赤ちゃんが泣く理由。

仮名

泣く理由

「ハルくん。どうして赤ちゃんが産まれた時に泣いてるか知ってるか」

 炎天下から逃れるようにして入った喫茶店で、幼馴染のアキからふと尋ねられた。赤ちゃんが奥の方から元気に泣いているのがきっかけなのはいうまでもなかった。

「分からんわ。泣いてないと呼吸ができてないとか聞いたことはあるけど」

「硬いなぁ。もっと頭やらかくして考えてみ」

「そんなこと言われてもわからんわ。アキは答えがわかってるからそんなこと言えるんやろ」

「そう言われたらおしまいやん。正解はこの世界に生まれてきたことへの後悔への涙。なんかの動画で見たわ」

 アキの答えに少し納得できなかった。

「偏屈な偉いさんなんやな」

 何か言い返してやろうと思ったが、お洒落をまとった不幸など知らないと言った表情の店員さんが話を中断した。

 コーヒーを2人分頼む。届いたそれに僕もアキも砂糖もミルクも入れずに、眉間にシワを合わせて2人で飲む。いつからか僕たちの間で始まった我慢比べのようなものだ。


 その後1時間ほどだべった後、喫茶店をなくなく後にする。

 今日は僕たちの住む街の花火大会がある。そのせいか、いつもならこの時間はまだ空いてあるのに、浴衣を着た人の波が僕らを襲う。花火会場である海岸と反対側の学校に3人めの幼馴染をお迎えに上がらないといけない。


「フユから何か連絡きてるか、一応言われてた時間より早いけど」

「なんもきてないわ。花火大会の日や言うのに、部活に熱心やな」

 帰宅部2人には、運動部の流す汗の味なんてものはわからなかった。

 と、急にアキが僕の肘をこづく。

「どした。可愛い女の子でも歩いてるんか」

「いや、美味そうなもんがあるやんか」

 2人目を合わせて、うんともすんとも言わずに、唐揚げを目指した。ちょうど、並んでいるお客さんはいないらしかった。穴場のバーでも見つけたような、お得感。まだ高校生なのだけれど、そんなことはどうでもいい。

 悩んだ末に、2人で大きなカップのやつを一つ頼んだ。日にやけた優しそうなお兄さんが、あんちゃんらにオマケやと言いながら明らかにカップに入りきらないのにまだ詰めてくれた。

 熱々を突きながら2人で歩く。暑いのは嫌なのに、どうして熱い唐揚げというものはこんなにも美味しいのか。いつも閉まっている着物店が開いていたし、小学校のグラウンドも今日だけは解放されていた。この雰囲気が、唐揚げを美味しくするのは間違いがなかった。


 ほど無くして、目的地である高校にたどり着く。流石に祭りから少し離れたここはいつも通りの静かさを保っていた。野球部かサッカー部のものだと思われる掛け声が聞こえる。

「アキ、なんかフユからメッセージきた?」

「あ、もうそろそろ出るって言ってるわ」

 いつもここに通っているものの、私服で入るのは躊躇われたので、校門前に立っておくことにした。花火大会のアナウンスがここまで届いた。それに呼応するかのように、学校から楽しそうに生徒が飛び出してくる。

 アキの手に握られたカップの中には、大きい獲物が一つ。僕たちの手元には竹串が一本ずつ。ここで負けたら、一生もの。くらいの勢いで同時にそれに刺した。幼馴染のいいところは遠慮しないでいいこと。悪いことは相手も遠慮してくれないこと。

「ここはハルでも流石に譲れんな」

「俺も」

 日本の文化には殺し合いをしなくても、勝ち負けを決めることができる。アキもわかっているらしかった。

 カップを学校の校門の上に置いて、硬く握りしめた拳を前に出す。

「最初はグー」じゃんけんぽん。

 グーを出す確率が一番多いというのが通説らしいが、僕はチョキを出した。アキの手を見るとチョキを出していた。僕らは、俗説に負けたようだった。

 あいこでしょ。グーを出す。アキはチョキを出していた。思わずひさびさに声をあげた。勢いよく、カップの方へ首を振る。


そこにあったのは、美味しそうに唐揚げを頬張っているフユだった。僕らのあっけに取られた視線に反応して、口を動かすのをやめる。

「え、これあんたらが買ったやつじゃないん」

「フユちゃん。それ、藤田先輩に持っといてって言われたやつやで」

 藤田というのは、フユの所属するテニス部のものすごい怖い、一つ上の先輩だ。途端にフユが頭を左右に振りながら、青ざめる。と、アキが歩き出す。どうやらバラエティで一番面白いと言っても過言ではないネタバラシをしないらしい。楽しみにしていた唐揚げを勝手に食べられたのだから、これくらい雑にしめてもかまわないだろう。

