10
ヒサシは頭が空っぽになっていた。状況の整理もつかないまま玄関へと出ていた。そこに立っていたのは例の刑事だった。
「どうしたんだ!?」青ざめる刑事、ヒサシはその視線から自分の全身を眺めていることに気づく。自分の服の至る所に母親の血が着いていた。「怪我してるのか?」
「お袋が、死んでました」
ヒサシは警察で聴取を受けていた。母親殺害の容疑と、おとべなおや殺害の容疑、両方の殺人の重要参考人として取り調べを受けていた。
「俺にはアリバイがあります」
「たしか澤部リョウくん、だったよね」
「はい」
「彼から昨日の晩に連絡があったんだ、君から一緒にいたことにしてくれと頼まれた、とね」
ヒサシは胃の辺りに痛みを感じた。家族は居ないものだと思っていたが、友人と呼べるのはリョウだけだった。信頼していた奴から裏切りを受けた事でヒサシは精神的なストレスを胃に感じた。
「で、君は本当はどこで何をしていたんだ?」
「別に何もしてません」
「本当のこと、話してくれると助かるんだけどなぁ」
「お袋を殺した犯人も俺だと?」
「その可能性も否定はできない、凶器は自宅にあった包丁、君なら問題なく実行できる。死亡推定時刻は午後9時から午後11時の間、どうしてだか暖房がついてたせいか遺体の硬直が早くなってしまっていて断定が出来ない。もしかして、捜査を撹乱しようとして細工をしたのかい?」
「俺はバイト先に居ましたよ」
「就業前なら犯行は可能だよ。もし仮に君が何もしてないと言うなら、その根拠を示してくれないと」
ヒサシは俯た。俯き考えた。犯人でないことをいちばんよく知っているのが誰なのか。それは自分自身だ。
「おとべなおやが殺された時、俺は緑区の日の出公園に居ました。そこで酔っ払いと若い男が喧嘩してるの見ました。若い奴が歩いてたら後ろから酔っ払いがいきなり殴りかかって、でも直ぐに若い奴にボコボコに殴り返されてましたよ」
「で、それは何時頃」
「8時」
「なんでそのことを先日言わなかったんだ?」刑事の言葉が鋭くなる。どんな嘘も見抜くような威厳が感じられる。
「だって言い出しにくいっしょ、その酔っぱらいの財布から、ちょっとカードを拝借したんだから。でもそいつんちまで行って財布届けてやったんだぜ」
そう、ヒサシはその酔っぱらいの財布を盗んでいたのだった。リョウに買い与えたビールとタバコも、ワタルに買い与えたカートンのタバコも、その酔っぱらいの財布から代金を支払っていた。
「そいつのクレカ使ったから履歴残ってるでしょ。一応そいつの名前と家の場所知ってるけど」
「教えろ」刑事が短く吠える。後ろに控えた刑事に至急確認を取るように伝えた。
「嘘じゃないだろうな?」
「嘘かどうかは確認すれば分かることでしょ」もちろん嘘だった。
その酔っぱらいとは、コンビニのトイレに盗撮カメラを仕掛けた男だった。
『酒を飲んで朝の八時、日の出公園で若い男が通るのを待って襲え。そうすれば全部なかったことにしてやる』
ヒサシはそう盗撮オヤジに持ちかけ計画を実行した。
その後、盗撮オヤジと口車を合わせ、さも日の出公園にヒサシがいたかのようにアリバイをでっち上げたのだ。
ヒサシはまさかここまで計画が上手くいくとは思っていなかった。当初、自分の目論見が上手くいかなかったこともあって、盗撮オヤジがしっぽ巻いて逃げたかもしれないという懸念があった。
そのため万が一のためにリョウにもアリバイ作りの協力を頼んだ……
しかし、その時から様子がおかしいことは薄々感じていた。不自然にニュースが流れるラジオを変えてみたり、弟の7回忌のことについて触れてみたりだとか。
おとべなおやの殺害に俺が絡んでいるのではないかとリョウは思ったのかもしれない。
それが刑事が訪ねてきたことでより確証を得て紛れもない事実としてしか認識できなくなっていた。
昨日も石原サチについて訪ねたところ、歯切れの悪い回答しかえられなかった。
アイツはもしかしたら何かを隠している。
「ヒサシくん、どうして君はリョウくんにアリバイ作りの片棒を担ぐようなことを頼んだんだい?」
「ただの、実験ですよ」
「実験?」刑事の眉間に皺が寄る
「リョウは弟の親友でした。おとべなおやのニュースは昼頃には流れてたでしょ、あれ見てからかって見たくなったんですよ。親友を殺した奴のことを覚えてるかどうか」
ヒサシはことの成り行きを簡潔に話した。
おとべなおやの死亡推定に合わせて自分のアリバイを工面するようにリョウに頼む。特段の理由を述べずにいれば逆に怪しむ、深く考えて行き着く先がおとべなおや殺害だ、すぐに犯人が捕まればそれはリョウにとって悪い冗談で済むはずだったが、未だに犯人は見つからず、リョウは疑心暗鬼に駆られついには自分を警察に売った。
「酷いやつでしょ」
「下らない事をするんじゃない」刑事が恫喝まがいにヒサシの胸ぐらを掴んだ。
別に怖くはなかった、ヒサシは何もやっていないのだから恐る事すらない。
「もしかしたら、リョウがお袋を……」ヒサシは困惑した。
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