第21話 奪うな(3)

 今日参加者たちが広間に集合するのはこれが2度目であるが、先ほどのニニィの説明に納得している者もしていない者も昨日までとは何か違うと感じている。影山がいなくなったからである。初日から参加者をある程度まとめており、法や倫理を行動の規範としていた人物がいなくなった。そうなれば次に何が起こるのか分からない。この機を逃すまいと目をぎらつかせる者たちもいる。イニシアチブを取れれば話を誘導することが容易になる。

 加えて昨日、参加者たちは眼前に自身の死の可能性を見てしまった。どこかやつれて見えるのは決して栄養や睡眠の不足だけが原因ではない。


 そして、始まった。広間が薄暗くなり、モニターが現れた。

 モニターの中のニニィはシルクハットをかぶり、片手にステッキ、反対の手にパイプを持って、どことなくイギリスの男性のような恰好をしている。

 「Now, let’s 11th day game started! Everyone is present! The selection will be operated in 10 minutes. Ready go!」

 彼女はその見た目通り英語でいつもの台詞を告げるとモニターごと姿を消した。


 「え?」

 素っ頓狂な声を出したのは1人だけではない。とっさに聞き取れなかった人たちがキョロキョロと周りを見渡した。


 「あれだよ」

 素早く立ち上がったのは野口だ。自信満々と書いてあるような顔だ。

 「今日のゲームが11日目で、全員出席していて、10分後に投票があるっていう、いつもの言葉だよ」

 少なからず感心が集まったことに野口は気を良くした。その勢いのまま彼はさらに続けた。


 「あのさ、このゲームって、人数が50人になるまでここで生活するじゃん? 今、87人だから、今日入れて37日」

 野口は気取ってごく当たり前の事実を話した。参加者たちの視線に興味と警戒が入り混じっている。何人かが、自分たちが不利になるような話ならすぐに止められるようにと構える。

 「でさ。もちろんみんな死にたくないと思うんだけど、ずっと、なんか窮屈なままってのも、疲れるじゃん? 今日、明日、死ぬかもしれないのに」


 次の言葉は前の言葉のすぐ後に続いた。

 「だからさ、もっと自由にさ、明るく活動しない?」

 誰もとっさに中断することができなかった。


 野口の提案を否定する者は……いない。狼狽えの顔は幾つか見える。見えるが、好意的な表情が見え隠れする中に紛れている。


 (確かにそうかもな……)

 高円寺は弛んだ胸肉の下で大きく肺を膨らませた。ここは息苦しい。毎日誰かが死ぬ様を見なくてはならない。さらに悪いことに死ぬのは自分かもしれない。

 そうだからなのか、それにもかかわらずなのか、ここではほとんどの物を揃えることができる。今まで購入できなかったものを自分の物にして、消費することができる。つまり、見せびらかすことができる。


 (明るく、ね。最近若返ったみたいだし……)

 利原は頬のシミがあった場所を知らず知らずのうちになぞった。

 参加者たちは自分の容姿やスタイルが整いだしている自覚がある。誰かに自慢したい、アピールしたいという欲が無意識下でふつふつと沸き始めている。自分の高まった価値を披露してこのゲームを生き残り易くしたい。図らずとしてもそれが理由である。


 (面倒な提案だ)

 (ふむ……)

 (そんな不謹慎な……)


 水鳥、松葉、笠原……、参加者の考えは一様ではないがそれを口にする者はいない。影山のように勢いよく切り返し他人をリードしていくことができる人間は決していないわけではない。ただその度胸を今は持っていない、あるいは反対しない方が生き残るのに有利であると判断しただけである。

 全体を俯瞰している人たちには見えている。野口の言葉は参加者から蓄積した焦燥や恐怖からの唯一の抜け口であるように捉えられ始めている。これを抑圧すれば今後の信用を維持するのが難しくなる。


 「反対の人、いる? ……いない?」

 野口はざっと参加者を見回した。途中何人かと目が合うが、その誰からも否定の言葉は出てこない。野口の口元がニィと持ち上がった。

 「じゃ、採用ってことで」


 三石が構えた。

 「そr――」

 予め準備していた三石の質問は実に手慣れた様子で松葉に遮られた。

 「例えばどういうことが自由で明るい、ということでしょうか?」

 松葉は薄く笑っている。目を吊り上げて小さく犬歯を見せる三石の方を見ようともしていない。ただ、野口にとっては誰が質問してもよかったらしい。胸を張ると松葉の方を向き鼻高々にして口を開いた。


