第56話 ふたりの筆頭魔女


 魔女がテーブルに手鏡を置くとそこからどんどろどろんと煙があがって、やがて人らしいかたをとりはじめた煙が声を出した。


「先生! お目にかかれてうれしいですわ。ごきげんうるわしゅうございますか」

 すうっと煙のなかからあらわれた顔は、レベッカだ。

「ちっともうるわしくないわ。弟子からやっかいな荷物押しつけられて、めんどくさいったらありゃしない」

「私なんて先生からもっとやっかいな荷物押しつけられて、おかげでブリトニケ島からもう十五年も出られないんですけど」うふふふと唇は笑みのかたちをつくるけど、ちょっぴり怒りがまじっているように見えるのは……たぶん気のせいじゃないよねえ。


「弟子ってそんなものよ」エリーは弟子の怒りをものともしない。「だいたいあなたまだ筆頭魔女って言ってるらしいわね? いいかげんあきらめなさいよ、私はもう戻らないんだから」

「つつしんでおことわり申しあげますわ。留守番役だと先生おっしゃいました。私が筆頭魔女を務めるのは先生がお帰りになられるまでって約束でございます」

「口の減らない子ねえ。むかしとちっともかわらない……でもまあいいわ、どうせとうぶん帰らないから。あと百年ばかりはよろしくね」

「そのうち呪いをかけて差しあげますわよ」

 うっとりするよな笑みでレベッカ。ふん、とエリーもわらってかえす。

「おもしろい、受けてあげるわ。って言うかサラを送りつけたのが呪いみたいなものでしょ。まだほかにもやっかいごと押しつけようって気じゃないでしょうね」

「まさかそんなおっそろしいこといたしませんわ。先生にそんな失礼こいたら、どんなおしおきが待ってるか知れやしませんですもの」

 そのわりにはさっき呪いをかけるなんて物騒なこと言ってたけどね。

「わかってんじゃない。やっかいごとはサラだけで十分よ――サラの稽古もそこからつけてくれるといいんだけど。鏡を通してさ」

「うふっ、さすが先生。いいお考えですわね。私でお役にたちましたら幸甚でございますわ」

「よく言うわ。それにどっちにしろ、あと一週間であの子の夏休みもおわりでしょ」

 はじめて気づいたって風にレベッカはおおきくひらいた口に手をあてた。

「あら、それは……ざんねんですわね」

「ま、それまではめんどうごとも大目に見てあげる」

「うふふふ。ではごきげんよう」


 どろんっとレベッカのすがたは煙に変じて、その煙もすぐ四散して消えた。

 魔女は煙の消えたさき、コウモリたちが去ってった夜空のはてに目をやった。月はあやしくひかって、空の散歩にもってこいの夜。虎もこんな夜はジャングルを走りたくなるものだ。

「ごまかしきれると思ってるのかな」

「まさか。もちろん気がついてるわ、ここに飛ばされた騎士のこと私が気づいてるって。知っててとぼけてるのよ」

 まあいいわ。私の手をわずらわせずに、サラとレベッカでことを収めることができたら、なかったことにしてあげる。サラにはちょうどいい修行になるだろう。

 そんなエリーの隠れたメッセージをレベッカも読みとってすっとぼけているのだ。



 なんてかけひきをしているあいだにも、はだんだんに更けてった。

 この夜一羽のコウモリが湿原を見まわって、エドワードの寝床を見つけたのだがサラがそうと知る機会はとうとう訪れなかった。眠れる騎士の枕もとにまとわりついていたコウモリをオオトカゲが尻尾でぺしんとはたき、くわえあげたからだ。無言でおぼろ月とエドワードとを見比べたあとオオトカゲは、口に咬えた使い魔のコウモリをなにくわぬ顔でむしゃむしゃと食べてしまった。月が、靄のむこうにかすんで赤かった。



  ***



 五日が過ぎた。

 ずっとエㇽダは湿原へかよって、きずついたエドワードの世話をやいている。

「肉が食いたい」

 なんてエドワードが言いだしたのは南の島での生活の二日め。芋の粉からつくったパンや豆とかばっかじゃ、やんちゃ騎士にはもの足りない。


「肉食ったらげんきになる?」

 ってエㇽダは訊くけどじっさいには魔女の薬がおそろしく効いたおかげでエドワードはげんきもげんき、きもちだけならこれから魔女に再戦を申しこんでもよいぐらいだ。あいにくレベッカに折られてしまった脛の骨はすぐにはくっつかないのでしかたなくおとなしくしているだけなのである。そんな事情はエㇽダにはわからない。


「なる。むしろ食わなかったら死ぬ」

 基本エドワードは本能に忠実だ。それでいままでとおしてきて思いどおりにいかないことはめったになかった。だから今回も肉がほしいとなったら考えなしに所望するのだ。おかげでエㇽダは焼いたチキンや猪の肉片なんかを毎日こっそり竈からつまみだしては湿原へと運んでもう三日になる。

 けさ出がけにサンガに見つかったときは焦った。それでなくてもさいきん単独行が増えてて、ぜったいあやしいって思われてる。

「つまみ食い? めずらしいね」

 サンガがわらって言うからそれ以上に顔をくずしてわらって、

「そ! 散歩ちゅうに食うのよ、だ・だってさ、ささささいきんやたらとおなか減っちゃってさもう朝ごはんだけじゃ足んなくって歩いてるとぐるぐるおなか鳴るからたいへんよ、せ、成長期っていうの? たぶんそれ! とうとうあたしにも成長期がきたみたいなんだもうばっくばく食べちゃう、そのうちサンガよりおっきくなるかもよ、えへへへへへへ」

 なんてやけっぱちなわらいにもサンガはうららかな顔でかえして、エㇽダの頭をなでた。

「うん。いいことだと思うよ。その調子でたくさん食べな」


 一方のエㇽダは心がゆれてしまう。サンガごめん、あたし嘘ついてるの。

 はじめ秘密をもつことに心おどらせたエㇽダは、じつは秘密をたのしむには向いてない。そのことに自分で気づくにはまだまだ時間が必要なようだった。



 そんなエㇽダのちいさな胸のうずきにはちっとも気づかずエドワードがチキンを口にほうりこんでいたちょうどそのとき、爆音とともに飛行艇が島の上空を旋回したのだった。


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