第66話 キッスのゆくえ
目ざめのキスと言われてまっかになったそのしゅんかん、じつはサラの頭のなかには事態の打開策がひらめいていた。魔女につたわる禁断の魔法があるのだ。キスにまつわる一世一代の魔法が。
キスで目ざめさせた相手は、キスした魔女のさいしょの命令をなんでもひとつだけきく。それは魔女のファーストキスのときだけ有効な禁断の魔法。
でもでも、それじゃあみんなにファーストキスってばれてしまう。
名門の魔女の家系で、美少女で、みんなにちやほやされて男なんかよりどりみどり、恋も愛もあまあい誘惑だってお手のもの。そう思わせてなきゃなんないのに、そう思っててもらいたいのに、じつはこれがファーストキスでしただなんて白日のもとさらけだすのはプライドがゆるさない。なによりはずかしくってもう、だめなのそんなの。
というか、たいせつなファーストキスを、サンガとしてしまっていいの? だってだって、私の身も心もすべて、いずれあらわれる私の王子さまだけのものなんだもの。
ちらっとサンガへ目をやると、夢見てるよな目はひらいているけど心はここにないみたい。やたらきれいな顔して、唇はあまくやあらかそう。
はっ。なに考えてんだろ。ぶんぶん首を振って心のまよいも振りはらう。ちがうの
あらためてまわりを見まわしたら、みんな期待をこめてサラを見ている。もうかんぜんに、サラがキスしなきゃおさまらない流れだ。
「…………わかったわよ。するから、ちょっと待って」
心の準備がひつようなのだ。まずは深呼吸。覚悟をきめて、サンガの頬を両手でつつむ。すべすべのきれいな肌にまたどきっとしちゃうし、それにみんなの視線が気になってしかたない。
「こっち見ないで! 気が散るから!」
みんなが目を逸らしたのをたしかめるとまたおおきく息を吸って、さっきから盛大にばらまかれてるキノコの胞子もいっしょに吸って、サンガの朱の唇にねらいをさだめて――
「っくしゅんっ!」
おっきなくしゃみに、みんながふりむくのがわかった。視線があつまってくるけどそんなの知らないってみたいにサラのかわいくとおった鼻がひくひくうごく。またさっきよりおおきなくしゃみがつづけてみっつ。……これは、花粉症? キノコの胞子でも花粉症っておこるのかな。
そこはわかんないけどとにかくサンガの顔じゅう、つばと胞子でいっぱいだ。
「うあ、ごめん、わざとじゃないの」
あわててその顔を手でごしごし拭くと、拭いているうちサンガの目にゆっくり光がもどった。
「サラ……?」
「サンガ? 気づいた? ごめんねすぐきれいにするから」
サラが顔をごしごしするままにまかせて、サンガはまわりをたしかめる。みんなを飲みこもうとしているうずまきが見えた。
「ああ、そうよ、あのうずまき。みんな困ってるのよ、どうしても消せなくってさ」
ごしごしサンガの頬を拭ってよごれを消しながらうわのそらでサラが言うと、サンガは素直にうなずいた。
「消したらいいの? わかった」
その瞬間うずまきはあっさり騎士団長を放して、すごい勢いで天たかく昇っていった。滝のうえをつつんでいたあかぐろい不吉な色はすっかりどっかへ行って、あおい空がひろがった。
なんてあっけない幕切れ。これ、キスの魔法じゃないよね。だって未遂だったもん。
サンガは憑きものが落ちたみたいにさっぱりした表情で、あれだけ暴れといてどういうことよってもんくのひとつも言ってみたくなるけどそんなことより未遂でおわったキスの余韻でまだ胸はばくばくで、とてももんく言うどころじゃなかった。
***
騎士たちには魔女狩りをつづけようって気力も体力ものこっていなかった。そんなこと、サラたちがゆるすはずもないしね。
エドワードはエㇽダとのわかれをさんざん惜しんで、さいごはしぶしぶ飛行艇に乗りこんだ。見おくったエㇽダはつぎ会えるのはいつだろうなんてのんきに言って、それがどれだけむつかしいことだかぜんぜんわかっちゃいない。
北の都がはてしなくとおいってことを指摘するのはじつはサラにとってもつらいのだった。夏休みはもうほぼおわって、あすにはサラもこの島を去らねばならない。どうせエㇽダはまた会いにくればいいじゃんなんてかるく考えるんだろうな。サンガはながい別れになるってわかるだろうか。かなしい、さみしいって思ってくれるだろうか。
いまはもう夜、魔女の家。
シャワーできょうの汗をぜんぶ流したサラは、寝室でエリーに髪を梳いてもらっている。めずらしくエリーが部屋にはいってきたのだ。
あすには帰る私と今夜ばかりはしんみり過ごしたいのかな……なあんてちょっとでも思ってしまったサラは甘いってもんさ。
「きょうのあなたにはがっかりしたわ」
「……は?」
「もうちょっとでキスだったのに、どうしてあそこでくしゃみなのよ」
「はあ⁉」
「ていうかね、あそこまでいったんならもうくしゃみ出ようがなんだろうが、がばあっと行っちゃいなさいよ」
ああもう、もはや返事する気も起こらない。
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