第23話 呪うな(2)

 奇しくも同時刻に同じようなことを大浜も考えていた。

 (お義母さん早く死んでくれないかな)

 早めの朝食を終えてすることのなくなった彼女はリビングの椅子に腰をかけ、片肘を突き、タブレットに映した昼ドラをぼうっと見ていた。その内容は決して嫁姑モノではなく伝統工芸を若い女性が引き継ごうとする類のものであったが、大浜の意識は先の思考に向いていた。


 (このままずっと言いなりになるのは嫌よね)

 大浜と義母は上手くいっていなかった。悪いことに彼女たちは同居していた。さらに悪いことに義父は死んでいた。さらにも増して悪いことに義母は外面だけは良く、大浜はその土地に他に縁がなかった。


 (どうして家事をしないで私だけにやらせるのか分からない。仕事しているわけじゃないのに。私たちは共働きだからって、典男さんが家事をすると嫌味が飛んでくるのよね。息子にそんなことをさせるのかって。でも自分はしないのよね)

 大浜は知らず知らずのうちにテーブルを人指し指でトントンと叩いていたが、やがて自分がそうしていることに気が付くと手首を返して指先に焦点を合わせた。この十数日で随分と若返ったその指先には埃一つ付いていない。


 大浜はタブレットに視線を戻した。ちょうど主人公が師匠の思い出の品を探すために町中を駆け回っているところだった。重そうな荷物を持った老人が主人公に道を尋ねた。


 (自分の時代はそうだったからって、どうしてそれが他人にも通ると思っているのか分からない。そんなこと言ったらあなたは……お姑さんの時代のものしか使わなかったの、電卓や電子レンジは使わなかったの、って。あなたが我慢したのはあなたの勝手じゃない)

 大浜は次々に義母から言われた理不尽な台詞を思い出していき、体が熱くなった。反論できなかった自分自身のことを思い出せばなおのこと熱くなる。ピクリ、と頬が痙攣した。


 画面の中の主人公は老人の荷物を持って目的地まで案内し終えたところだった。老人が丁寧に礼を言って懐に手を入れると主人公は照れながらそれを断った。


 大浜は頬杖を止めて天井をぼうっと眺めた。タブレットには目もくれていない。

 (典男さんは優しすぎて強く言えないのよね。ここは家事も仕事もないしお義母さんもいないし、本当に楽だけど……典男さんがいないのは寂しいかな)

 彼女が何故結婚したのかといえば夫を愛していたからであり、婚前には同居の話もなければ、義母は外面だけであったからだった。


 昔思い描いていた幸せな未来と現状を比較すればただ虚しくなるだけである。

 (子供だってつくる余裕ないし、生まれたら生まれたで男の子なら跡取りだからって甘やかして、女の子なら跡取りじゃないからって私を責めて、あ、どっちにしても甘やかすのね)

 大浜は自分の想像を鼻で笑った。

 (あれね。結婚するときは、ちゃんと相手の家を見ないと……。一生の付き合いにもなるし、介護とか扶養とか、義務になるし……。絶対にあてにされる。お仕事でもやっているでしょ、って。離婚する暇もないわ)

 それでも彼女は、少なくとも自分にとって、さらに悪かったかもしれない可能性があることを知っていた。

 (運よくそういうことはなかったけど親戚もそうよね。あくどい新興宗教の信者がいたら身上を潰すかもしれないし、アマカエルでも、ガマカエルが血縁に居たら子がガマカエルになることもあるのよね。ニートって遺伝するのかしら? 他にも色々遺伝するって聞くし……)


 ドラマは終盤を迎えていた。思い出の品を古い雑貨屋で見つけた主人公はその値段が想像以上であることに驚いて、エンディングが流れ始めた。


 それでも大浜は、表で我慢しながらもやることをやっている。義母の分だけ料理を濃い味にして、義母の部屋にある加湿器のタンクに黒カビの粉を添加し、歯ブラシにアスベストを薄く塗って、義母の死期が早まるようにと願掛けをしている。気付かれない程度に、調べられない程度に。

