第21話 トラントラ

 夜が明けると、深い霧が立ち込めていた。

 コートを着ていても少し肌寒く、思わず両手で肩をさすってしまう。


「ヒスイ、大丈夫かい?」


 蒼河が声をかけてくる。


「歩けば身体はあたたまるから大丈夫!」


 ヒスイはガッツポーズを取って見せ、その姿が皆を和んだ雰囲気にする。

 トラントラの岩山を見上げると、頂上は雲がかかっていて見えない。

 話では、中腹あたりまで登ると向こう側へ行くための洞窟があるとのことだが、その洞窟も下からは良く見えない。

 物流のため馬車なども通ることから、道自体は整備されていて登りやすい。少し登ると立て看板があった。

 そこには洞窟までの最短コースとして、ロープで登る道も用意されていると書かれている。馬車道は舗装されていて歩きやすいが遠回りのため歩きだと三日かかり、ロープコースは危険な道だが平均半日で到着するとのことだ。

 それを見て、柴が鼻息を荒くする。


「俺、このロープコースチャレンジしてえ! なんか楽しそうじゃん!」


 筋肉バカの柴は、目をキラキラ輝かせている。空を飛べる蒼河とヴルムは涼しい顔をしている。

 ロープコースは、切り立った崖にロープに鎖をったものが一本ぶら下がっているだけの、非常にチャレンジなコースだった。


「わ、私は……これ、登れるの…かな?」


 疑問形で返すと、柴が更に目を輝かせてグイグイ来る。


「トレーニングの一環だ! ヒスイは俺が負ぶってやる! だからこれで行こうぜ!」


「ええ!? おんぶ??」


 と言う間もなく、ひょいっと担ぎ上げられる。


「軽すぎてトレーニングにはちょっと足らないな。」


 ブツブツ言いながら、柴は全員の荷物も担ぎ上げる。あまり多くはないが全員の荷物+ヒスイという装備で鎖を掴んでヒスイの返事を聞く間もなく登りはじめた。


「待って待って! 本当にこれで登るの? 鎖がちぎれちゃったらどうするの!?」


 青ざめるヒスイを見て、ヴルムがフォローを入れる。


「大丈夫だ、ヒスイ。我がその時は責任を持って助けよう。」


 じゃあ今助けて!とヒスイは心の中で叫びながら、地上が凄い勢いで離れていくのを確認する。飛べる二人も一緒に同じスピードでついてくるので、その光景を見てなんだか面白くなってきた。


「私たちを見ている人からどんなふうに見えてるんだろう?って思ったら可笑しい~! 同じスピードで集団が上に向かって登っていくって結構レアかも?」


 楽しむヒスイをニコニコしながらヴルムと蒼河は見守っている。ある程度の高さまで登ると遠くの景色がとても美しいことに気付いた。


「蒼河はいつも空を飛んでいるけど、こんなに綺麗な景色を見ることができるんだね! いいなあ。」


「ヒスイも記憶を取り戻し、竜の姿を手に入れられれば空くらい飛べるだろう。」


「えっ!? ヴルム様、それ本当ですか?」


「もちろんだ。竜種であれば誰でも飛べる。話したと思うが、竜は他種族間でないと子は成せないがその力はそのまま遺伝する。小さな翼がついているものもいるが、本来竜種は翼で飛ぶのではない。理屈では分からない、そういう力を生まれつき持っているのだ。」


 全くピンとは来ないが、そういう物なのかと感心している間に自分の角度が急に変わる。


「ふう、到着っと!」


 なんと柴は、半日かかると言われた岩山を一時間足らずで登り切ってしまった。

 ヒスイを背中から降ろして、手足を確認するように柔軟をしている。驚いたことに柴自身はピンピンしている様子だ。


「超人って言い方でいいのかな? 柴、本当に凄い!」


「そうか?まだ全力使ってないぞ! 荷物も圧縮アイテムのおかげで結構少ないしな~! まあ、いい運動にはなったかな?」


 少し汗が光り息は上がっているものの、ちょっと走ってきましたくらいのテンションだ。ヒスイは、柴との自力の違いに驚かされる。


私ももっとちゃんと鍛えないとなぁ。


 柴が持って上がったそれぞれの荷物を受け取り、反対側へつながる洞窟へ入る。洞窟の半分ほど歩いてきたが、すれ違う人は居ない。麓でちらほら見かけた旅人も見当たらない。


「あんまり往来って無いのかな? 人と全然すれ違わないね」


「そうだな、俺たちが今日の一番乗り……ってわけでもなさそうだぜ!」


先頭を歩いていた柴が、急に臨戦態勢に入る。

ヒスイの後ろを歩いていたヴルムと蒼河も、ヒスイの横に駆け付けガードしている。


カキィィィン!!!


