き髪で存在をアピールしていた。この新しい風潮に対する積極性が如実に表れていた。
(私も瑞葉もこの手のことは不得手だ。それでも、流れ次第ではやらざるを得ないか……)
彼は起こり得るその事態にどう対応すべきかを考えながら観察を再開した。
時間が来ると広間は薄暗くなり、天井付近にモニターが現れた。そこに映っているのは赤いフード付きのマントを被ったニニィだった。片手にバスケットを持っている。
「Ich sage immer das Gleiche. Auch wenn sie kein Deutsch verstehen, können sie dessen Bedeutung verstehen, oder? Heute ist der zwölfte Tag des Spiels. Jeder ist anwesend.」
ニニィがバスケットの中に手を入れて何かを取り出し宙へ放り投げた。
「Und Start!」
それはリンゴだった。落下したときにはすでにニニィの影はなく、次の瞬間にはモニターも消えていた。
参加者のざわつきは昨日以上に大きい。日本語ではない言葉で何か説明があった。もう少し学があれば英語でないことも分かるだろう。何語で何を言っているのか分かったものは少ない。
(ドイツ語……要するにあの仮装はグリム童話か)
柘植は何語なのかを聞き取ることはできた。しかし自信を持って内容を理解できたとは言えなかった。
(確か猪鹿倉はドイツ語の訳本に携わっていたはずだが……)
柘植は横目で彼女を見た。特に表情に変化はなく、視線は君島に向いている。その君島も自然体だ。
(今までと大して変わらない内容のようだ。誰が説明――)
一瞬空いた間を埋めるように野口が自然に立ち上がった。
「みんな、ニニィは今日もいつもと同じことを言っていたんだ」
(直前にスマホを見ていた。誰かが入れ知恵したと考えるのがよいか)
素直に感心する参加者を余所に柘植は落ち着いて観察している。
(ドイツ語が分かるなら少なくとも7日目にも自慢していたはずだ)
「で、昨日の話の続きなんだけども、誰かアイディアある?」
野口がそのまま話を進めていくのを誰も止めない。参加者の中にはドイツ語が分かる人もいる。野口を蹴り落とすならもってこいの機会であるが前に出る危険を冒したくないのか、意図的にそうしているのか、伏している。
「いいかな?」
よく通る声が聞こえる。長堂が立ち上がっていた。
「提案なんだけれども、ここをさ、運動できるようにするのはどうかな? ほら、野口君も昨日言っていたし」
彼女は野口に向かってニコリと微笑みかけると野口は胸を反らしてにやけた。
「いや、いいんじゃね?」
「あ、私一応サッカーやっているから、やっぱり広いところで動きたいんだよね。ほら、みんなも体を動かせば気も晴れるし、健康でいられるし。だから、さ」
長堂は言いながら無意識に片手を後ろに回し、ちらりと横に目線を動かした。
「それなら広間の半分くらい、ちょうど今私たちがいる円の向こう側をそのスペースにするのはどうでしょう?」
視線を受けて前に出たのは相変わらずの笑いを貼り付けた松葉だ。指し示す先を見ようと松葉と向かいの位置に座る参加者がぐるりと体を捩る。
「あれ位の広さがあれば十分ですよね。残りのスペースは今まで通りフリースペース、つまり本を読んだり雑談をしたりするのに使えばよいでしょう」
「それでよくね? な?」
野口には強いこだわりもないのだろう、すぐに隣にいる三石に同意を促す。
「ああ、もう決まりじゃね?」
「だよな」
しかし、しわがれた声がそれを止めた。吉野だ。
「待ちなよ。他にもここを使いたい人はいるだろう? それはどうするつもりだい?」
ニタァと口を広げて長堂に圧をかける。長堂がピクリと反応し、硬い表情でそれに答えた。
「予約制にするのはどうですか? 何なら私が管理しますよ。『7SUP』に連絡をくれればまとめて連絡できますし、そういうことは慣れていますから。それに私が言いだしたんですし、その方がいいですよね?」
「広間に予約表を置くのはどうですか? このままだと長堂さんの負担になりますよ。それにほら、そうすればふらっとここに来てもすぐに分かります」
すぐさま水鳥が柔らかく気遣うように言葉にする。いくつもの輝く視線が降り注ぐ。
(役割を持てば生き残り易くなるからか……)