「ちょっと待ってよ。アキ、ハル」

 珍しく、可愛らしい声を出す。僕たちを頼るときの声。振り向いたら負けなんだけど、振り向いてやる。いつものパターンだ。

「ほら行こや、フユ」

「でも、先輩が」

「あの先輩アホやし大丈夫やろ。な、アキ」

「そやな。なんか頭まで筋肉入ってそうやもんな」

 フユが手を叩いてキャッキャと笑っている。突如、アキがいつも優しそうな目を大きく見開く。

「ユキ、後ろ先輩」

 もちろん、いやしない。その後、フユがアキをシャレにならない勢いで叩きにかかるまで数秒と要らなかった。


 3人が揃ったところで、出店の連なるこの街1番の大通りに出た。まだ花火大会が始まるまでに2時間はあるというのに、ものすごい熱気だった。

「ねえ、なんで2人とも浴衣着てないの」

「男2人で浴衣はちょっと寂しくないか」

「そうそう」

 周りを参考にしてみても、浴衣を着ているのはこれ以上幸せなことはないという顔をしだカップルか、キャッキャキャッキャした女の子グループばかりだ。それに何より、短パンの方が動きやすい。

 ユキが寂しそうな目をする。去年は彼女がどうしても着たいとおばさんにごねていた。高校1年生がだ。あれからちょうど1年も経ったのか。


 スーパーボール掬いではフユが隣の小学生集団に遠慮することなく、器二つ分掬い上げて一躍スターになり、たこ焼きとかき氷というとんでもないミスマッチを果たしたのち、冬がどうしても食べたいと言った熱々の唐揚げを再び買って、会場へと向かった。

 僕らが向かったのは、この花火大会の日だけ一般開放されている我が母校というにはあまり印象に残っていない中学校の校庭だった。

 いつも通り、海辺で見たいという人が多いのか、校庭は空いていた。とは言っても会場に近いほうは角度的に、木が邪魔で綺麗に見えないので、花火会場とは反対側にある校舎側に人が集まっていた。

 フユがクラブに行く時も大事にしまっていたレジャーシートを出す。小学生の頃は大きくて3人ではしゃいでいたそれは、もうすっかり座るしかできない代物になっていた。フユが暑いからそっちへ行けとアキの肩を押す。

「まもなく、、、、始まります」

 遠くからアナウンスが流れ始めた。途切れ途切れだけど。

「ほら、フユちゃん、砂が乗るから暴れんなよ」

「2人が大きくなってシートの大半占めてるじゃん」

「しゃーないやんかそれは。ハルくんもギリギリ乗れてるだけやで」

 昔はヤンチャだった男2人をフユが大人ぶって注意していたけれど、今では彼女が一番元気になったものだ。始まらない花火大会に痺れを切らせたのか、出店でもらったスーパボールを上に投げている。


「そんなことしてたら、どっか行ってまうで」

 直後、アキの予言通り、転がっていった。夏といえども花火が上がるような時間だ。見つからないかもしれない。

「向こうにあるよ」

 財布でもなくしたんじゃないかと思うくらい、必死に探すフユに、隣にベビーカーに赤ちゃんを乗せた優しそうな女性のかたが指を指してくれる。

 意外と近くだったのか、フユはあっさり見つけてしまった。正直鬱陶しかったから無くして仕舞えばいいと思っていたのに。

 でも、フユが関心を持ったのはボールじゃなくて赤ちゃんだった。

「可愛いですね。名前なんていうんですか」

 フユが人に敬語を使ってるのを意外と初めて見たかもしれない。隣のアキも心配そうにフユを見ている。

「夏に花の芽と書いて夏芽なつめっていうの」

 フユが勢いよくこちらを見る。僕らの名前に合わせば春夏秋冬。

「春夏秋冬じゃん」

 予想通り、フユが大きな声を出す。

「えっと、奥が春斗はると、手前が秋彦あきひこ。私が冬幸ふゆきって言うんです」

 僕は絶対にこれまた幼馴染み同士だったそれぞれの父親による共謀だと疑っている。


 花火が上がりはじめる。大小様々な花に、フユが息を漏らす。

「何回見ても綺麗なのなんなん。こんなん見たら、青春してるって感じるわ」

「なんだそれ」

 でも綺麗だと言う意見には、珍しく同意した。


 赤ちゃんが泣き出す。まだこの美しさが分からない少女にはただの大きな音にしか聞こえなかったらしい。フユが色とりどりの息を顔一面に浴びながら、彼女の方を向く。

 スーパーボールをポケットから出して渡してやる。飲み込んじゃうんじゃないかと思ったけれど、大玉のそれは明らかに赤ちゃんの口には入り切らない。

 大きな開花音に混じって可愛い笑い声が聞こえてきた。


「なあ、アキ」

「なんや」

 深刻そうにこちらを向いてくる。

「なんでもない」


 もしかしたら赤ちゃんが泣くのは、この美しい世界への人生に感動しているのかもしれない。

 言ったら絶対にからかわれると思った。

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