 事実、完全犯罪の肝は捜査されないことである。ありふれた疾患に見立てて死なせ、身内が詳しい調査を望まなければ、あとは流れ作業で処理されて真相は闇の中となる。仮に誰かが気づいても警察だって暇なわけではない。


 (現代の姥捨て山システムよね。生産層同士の暗黙の助け合い)

 現に大浜の勤める介護施設でも、何かワケありに見える身内が見舞いに来た後で偶然、入居者が亡くなるということは決して珍しくない。

 (私の人生は一度きりだし、お義母さんに邪魔されるわけにもいかないもの。仲良くできないなら死んでもらうしかないわ)





 昼遅く、望月は目を覚ました。

 (なんで起こしてくれなかったんだろう?)

 枕元の時計を見た彼が寝起きの頭で真っ先に考えたことはそれだった。


 普段なら彼の母親か妹が朝、決まった時間に彼を起こすはずであった。もう少し詳しく言えば、普段なら年老いて元気のなくなった母親か、家から余所に移ったことのない独身中年の妹が朝、望月を決まった時間に起こし、仕事に出るまでの面倒を見るはずであった。


 望月はぼうっと部屋を見渡し、そこが自宅でないことにようやく気が付くと、のっそりとベッドから降りて薄緑色の作業着姿を露わにした。彼はその足でダイニングに向かった。


 (ご飯……)

 戸棚と冷蔵庫を漁りペレットの入った袋と水入りのペットボトルを取りだすと望月はそれらをテーブルの上に置いた。そこにはタブレットが置いてある。

 「あ、テレビ。リモコン取って」

 無意識の内に口から出た言葉は虚しく部屋の中に響いた。椅子に座って待っても手元にリモコンは現れない。

 (あ、これ、タブレットだった)

 望月はそう自分を納得させると太い指で画面を触り、昭和のある学園ドラマを再生した。


 彼はようやく食事を始めた。袋の中に手を突っ込んでペレットを摘まむと口の中に放り込み、ゆっくりと咀嚼する。時折水を飲み、また食べる。

 タブレットから生じる音や光はその意味を望月に伝えることはなく、ただの物理的な刺激と捉えられている。望月は何も深く考えていない。稀に思考の表層をかするようなものが湧いたとしても、すぐに消えてしまっている。彼はこれまでも、おそらくこれからもこのままである。


 やがて食事を終えた望月は洗面所へ向かい歯ブラシを手に取った。

 「僕昨日お風呂入ったっけ?」

 その質問に答える者はいない。独り言ではないから彼自身にも答えは分からない。

 (……)

 彼は答えを知るのを諦めて歯を磨き出した。


 (やりたいこと……。昔からしたかったのは……、えーっと……)

 のろのろと歯ブラシを動かしながら、彼は昨日の議題について考えようとした。思いつく前に歯磨きは終わった。


 それから望月は服を脱ぎ散らかし浴室に入った。浴槽は空だ。

 (あれ?)

 彼が不思議そうに「お湯」と書かれたボタンを押すと、あっという間に湯船に湯気が立っていた。

 (やりたいこと……。昔からしたかったのは……、えーっと……、えーっと……)

 さすがに望月でも独りで風呂に入ることはできる。



 浴室から出た望月は何の疑問も持たずにきれいに畳まれている服に着替えた。当然脱ぎ散らかした服が片付けられていることを変だとは思っていない。

 (やりたいこと……。昔からしたかったのは……、えーっと……)

 彼はリビングに向かうと部屋の隅に寝転がった。


 部屋には埃一つない。乱雑なベッド周りは整えられている。テーブルや敷物に落ちた食べこぼしも、ペットボトルもゴミも全てきれいに片付いている。彼にとってそれは特に感動するようなことではなかった。ただ母と妹がよく分からない機械に置き換わったくらいの感覚である。

 (やりたいこと……。昔からしたかったのは……、えーっと……)


 参加者の中には自分と、自分の一番大事な人のために必死になっている者が少なくない。程度の差こそあれほとんどがそのために何かしらの行動を取っている。世の中同様このゲームにおいても、生きようと懸命になっている人もいれば、その過程で死んでしまう人もいて、ただ存在しているだけで生きてられる人もいる。

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