 「例えば? じゃさ、ここを自由に使うってのは? 部屋でも運動できるけどさ、やっぱり広いところで動きたくね?」

 野口は片手にポケットを突っ込み、顔の向きを変えずに前かがみになる。挑発としかとることができない行動にも関わらず本人には自覚がないようである。何人かが露骨に表情を曇らせた。年下のタメ口や舐めた態度に我慢がならないのだろう。

 「後はさ、普通にイベントとか? とにかく、このなんか暗くならなきゃいけない空気、無くした方が俺たち全員ポジティブに行けるし」


 小さなざわめきの中でいくつもの目配せが飛び交った。そのほとんどは作戦めいたものではなく単に野口の案を受け入れるかどうか足並みを揃えようとするものである。明るくした方が楽になるが自分だけがそうしていれば浮く。不謹慎のレッテルを貼って殺される。逆に自分だけが暗くしていれば空気を読めないとレッテルを貼って殺される。


 (この流れはそうなるね……)

 (昨日のことで追い込まれているのは否めない……)

 (さて、これからどうしましょうか)


 初めて話し合いをリードできている野口はその調子のままに止まることもなく「誰かアイディア、的な?」と言った。すぐその問いに答えたのは傍から見れば意外なことに小学生の森本であった。

 「あの、それなら僕、ここに来る前やれなかったゲームとか漫画とか、そういうのがいいと思います」


 「それよ! そういうので人生楽しもうって話でさ、せっかくならみんなでいいのを教え合えばもっとよくね?」

 野口が森本を褒めると森本は顔を赤くして体を縮めた。野口は機嫌よく「他に誰かいる?」と続けた。


 「なら」

 素早く意見を出したのは福本だ。ちらりと吉野の方を見る。

 「お洒落した方がいい? 服は無理だけどバッグやアクセサリーとかで」

 やや控えめな声色を使いながらも「服は――」の件で沼谷や長岡たちの姿を一瞥し、彼女は視線を野口に移した。


 「いいね! やっぱりそういうのってテンション上がるじゃん? でも服出せないの謎仕様じゃね? アニメのキャラかよ、って」

 野口が相槌を入れる。静かな笑い声が起きた。同じグループのメンバーからだけではない。別のところからも笑いが漏れている。それをきっかけに半ば独り言のような声がこぼれ始めた。


 「料理……はできませんが、美味しいものを紹介し合うことはできるかな?」

 「往年の映画を一気見なんてどう?」

 「しばらくぶりに水彩画に挑戦しようかしら」

 「金があったらカメラをやろうと思ってたっけ」


 どの意見にも野口は肯定的で活力のある言葉を返す。誘い笑いが連続する。


 (将棋……将棋……)

 (そんなことどうでもいいよ……ここから出たいよ……)

 (というか今までと別に変わらなくね?)


 参加者たちの所有欲や承認欲がチクチクと刺激されていく。誰かが欲を解放するのを見聞きすれば自分もまたそうしたくなるような、そうしてもよいような、そうしなくてはならないような感覚が知らず知らずのうちに彼らの中に染み込んでいく。思考の軸が弱ければ楽な方に楽しい方にと流されていく。


 「明日のことは分からないし、自分最優先じゃね? 後悔したくないし」

 野口がドヤ顔で決めると彼の両隣から拍手が始まり、広がった。飛び飛びの幾人が音につられて感心の態度を示した。


 (言い得て妙だ)

 柘植は両腕を組みながら目だけを静かに動かし観察する。

 (ここにいる誰もが自分と自分の最も大事な人の命を最優先に考えている。……ここに限った話でもないが)

 視線の先で御法川と江守が皺の目立つ口をポカンと開いている。左を見れば橋爪が前のめりになってウズウズと話す番を待っている。

 (ただ、当然全てについてそう考えているわけではない。そこをぼかされているのに気づいていない)


 そして何より、今日の投票先について話していない。その必要があるのかないのかは不明だが、全く触れてもいない。時間を忘れているのか、すでにどこかで決まっているのか、そして――。


 「Now, it’s time to select!」

 ニニィがパイプを吹かすと辺りは黒煙に包まれたように何も見えなくなって、参加者たちはそれぞれの考えを基に選び、煙が引くと、そこには透明なケースが置かれていた。

 「Today, she is the casualty!」

 中に入っているのは本村雅美だった。

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