柘植は背景に徹しながら裏を読み取る。彼の考えるように長堂が広間の管理をやり始めたら、彼女の価値は増す。そうなれば投票先に選ばれる確率は下がる。最も全くゼロになることはない。
ここで柘植が考えているようなことを誰かが指摘すれば、「そんなことを思いつく方がおかしい、長堂を貶めようとしている」とここぞとばかりに攻撃される。真意を想像できる者は当然黙っている。
「いや、本人がやりたいって言っているんだからいいだろ」
中川が話を元に戻した。彼の言うこともまた真っ当である。自分から名乗り出たのだから自分がするのは物の道理である。
「長堂さんの負担になることもそうですが――」
今度は笠原が落ち着いた声で話し出した。その皺の刻まれた顔は教壇に立っていたときとは違い、鈍い瞳を携えて野口を見ている。
「人と話すのが苦手な方にとっても負担になります。やはり水鳥さんの言うようにするのが良いでしょう」
「でもさ……」
野口は何かを言おうとして、口ごもった。そもそもその手の人が素性を知らない人の前で運動をするかといえば、しないだろう、そう彼は言おうとしていた。
笠原は何も聞こえなかったかのように話を前に進めた。
「全員が明るい性格とは限らないし、 誰しも不得意があります。配慮し合った方が全員にとって生き易くなると思いますよ」
広間に幾つもの囁き声が生じる。笠原の言葉通り誰しも不得手がある。ここでは全員、善人という体で、このゲームには消極的に参加しているということが前提となっている。だから、何かが苦手な誰かがいたら助け合い、全員がやりやすいようにするという設定を表面上支持しなければならない。自分が同じ立場になったときのことを考えれば尚更である。
しかし事実は違う。このゲームで生き残ることのできる人数は限られている。その枠に自分が入るためには他人に勝つ必要があり、そのための有効な手段は相手の弱点を突くことである。
長堂と野口に視線が集まる。単純に話を聞こうとする類のものではなく、出方次第では賛同するのを止めるという意思が込められている。
長堂の顔色はいつの間にか青白くなっていた。
「あ、あの、全然気にしなくて大丈夫ですよ。私はそんな性格じゃないし、誰が連絡をくれても丁寧に返事するし、えっと……」
「本人の希望を叶えてあげるのもまた大切でしょう」
ちぐはぐな受け答えのフォローに回ったのは君島だ。
「ほら、コミュニケーションよ? 俺らしばらく一緒だし、そこは誰も悪くしないんじゃね?」
やや遅れて野口も同じような答えを返す。誰も意見を譲らない。水野と笠原の硬い表情が目に入った野口は声を尖らせた。
「もうさ、話し合っても決まらないなら――」
「それなら無記名投票でしょう」
広間の注意は一気に水鳥へ向かってしまった。
「多数決だと、周りの目があってやりにくい人もいるでしょう?」
相手の会話を遮るこの力尽くのやり方はタイミングや頻度を間違えれば非難の的になるだけである。空気を読み、かつ表情や仕草をコントロールできる水鳥だからこそできる技である。
「まず、1つ目はですね、広間の半分を特定の目的に使用すること。2つ目はその管理を長堂さんに任せること。2つ目にも賛成なら丸印、1つ目だけに賛成なら三角印、どちらにも賛成でないならバツ印を紙に書いて投票しましょう」
説明を終えた水鳥は野口に視線を優しく向けると同時に指した。
「そういうことですよね、野口さん」
誘導された多くの視線が野口に向かう。長々と時間をかけることに辟易すると無言で語りかけている。
野口は歯を食いしばるとわずかに開いた口の隙間から「まあ、いいんじゃね」と音を漏らした。他の面々もこれ以上突っ張ることはなかった。
投票用紙と投票箱は鳥居によってすでに用意されていた。彼女は用紙の束をざっと半分に分けて自分の両隣に配布した。
(どれを選べばいいの……)
(吉野サンと同じにしたいけど、どれが正解だい?)
(一択っしょ)
「ねえ、どれにする?」
すぐに投票箱は満ちていく。いつまでも迷っていればその人に視線が集まることは自明である。不要なプレッシャーを感じたい人はいない。
全ての投票用紙が納められると投票箱は開けられて、そこに書かれた記号を鳥居が読み上げていった。それを受けて野口が用意したホワイトボードに大きく正の字の列を作っていく。そして――。
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