 金属が打ち合うような音がしたと思うと、ヒスイの目の前に飛んできた矢が刺さる。柴が持っていたナイフで飛んできた矢の軌道を反らせたのだ。

 暗い洞窟の中で、そんな芸当が出来るなんてすごい反射神経だとヒスイが感心する間もなく、あちこちから魔物モンスターが現れた。

 人型の魔物が岩陰からぞろぞろと姿を現し、天井にはコウモリの魔物が今にも上から襲います!という状態でぶら下がっている。

 完全に囲まれている。


「何だこれ、どうなっているんだ!?」


 柴が後ずさりながらヒスイ達の近くまで合流する。

 質問の答えを出すことができず、辺りには沈黙と緊張感が漂う。


「うわあああああ!!!」


 その沈黙は、男の叫び声に破られた。

 どうやらヒスイたちの後から洞窟に入った獣人ひとが居たようで、魔物の群れに驚いたようだ。


「まずいな、早く片付けてしまわないと騒ぎになる。」


 蒼河はそう言って、自分たちの周りに防御魔法バリアを展開すると、天井に向かって氷魔法ブリザードを放つ。

 天井ごと凍らせることで、上からの脅威を抑える作戦のようだ。

 ヴルムが咆哮をあげる。天井の氷が落ちてコウモリの魔物は凍り漬けのまま砕け散る。

 地上の魔物たちが咆哮に怯んだところを見計らい、柴が群れに突撃して魔物を殴り飛ばしながら、相手の武器を片っ端から奪い取り破壊していく。

 武器を失った魔物たちは、身ひとつでヒスイとヴルムと蒼河の方へ流れてくる。それを次々に蒼河が魔法で倒していく。

 ヴルムは後方の魔物を一気に水で包み込み溺れさせている。

 ヒスイも何か支援をと思うが、魔法はまだ魔力操作しか覚えていないため使えない。剣術や体術も使えないため何も出来ない。見ているしかない自分を情けないとは思うが、せめてみんなの邪魔にならないようにとその場から動かないよう努めていた。


「きゃあ!」


 何かが自分の足を掴んで、ヒスイは尻もちをついた。

 蒼河とヴルムは何事かとヒスイを抱え起こそうとするが、ヒスイの足には黒い手のようなものが巻き付いていて動かすことが出来ない。

 蒼河が氷魔法ブリザードで手のようなものを攻撃した。

 手のようなものはするりと攻撃を避け、ヒスイの足を掴んだまま、一気に床から天井まで伸び上がった。

 ヒスイは天井付近まで、ぶら下がったような状態で持ち上げられる。


「ひやああああああ!!!」


 恐怖と天地がひっくり返った驚きから、変な叫び声を上げてしまった。ヒスイは、掴まれた部分からものすごい悪意を感じ取った。


この感じは、この前デクトの街で戦った黒竜の……?


 ヴルムと蒼河は周りの魔物の掃討をやめ、ヒスイを救出しようと飛翔する。二人の目が怒りに満ちているのがヒスイからも見て取れた。

 黒い手のようなものはヴルムと蒼河が攻撃しようとすると、人質であるヒスイを盾にして攻撃魔法を撃てないようにガードしてくる。

 ヒスイもこの状態から脱出しようともがいてはみるものの、上手く行かない。

 ぶら下げられていることで脳に圧力がかかり、意識がぼんやりとして動きが鈍くなってきた。

目の奥がじんわりと痛い。


もう、これ以上は無理。


 意識を失いそうになったところで、胸の翡翠石が強い光を放った。

 黒い手のようなものは怯み、ヒスイを掴む力を緩めた。ヒスイはぼんやりする頭でもう一度巻き付いた手のようなものを蹴ると、重力に従って落下していく。

 翡翠石の光に守られ、ゆっくり落ちていくヒスイを慌ててヴルムがキャッチする。


「ヒスイ、何ともないか?」


 珍しくヴルムは焦った様子で声をかける。


「はい、何とか。また母さまが助けてくださったんですね」


 ヒスイはそう言い、翡翠石をギュッと握りしめる。光は小さくなり、すぅっと消えていった。

 ヒスイが無事なことを確認した瞬間、怒りの感情を爆発させた蒼河が辺り一面を一瞬で氷漬けにした。氷漬けになった魔物を、柴が砕いていく。勿論、手のようなものも氷漬けとなり、粉々に打ち砕かれた。

 うっかり旅人も氷漬けにしてしまったため旅人の氷を溶かすと、気絶していたので横に寝かせて毛布をかけておいた。


 蒼河と柴の連携プレーで見事魔物を一掃することは出来たが、ヒスイの状態があまり良くない。ヴルムはヒスイを抱えたまま癒し魔法をかけている。

 蒼河も心配ではあったが、ここは癒しのプロフェッショナルでもある「水竜」のヴルムに任せることにし、全員でうっすら見えている反対側の出口を目指して歩き出した。

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